34 ハリボテのようなヒロイン
アリスが言うには、貴族の家に引き取られ、環境に馴染めず辛かったときに自分の心を慰めてくれたのが恋愛小説だったそうだ。
そして、アカデミアに来て授業についていけずに困り果てたときに彗星のごとく現れて助けてくれたのがユディトだった。その姿は美しく、穏やかで、心優しく……まさに小説のヒロインが目の前に現れたかのようだった、と。
アリスが頬を染めてそんなふうに私を褒め称えてくれるので、私はもう、一人だったらベッドに倒れてのたうち回っていただろうな……ってくらいに恥ずかしかった。
私が小説のヒロインっぽいっていうのはね、私が面倒事を避けるために模範的な貴族のご令嬢を演じているというのと、あとエルダが、なにかと私をヒロインのモデルにしているからっていうのが大きな理由だと思うの。
自分の何気ない仕草や、ちょっとした言葉が小説になってたりするからね。本の中に出てくると結構びっくりするのよね、あれ。
まあそんなハリボテのようなヒロインなので、アリスからこんなにキラキラした純粋な瞳を向けられるのも褒められるのも、とてもとても心苦しい。
「こほん。アリスさんが私のことそんな風に想ってくれていたなんてとてもうれしく思いますけれど……ただ、今はまずは闇への対応について話し合いましょう? 王家が狙われるとしたらアレクト殿下やロベルト殿下だけじゃなくって、エルダだって危険かもしれないのよ」
「ああ、血筋で言うなら確かにそうね。……アレクは自分でも戦えるしフロディンもいるし、ロベルトだって似たようなものよね……あら、もしかして1番無防備なのは私?」
「そうよ。昨日現れたのだって、エルダがいたからそこに現れたって可能性も否定できないのよ。……でも、アカデミアの外に出るならばともかく、学内にいるのに新しく護衛なんてつけられないわよね……」
「そうね。護衛となると外部の人をアカデミア内に入れることになってしまうし、今から新しくつけるっていうのは難しいでしょうね」
エルダは情報戦だったらラスボス級だと思うけど、白兵戦となったらなんの力も持たない儚いお嬢様だ。万が一襲われたとき、彼女には身を守るすべがない。
うーん……と唸っていると、アリスが「それなら!」と小さく手をあげた。
「私ができるだけエルダ様のおそばについています!」
ふん! と意気込むアリスはとてもかわいい。
だけど、アリスと私たちは学年が違う。学年が違うと校舎も違うので四六時中そばにいるっていうのは残念ながら無理なのよね。
エルダも微笑みながら肩をすくめた。
「あら、それは凄くうれしいけれど、アリスさんはアリスさんの授業があるでしょう? 休憩時間や放課後だったら是非、是非お願いしたいけどね」
是非って二回言ったわ、この人。
私がじっとりとした目を向けると、エルダはうふふと笑顔を返してきた。この顔はアリスを主人公にした小説の構想を考え始めている顔だわ。
エルダの安全は大事だけど、何となくアリスを近づけたくない気分になるからその笑顔やめて欲しい。
「……逆に授業があるときは、エルダの近くには同じクラスのアレクト殿下やメルボルト様がいることが多いわけだし、そこまで心配はいらないかもしれないわね」
「なるほど、闇に襲われそうになったらアレクになすりつければいいのね」
「エルダ、そんな怪物のようなものを一国の王子様になすりつけるのは、できる限り最終手段にしてね……?」
「まあそんな場面になればフロディンがなんとかするでしょう。――そういえば、聖剣に闇を払う力があるなら、聖女様にもそういう力があったりしないのかしら」
「え?」
エルダの言葉に私は思わず目を瞬かせる。聖女に闇を払う力……た、確かにあってもおかしくない。
「ユディにそういう力があるなら、私だけじゃなくてそれこそアレク達の危険度もぐっと下がるでしょう?」
「それはそうよね……でも私、全然そんなことができる気がしないのだけど……」
エルダの言うように、聖女っていったら清らかな祈り的なもので闇を消し去る……ということができそうな気がしないでもないけど――残念ながら自分にそんな力が秘められている実感は皆無よ。
私が首をひねっているところに、アリスが「あの」と小さく手を上げた。
「……私は聖剣の徴を受け取ったとき、夢の中で女神様に説明を受けたのですけれど……ユディト様はそういうお告げのようなものは?」
そうそう、アリスは特殊能力のチュートリアルを受けているんだっけ。
私、なにかそういう説明を受けたことがあったかしら。
うーーーん?
