38 かぶっていた猫
無事アリスを見つけ、会場は宴もたけなわ……というところで私達はこっそりとエイダの言っていた広場に移動した。表向きは、注目されて疲れてしまった侯爵令嬢がメイドに頼んで落ち着いた場所に案内してもらう、という感じ。
エイダはあとからアレクト殿下たちを連れて別ルートで合流することになっている。
疲れて人目のないところで休んでいる若いカップル(意味深)のもとに噂の相手が向かうなんて知られたら覗きが多発しそうだからね。
「ユディト様本当にお綺麗ですね。ゲストの方々が花の妖精のようだと噂されていましたよ」
「ありがとうございます。でもアリスさんもとても可愛いですよ。王宮のお仕着せもパーティー仕様なんですね。春らしくてアリスさんの雰囲気によく似合っています」
きゃっきゃと盛り上がる私とアリスを、先生は冷めた目で見ていた。時折会場の方へ視線を向けているのでエイダの方が上手くいっているのかが気になっているんでしょうね。
エイダなんだから心配しなくてもアレクト殿下達を首尾良く攫ってくるわ。だってエイダなんだから。
「でも、シドニア先生には驚きました。私、はじめは別の方なのかと勘違いしてしまいましたから」
私はリュカ兄様時代を知っているから別人だとは思わなかったけれど、シドニア先生の姿しか知らない人からしてみたらほぼ別人なんでしょうね。
本当に挨拶した方々全員が一様に驚きの声を上げていたもの。
でも当の本人は渋い表情を浮かべている。言われすぎてうんざり、っていうところでしょうね。
「会う相手全員に言われるが、オーバー過ぎる。そこまでは違わないだろう」
「リュカ兄様は鏡をご覧にならなかったのですか? それとも眼鏡の度が合っていないんですか? 一度外してみては?」
「そのメガネに対する異常なこだわりは何なんだ。――鏡は見たが、少なくとも別人の顔は映っていなかった」
「……あ、もしや鏡の使用方法をご存じない……?」
「君は人前で良い子ぶるのを止めたのか。それともかぶっていた猫が重労働に耐えかねて逃げ出したのか」
失礼な。今でも猫とは上手くやっています。
でもアリスに対しては、エルダによって私が常に外面を取り繕っているということをバラされてしまっているので、もうあんまり素敵なご令嬢モードでは接しないことにしているの。アリス本人も、そのほうが嬉しいって言ってくれたし。
「猫とは公の場でかぶる契約をしているのですよ。アリスさんとは公の……侯爵家の娘としてではなく、一人の友人でいたいんです。ですので、私の記憶の話もしました」
ね、とアリスを見ると、アリスは「はい」と微笑みを返してきた。
このパーティーに無理を言って入り込んでもらうわけだし、きちんと全ての事情を説明したわ。
驚いたみたいだし、私の行動の理由を理解して思うところもあったようだけど、「私を信用して、話してくださって嬉しいです」と言ってくれた。
もう、本当に天使。
「ああ、話したのか……」
「――あと、個人的に私は猫より犬派なのでリュカ兄様と話をする時は家で昔飼っていたニケをかぶることにしています」
「ニケ……あのバカ犬のことか……?」
「ええ、賢い子で、リュカ兄様と遊ぶのが好きだった子です。覚えていてくださったならきっとあの子も喜びます。」
「あいつは俺で遊ぶのが好きだったんだろうが……」
先生は疲れたといわんばかりに肩を落としたが、ため息を一つ落としたあと表情を改め、アリスを見た。
「アスタルテ、全て聞いたうえでここにいるというなら私から余計な口出しはしないが――君は訓練を受けた兵士でも、騎士でもない。君は、可能な限り君自身の安全を最優先に考えなさい。王子殿下たちが襲われたとしても、彼ら自身、それにメルボルトも戦闘の訓練を受けている。戦いに関して素人の女生徒より、遥かに上手く攻撃をいなせるんだからな」
「は、はい!」
