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41 手を伸ばす番

 ユディト様が闇に飲まれるところを見て、私は気が動転してしまった。

 とっさに駆け寄ろうとしてそばにいたロベルト殿下に引き止められ――どうやらそこで気を失ってしまったらしい。


 そして、目が覚めたらハルモニア神殿へ向かうことになっていた。

 簡単に状況を説明してもらったのだけど……ユディト様がいなくなっただけでも受け入れがたいのに、私に女神様が憑依して聖剣を振るったとか、「神殿を脅して」とかいう単語が出てきて……とにかく大変なことになったということしか分からなかった。

 

 移動の馬車の中は地獄のような沈黙。

 アレクト殿下がパーティーの途中で抜け出すのをごまかすためにロベルト殿下とエルダ様は会場に残り、メルボルト様は警護のために馬に乗って馬車の脇についている。だから、馬車の中にいるのは私とアレクト殿下とシドニア先生。

 ……気まずい……。

 ユディト様をめぐる殿下と先生の関係を考えただけでも気まずいし、私自身も聖剣という役割を頂いていたのにユディト様を助けられなかったふがいなさで、お二人に向ける顔がない。

 でも、シドニア先生のお話によれば、私に憑依していた女神様が、聖剣がいればユディト様を連れ戻せるとおっしゃっていたそうだから、どれだけ身の置き場がなくとも私は神殿に行かなければならない。


 ユディト様は、この世界がユディト様の知っている物語によく似ているのだと言っていた。そしてその物語のとおりであるのなら命の危険はないはずだ、とも。

 だから大丈夫。私が神殿に行って、女神様のお力を借りられたらユディト様は無事に戻ってくるはず。


 だけど、……だけど、きっと、ご自身に危険があると知っていたとしても、ユディト様はそれをだれにも言わない気がするの。

 無事を信じたいのに、ユディト様の優しさを知っているから信じ切れない。

 きっとここにいる他の二人もそうなのね。


「アスタルテ」

「……は、はい!」


 不意にシドニア先生に呼ばれて、物思いにふけっていた私は返事が遅れて……しかも声が裏返ってしまった。

 そんな私にシドニア先生は少しだけ苦笑した。


「そんなに気に病むな。彼女のことだから何もなかったような顔で戻ってくるさ」

「そう……そう、ですね」


 たぶん私はひどい顔をしていたのだろうな。シドニア先生だってきっといっぱいいっぱいなのに、気を遣わせてしまった。先生のその言葉は、自分に言い聞かせていた言葉だったんだろう。

 せめて精一杯笑顔を作ってみる。全然笑えている気はしないけど。


「失礼」


 アレクト殿下が優しく微笑み、私の方へ手を伸ばす。

 頬に優しく、柔らかなハンカチが触れる感触――ああ、私は泣いていたのか。


「申し訳ありません……お見苦しい姿を……」

「見苦しくなどないよ。君は運命に振り回されて、それでもまっすぐに背を伸ばして戦ってきたのだから。今ここで少し息をついたところで、賞賛こそすれ、責める者などいないよ」

「――でも……私がまっすぐに立っていられたのは、ユディト様が私に手を伸ばしてくださったからです。私の力ではありません……私一人では何もできなかったのに。……そんな私がユディト様を助けることができるなんて、どうしても思えないんです……」


 アレクト殿下はハンカチを私の手に握らせてくれる。

 そして、晴れた夏空のような深い青の瞳で私を見つめた。


「私は自分一人で何でも背負い込みすぎて、エルミニアに叱られたことがあるんだ。『一人で全てを背負いきれないとしても、それは罪ではない』とね。あなたの努力を知っているからこそ力になりたいのだとも言われたよ」


