39 本来の儀式
真っ暗な世界。
やだな、思いだしちゃった。
今の私になる前の自分の最期……月もない暗い夜だったから、黒いコートを着ていた私の姿は車から見えなかったんだろうな。
ああ、そっか……私ってば車に轢かれて死んだのね。トラックだったら異世界転生の定番だけど、どんな車だったか、よく覚えていないわ……。
――いやいや待って、違うわ。車の形はどうでもいいのよ。
ここはどこよ。真っ暗すぎて自分の姿も消えないわ。
さっきまで皆で話をしていて、早く闇が襲ってこないかなぁなんて思ってて……みんなが必死な感じで私の名前を呼んでいた気がする。
あれ、私の名前……名前、何だっけ。
背筋が、ぞわっとする。
真っ暗で自分の姿形も分からない。そして名前も分からない。そもそもなんでこんなところにいるんだっけ? なんだか凄く大事なことがあったような……。
「相変わらずお前は騒がしいな」
当然誰もいないと思っていたのに、突然後ろから話しかけられて私はビクッとする。いや、自分の体がよく分かんなくて、声がしたのが後ろなのか前なのかも分かんないけど気持ちの上では、って話ね。
とにかく、声のした方を振り返った。そこにいたのは――
「あなたは……え、どなたでしたっけ?」
黒髪黒目に黒い服という黒尽くめで背の高いイケメン。完全なる無表情なのが好き嫌いの分かれるところね。年齢は若くも見えるし年寄りにも見える不思議な雰囲気。――向こうは私のことを知っているみたいだけど、私の方はちょっと見覚えがないわ。
「周りからはクロリスと呼ばれていたな」
「クロリス? なんだか聞き覚えがあるような気もするけれど……」
首をかしげた私に、クロリスは「ふむ」と眉をひそめた。
「記憶が混濁しているな。自分のことについて思い出せることは?」
「思い出せること……次にコートを買うときは白っぽい色にして反射材を持ち歩こうと思ったことは覚えています」
「……それはどうでもいい。名前や、直前まで自分が何をしていたかということだ」
「交通事故防止はどうでもいいことじゃありませんわ……うーん、でも名前ね。名前名前……最初の一文字だけでもヒントくれません?」
「クイズではない……この空間では自分のことを自分で思い出さなければ意味がないんだ。」
あら、無表情のくせに呆れた雰囲気は出せるのね。
なんだかこの若干失礼な感じに覚えがあるんだけど……。
「思い出せることを繋げて自分の形を取り戻せ。あまり時間はないから真面目にやりなさい」
「制限時間あるタイプのクイズ苦手なのよね……ええっと、車にはねられて、死んだ。あれっ、終わっちゃった」
でも確か、その続きがあったはず。
続き……ううん、別の人生があったわ。私は貴族の娘に産まれて、成長して……そう、それで自分の前世の記憶を思い出して、生まれた世界がゲームの中だって気付いて、バッドエンドを回避しようと――。
そうだ。
「ユディト・エルミニア。私はユディトね」
自分の形を、声を思い出した。さっきまで真っ暗だった空間に、自分の手足が浮かび上がるように見えてくる。え? 今まで見えなかったってことは消えかけていたっていうこと?
そして、やっぱりここがどこなのかは分からないままだわ!
「って、ここどこ!? それにクロリスはなんで馬じゃなくて人の姿をしているの? みんなはどうなったの?」
「お前はどんな状態でも騒々しいな。……ここは次元の狭間といったところか。世界の循環から外れた魂が揺蕩っている場所だ」
「循環から外れた魂……ええと、もしかして闇とも関係がある場所ですか?」
「ああ。循環から外れた魂はこの空間を揺蕩ううちにだんだんと闇を引き寄せ、最終的に闇そのものになっていく」
つまり、世界の循環から放り出されちゃった魂が流れ着く場所ね。ここにずっといると闇に染まっていく、と。
なるほど、なるほど~。
「……ちょっと待ってください。私はなぜそんな場所に? ……私は死んで、しかも循環から外れてしまった、ということでしょうか」
私また死んじゃったの? もしかして失敗したら死んじゃう系のBAD ENDが存在したの? あっけなさすぎない?
だけど、クロリスと名乗ったイケメンは無表情のまま首を振った。
「いや、まだ死んではいないな」
「まだ……?」
微妙な言い回しに、『まだ』とかいう不穏なワードをつけないでよ。
「聖女というのは言ってしまえばこの空間と表の世界、2つの世界の架け橋だ。今回はそれを利用されて、お前の存在と入れ替えに闇が表の世界に出ていった、というところだな」
「架け橋……? ええと、そもそも、聖女と聖剣が行う儀式というのはどういうものなんでしょうか。クロリスは以前、聖女は歌を奉納して、聖剣は剣舞を行なうのだとおっしゃっていましたよね。――闇のような危険なものと戦うような話はしていなかったと思うのですが」
私が若干恨みのこもった目を向けると、クロリスは「ふむ……」と顎に手を当てた。
「聖女の歌には、外の世界とこちらの空間を繋ぎ、この空間に取り残され闇に染まった魂を浄化して本来の循環に導く力がある。――ただし、二つの世界を繋ぐためには聖女の力だけではなく、女神の力も必要だ。そのため、儀式は女神の力が満ちた世界樹の枝のそばで行なう」
アリスが主人公の場合、世界樹の枝を祀る神殿で歌を歌うのよね。つまり、あれは女神の力を借りて世界を繋いで、こっちの空間を浄化していたということね。
「では聖剣の役目……剣舞はなんのために?」
「儀式の初めに剣舞によって聖女の周りに結界を張り、溢れ出す闇から聖女の身を守るんだ」
「結界……直接倒すのではなく?」
「一つ一つ倒していたらきりがないだろう」
「……そんなにたくさん出てくるんですか……?」
「数百年分の闇だからな」
さらっと言ったけど……それ、ものすごく危険なんじゃ……?