だめだ。思い出そうとしても、馬とおしゃべりしたり髪の毛をむしられたりした記憶しかないわ。それも別に聖女の力については話していないし。
「特に心当たりはありません……アリスさんが間違いないとおっしゃっていますから、私が聖女であるというのは確定なのだと思うのですが――もしかしたら、なんからの方法で正式に女神に認められる必要があるのかもしれませんね……」
Alice taleでアリスは神殿に足を運んで初めて聖女として覚醒する。
私の場合も同じようなフラグを回収しないと力が使えない、って可能性は大きいかも。
「女神様には聖剣の力は聖女様を守るためのものなのだと言われましたし、役割が別れているのかもしれませんね」
「聖女はあくまでも世界樹の機能を回復させる役で、それを守るのが聖剣だということですね」
「……そうなると当然、王族云々は置いておいて、聖女のユディも保護が必要ってことになるわよね。――ユディ、明日から、アリスさんが近くにいないときはなるべくフロディンにくっついて回りましょ。もれなくアレクもセットだけど背に腹は代えられないわ。聖女が闇にやられてしまったら、世界樹は力を失うかもしれないんでしょう?」
間違いなく世界はバッドエンドまっしぐら。
あ、それ以前にこの場合は私の人生もバッドエンドだったわ。
「……なるべくさりげなく、メルボルト様の目の届く範囲にいることにするわ」
「ええ、そうして。――ところで、週末に王家の方々と聖女様が一堂に会するイベントがあるのはご存じ? ガーデンパーティー形式なんですけれど」
「……ご存じですわ」
そうだった……!
ガーデンパーティー会場は王城の敷地内だけど、アカデミアからも近い。
そして国王陛下に妃殿下、その妃殿下と滅茶苦茶仲が悪い王太后殿下までロイヤルファミリー総ざらい。もちろん王子殿下も二人とも参加です。
そこに主要貴族と国の功労者が招かれている、まあまあな規模のイベントなのよ。
「そんなイベントの最中に闇が現れたら大混乱でしょうね。混乱で済めば良いけれど。――入場者に怪しい素性の人間なんかいないパーティーだし、警備は主に外からの侵入者に備えて配置されるはずよ。少なくとも、突然会場内に湧いて出てくる幽霊の襲撃は想定していないでしょうね」
「幽霊に襲われるなんて、普通はだれも考えないものね……」
「そ、こ、で。アリスちゃん、ちょっと給仕のバイトをしてみない?」
「へ?」
突然エルダから話を振られたアリスは、『鳩が豆鉄砲を食ったよう』ってこんな顔なのかなというくらい、あっけに取られた顔をしている。――多分私も似たり寄ったりだと思うけど。
「私、実はパーティーの給仕に人をねじ込むくらいのことは簡単にできますのよ」
「うわあ……」
ふふん、と自信満々の顔をしているエルダに、私は思わず引いた声をあげた。
貴族子女がパーティーの給仕バイトをするというのは、ままある話ではあるのだけど……王室主催レベルのイベントに直前にねじ込むっていうのはさすがにない。ねじ込まれる人もだけど、エルダに命じられてねじ込む役の人も大変でしょうね……。
「え? 私、私が王家のパーティーに入り込むんですか!?」
アリスは真っ青な顔で「無理、無理です……」と、声を震わせている。
でもエルダはにこりと笑顔を浮かべた。
その顔を見て私はまた「うわあ」となる。エルダがだんだん喫茶店でネットワークビジネスの勧誘をしている人に見えてきたわ。
「ええ。こういったイベント事では給仕の人数が必要だから、貴族のご令嬢が行儀見習いがてら一時的なヘルプ要員として入るのは珍しくないのよ。給仕しながら良縁を探している常連の婿ハンター令嬢もいるくらいだし」
「ハンターなのに常連というのがもの悲しいわね」
いるわよね、合コンの帝王とか、女帝とか。
「それは言わないであげて。妥協を許さない人なのよ。――まあだから、アリスさんが会場にいても不思議はないの。ただ、本当に給仕として働くことにはなるのでそこは大変だし、無理にとは言わないわ」
「普通の給仕なら昔宿屋の食堂でお手伝いしていましたけれど、貴族のパーティーですよね……作法とか、偉い方のお顔を覚えるのとか……」
アリスは真っ青な顔で指折り不安要素をあげていく。
でもエルダは苦笑しつつ首を振った。
「一時的なヘルプだからそこまで厳密な作法は求められないわ。ベテランの指示を受けて動く裏方だし、招待客の前に一人で出ることはないはずよ。会場には私もユディもいるから困ったことになりそうだったら手助けできるし、ね?」
「そ、それなら、なんとか……?」
ああ、アリスの心が揺らぎ始めているわ。
説明をたたみかけて思考する時間を奪うのは悪徳商法の常套手段よ、アリス。
――とは言ってみたものの、実際問題アリスが会場にいてくれるのは非常に心強い。だって騎士の剣がどれだけ優れていようと、根本的に相手に通用しない可能性があるわけだし。
もしも本当に闇が会場に現れて、アレクト殿下やエルダが襲われているというのにだれもなすすべがないなんて、絶対に嫌だもの。
アリス頼りになってしまうのは心苦しいけれど……。
ごめんねアリス。せめてパーティー会場での作法の練習や、そのほか諸々、思いつく限りの準備は手伝うから……。