 アレクト殿下はユディト様のことを想っているのだろう。その瞳には愛しげな色が浮かんでいる。


「……つまりね、アスタルテ。エルミニアが君の努力に応えて君を支えたように、今度は君がエルミニアに手を伸ばす番だというだけの話なんだよ」

「私の番……」

「一人で誰かを救うわけじゃない。一人ではどうにもならないから、どうにかできるように支え合うんだよ。君も、エルミニアも。――もちろん私やシドニア先生だってね」


 ですよね、と話を向けられたシドニア先生は目を細め、頷いた。


「そうだな。……それにしても、彼女は殿下にはタメになることを言うんだな。私にはおちょくるようなことしか言わないくせに」


 そう言ったシドニア先生はいつも通りのすました表情なのに、どことなく拗ねたように見えるのは私の気のせいかしら。

 先生とユディト様の会話を聞いていたせいかも。ちょっとかわいらしくて、私は思わず少し笑ってしまった。

 でもアレクト殿下はそう受け取らなかったみたいで、とても爽やかなのになぜかうっすらと底冷えするような微笑みを浮かべた。


「……それは惚気ですか?」

「……さあ、どうだろうな」


 ふ……二人の笑顔が怖い……。


「お、お二人とも……あっ、あの丘の上にあるのが神殿でしょうか?」

「あれは王宮の離宮だな。ハルモニア神殿はあの丘のさらに向こうだ」

「あう……」


 涙は止まったけれど、まだしばらく、この気まずい中にいないといけないのね……。



***



 うやうやしく頭を下げた白髪の男性はハルモニア神殿の神官長だと名乗った。

 その周りには、自己紹介は受けたけれどどの人がどのくらい偉いのか全然分からない、なんだか立派な肩書きの神官様が並んでいる。

 アレクト殿下とシドニア先生はどうしてこんな中でも平然としていられるのかしら。貴族なら当然なの?

 メルボルト様はアレクト殿下の斜め後ろに控えているから表情は分からないけど、きっとこんなに動揺しているのは私だけなんだろうな……。


「それでは聖堂へとご案内いたします」

「ええ、お願いします」


 神官長の言葉にアレクト殿下が鷹揚に頷く。

 さっき神官長が説明してくれたことによると、世界樹の枝を祀っているのは神殿の中央にある聖堂なのだという。というよりも、世界樹の枝が現れた場所に建てられたのがこの神殿らしい。


 枝が現れた? と私が微妙な顔をしているのに気付いた先生が移動中に世界樹について教えてくれた。

 私はてっきり、世界のどこかに青々と葉が茂る大きな木が生えていて、神殿にはその枝の一部を持ってきて安置しているのだと思っていたのだけど、実は世界樹は地中にあるのだと言われて驚いた。

 それで、地中にある世界樹から伸びた枝の一部が地上に出てきたのがこの場所。枝を守るようにドーム状の聖堂が建てられ、神殿の建物がドームの周りをぐるりと囲んでいる。

 つまりこの枝はまだ生きていて、直接世界樹に繋がっている。

 それは、部外者を入れたがらないのも無理はないよね。


「こちらです」


 大きくて、豪華な装飾が施された扉を開けた向こうは明るい空間になっていた。

 天井を見上げると、屋根部分がガラス張りになっていて、太陽の光がそのまま差し込むようになっている。通気口もたくさんあるようで、まるで外にいるように自然な風が吹いてくる。

 そして、中央に緑の茂った木があった。


 これが世界樹。


 大きな木のように見えるけど、これが枝だというのなら世界樹本体はどれほどの大きさなのだろう。気圧され、立ちすくむ私の背をアレクト殿下がそっと押した。

 殿下達も、神官様達も、枝の保護のためにあまり近づかない。ここからは私だけ。

 ゆっくり近づくと、遠目には青々と茂って見えた葉が、実は枝についたまま枯れ始めているのが見て取れた。――世界樹は弱っているのだ。

 王宮からの打診に、神殿側が異例の早さで了承を返してきたのは、世界樹がすでに枯れ始めていたからなのだろう。


 ――でも、ここからどうしたらいいんだろう。


 女神様が連れてこいとおっしゃっていたのだから、近くに来れば分かるのかと思ったのだけど……。


(待っていたぞ、わが刃よ)

「きゃっ」


 突然すぐそばで人の声がして、悲鳴を上げてしまった。

 そばで声がしたっていうか……頭の中で声がした?


(さて、本来ならばお前が結界を引き、聖女が祈りを歌い上げるのだが……お前は聖女をこちらに引き戻さねばならないからな。代わりに私が結界を引こう。お前の体をまた借りるぞ)

「え? 体を借りる?」

(お前の魂をあちら側に送る。聖女を探し出して戻ってきなさい)

「ま、待ってくださ……」


 ぐにゃりと目に映る世界がゆがむ。目が回りそうになって目蓋をきつく閉じた。

 探すっていっても、どこで、どうやって……!?


(お前と聖女は自然と引き合うはずだ)


 たぶん、女神様の声が響いて――周囲の空気が変わった。

 恐る恐る目を開くと、どこまでも真っ暗な世界が広がっていた。


「……ここは……」


 自分の体だけが浮かび上がっているように見えるだけで、他は真っ暗で何も見えない。……このどこかにユディト様が? 引き合うといっても、こんな真っ暗な中でどうやって探せばいいの?

 もう女神様の声は聞こえない。どうしよう、怖い。でもこの中にユディト様がいるのなら、早く連れ出さなきゃ。


 『今度は君がエルミニアに手を伸ばす番だというだけの話だよ』


 そう。引き合うのなら、手を伸ばして掴めばいいんだわ。

 私は、塗りつぶしたような暗闇に向かって精一杯手を伸ばした。


「ユディト様、一緒に帰りましょう!」

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