私はお祭りの神楽舞みたいなものを想像していたのに、ガッツリ攻防戦っぽくない?
「心配せずとも、女神の加護を受けて行なうのだからそこまでの危険はない」
「クロリスの『危険はない』はいまいち信用できません……」
「失敬な」
失敬って言ったって、信用できないものは仕方がないじゃない。
まあ一応、本来の儀式だったら危険は少なかったってことよね。
「……女神の力があって初めて二つの世界を繋げるんですよね? なら、なぜ今回は女神の力が及ばないところで空間が繋がってしまったのでしょうか」
「隣り合った世界だから、偶然繋がることはある。だがそうやって出来るひずみは普通小さく、すぐに閉じてしまうから表の世界にほぼ影響はないはずだ……だが今回は、お前の存在そのものをこちらに引き込み、代わりに闇が外の世界に出ていった。分かりやすく言い換えれば、お前は、闇が表の世界に顕現するための贄になったんだ」
なにそれ。つまり、私を生贄にしてセルフ召喚したってこと?
「……闇はそこまで積極的に外の世界に干渉できるものなんですか?」
クロリスは再び首を振った。
「そんなことが頻繁に起こってしまったら世界のバランスは完全に崩れてしまう。今回は特例中の特例だ。――その闇の核となっている魂は相当恨みが強いんだろうな。怨敵の存在を感じ取って、ずっと機会を窺っていたんだろう」
「私が、相手に近づくのを待っていた?」
「場所や時間や――条件は他にも色々あるはずだが。それが見事に揃って、お前はこちらに放り込まれた」
発生条件をクリアしてイベント突入……ってことか。……自分でせっせとお膳立てしてしまったのね。目立たないところに皆を集めてそこで……って!
「と……いうことは、今まさに殿下たちのところに闇がいるってことじゃないですか!」
「ああ。だがあちらには聖剣がいる。なんとかするだろう」
なんとかするって……なんとか、できるの? できるならいいけど……。
クロリスからしたら他人事かもしれないけど、私からしたら皆大事な人達なのよ。
アリスのことはもちろん心配なんだけど、私がこちらに来たときに一番そばにいたのは先生だったわ。先生、怪我していたらどうしよう……。もうメガネにはこだわらないから、無事でいて……。
「あまり不安で揺らぐな。この場所では自分をしっかり持たないとすぐ自我を失うぞ」
「え!? そんな恐ろしいこと、初めに教えておいてください!!」
「言っただろう、『自分の形を取り戻せ。あまり時間はない』、と。……それに私は人間の感情があまり分からない。お前のような我の強い人間がこんなに揺らぐとは思わなかった」
え、この人私のことを我が強いって言いました?
あと、あまり時間はないって自我を失う制限時間だったの? 人間の感情が分からないにしても説明不足すぎるわ。
「……ここからはどうやったら出られるんでしょうか。先程までの話だと、どうにも出られない気配がプンプンするのですけれど」
「あちら側で聖剣が女神の力の及ぶところ……世界樹の枝のもとにたどり着けば、女神がどうにかするだろう。聖剣と聖女の魂は引き合うからな」
「どうにかって投げやりな。それに、アリスさんが来てくれなかったら……」
「来るさ。聖剣がお前を選んだんだから」
クロリスの無表情が少しだけ和らぐ。
もしかしたら私が不安がるから勇気づけようとしているのかしら。
「……分かりました。気長に待つことにします」
「ああ。それまでは、お前がうっかり消えないように話し相手くらいにはなってやろう」
うわイケメン。
見た目だけじゃなくて内面もイケメンだったわ。もしかして実は隠しキャラなのかしら。
その場合……馬との恋愛パートがあるの?
……だいぶ通好みね。
「……クロリスはなぜここに? 眠るんだって言っていませんでしたっけ」
「――私はここで眠るはずだったのに、お前の騒がしい気配で起こされてしまったんだ。全く迷惑な話だ」
「それは申し訳ありませんでしたね……でも、馬の姿じゃないんですね」
「女神と同じ姿を与えられているからな。だがこの姿は魂の姿で、実体は持たない。表の世界に顕現するときは馬の器を使うんだ。女神の考えることはよく分からんが」
そう言ってクロリスは、ふん、と鼻で笑った。全然似ていないのに、なぜかその姿が鼻を嘶かせる黒い馬にそっくりに見えてこっそり笑ってしまった。