犬にからかわれていたという過去話をしていた人が急に先生っぽい発言をしたので、アリスは慌てて姿勢を正した。言っている内容はとても大事なことなんだけど、直前のやり取りのせいでアリスも複雑な表情になっている。
「そういう言い方をするとなんだか先生っぽいですね」
「ぽいじゃなくて先生だ。それとユディ、君はすぐ茶化そうとするが君に対しても言っているんだからな」
「ええ。私が荒事に向かないことはきちんと弁えておりますわ」
もし闇が王子殿下たちに襲いかかったとして、私がアクションを起こす前に、少なくともフロディンが動くだろうなとは思っている。
でもゲームの補正的なものがある可能性もあるのよ。
つまり、聖女と聖剣しか動けない状況になっている……とかね。
そのへんはアリスには話してある。けど、先生には話していない。だってそこは心配してもらっても、本当の本当にどうしようもないんだもの。
まあ、ゲーム補正さえなければ、出来る限りきちんと訓練をしている人におまかせをするつもりでいるわ。
「……エルミニア? と先生、と……アスタルテ……?」
そこに、アレクト殿下の声が聞こえた。
無事合流ね。エルダを見ると、彼女はニッと笑って手を振った。
「はあい皆様。これで役者が揃いましたわ」
「……役者?」
エルダの言葉にアレクト殿下がわずかに眉根を寄せて戸惑いの表情を浮かべる。
そりゃあ、このメンツで集まって役者が揃ったなんて意味不明もいいところだものね。
そんな戸惑う兄の横で、弟のロベルト殿下は素直に不信感をにじませた。
「またエルダがおかしなことを言っているな」
「ロベルトはおだまりなさい。昔の失敗をアリスさんやユディの前でバラされたいのかしら」
「く、魔女め……」
ロベルト殿下は昔からエルダのことを『邪悪な魔女』と呼んでいる。エルダはロベルト殿下からそう呼ばれることを嫌がるどころか、面白がっちゃってるみたいだけど。
「先程はご挨拶をせず失礼いたしました、アレクト殿下、ロベルト殿下」
私は殿下たちの前に進み出て、お辞儀をする。
さっき会場ではわざ殿下たちには挨拶をしなかった。会場内で何か起こったら大変なのと、それと――
「いや、エルミニア侯爵嬢もシドニア卿も今日の注目の的だったからね。私達に声をかけようものなら会場中が聞き耳を立てて大変だっただろうし、正しい判断だよ」
「寛大なお言葉ありがとうございます」
私と先生がもう一度お辞儀をすると、アレクト殿下は少し困ったように笑顔を浮かべた。そして、視線を横に滑らせる。
「ただ、すまない……気になって仕方がないのだけど、アスタルテは……なぜメイドの服を着ているんだい?」
あっ、気になりますよね。
ご令嬢がヘルプ要員として給仕をすることがあるっていっても、どちらかといえばアカデミアから脱落した人や、卒業したけど仕事がないとか婚活したいとかそういう人が殆どで、現役のアカデミア学生がいるのはかなり珍しいのよ。しかも王家のパーティーに、最近まで貴族の生活を知らなかったアリスが入り込むのはかなり大変だからね。
でもエルダはその疑問には一切答えず、胸をそらした。
「可愛いでしょう?」
「まあそうだけど……」
「細かいことはいいのよ」
「……細かいかなあ」
ぼそりとフロディンがつぶやいたけど、エルダに睨まれて口を閉じた。
エルダから「理由を聞かれても笑顔で流しなさい」と命じられているアリスは、命令に忠実にニコニコと微笑んでいる。
うーん、地獄。早くイベント起きないかな!
そんな不謹慎なことを考えているとろくでもないことが起きそうだから駄目ね。でも、もしここでイベントが起きないなら次に何か起こりそうなのはセレアリアで――
あれ、なんか……気のせいかさっきよりも薄暗くない?
「ユディ!」
私の方を向いた先生が驚いた顔をしている。
「ユディト様!?」
「エルミニア!」
皆が焦ったように私の名前を呼ぶ。
――そうして、私は闇に飲み込まれた。




