31 闇の正体
今、とても、ものすごく後悔している。
まずは本題を先に話しておくべきだったわよね。
恥ずかしい。気まずい。今すぐここから逃げ出したい。
多分シドニア先生も似たようなものなんでしょうね。現在、部屋の中には微妙な空気が横たわっている。
とりあえず掴んだままの手は離すべきよね。離してあげないなんて言ったけど、比喩だし。っていうか先生の手、手専門タレントかってくらいに綺麗ね?
私だって前世に比べたら白魚のように綺麗だけど、これは自分で家事をする必要がないっていうのと、さらに毎日きちんとスキンケアをすることで維持しているのよ。先生は絶対にそういうことをしなさそうなのに、こんなに綺麗ってことでしょう?――くっ、これだから乙女ゲーの登場人物は。
「……爪が刺さっているんだが」
「はっ……すみません、憎しみが湧いてきて……」
「……ここまでの流れでなぜ突然憎しみが湧くんだ」
「先生の髪がサラサラで肌も綺麗なのがいけないんです。世の中の人々がどれだけ髪や肌のケアに時間をかけているとお思いですか。特別なケアは何もしていないなんて、女優のインタビューコメントじゃないんですから」
「……」
先生は眉をひそめてしばらく私のことを見つめた後、はああ、と重苦しいため息をついた。
「――それで、そもそも君は神事に関しての確認事項のすり合わせに来たのだろう?」
「そ、そうです。昨日あの後進展があって、ご相談したかったんです」
「進展……もしかして、昨日の発光現象が関係する話か」
「! ご存じなのですか」
「詳しくは知らないが、場所が教務棟の近くだったからな。光を見た教員が多くて話題になっていたんだ。その場に居合わせたエイダ・ランクがすぐに場を収めたのでそこまで大きな騒ぎにはならなかったようだが」
「エイダの諜報活動が役に立ちましたね」
「……その言葉は聞かなかったことにしよう。それで、相談とは」
「アリスさんのことなのですが――」
私は先生に、昨日エイダが見た『闇』襲撃の一部始終、それと、アリスが女神(と、思われる何か)から聖剣の役割についてチュートリアルを受けていたということを説明する。
そして、私の予想――Alice tale、もとい通常パターンにおける世界樹の伝承で「神馬→聖剣」の部分が語られていない理由は、『闇』と戦う必要がないためではないか――についても話した。
「聖剣が現れる鍵になるのは『闇』か。……世界樹の機能不全を引き起こすだけではなく、実体を持って……という表現が正しいかは不明だが、人を襲うというわけか」
「そのようです。今回襲われたのは一般の生徒で、……ええと、アリスさんが主人公だった場合の攻略対象者の一人ではあるんですけど、特に何かものすごい秘密を抱えているような生徒ではないんです。ですので、彼が狙われた理由が彼自身にあるのか、たまたまあの場所にいたからなのか、それとも聖剣であるアリスさんと一緒にいたからなのか、そのあたりはよく分からないですね」
せめてターゲットが分かれば、その人に目を光らせることができるんだけどねえ。
シドニア先生は腕組みをして考え込んだ。
「……君の予想に沿って考えると、主人公が違ったとしても、攻略対象者というのは聖剣となる可能性がある人物だとも言える。闇にとって天敵たる聖剣の資質を持った者を潰しておこうとするのは合理的な判断だろう。アリス・アスタルテがその場にいたから、というのも同じ理由で説明できる」
ふむ。
それだと、攻略対象者とアリスが危険かもってことね。
既に卒業しちゃってアカデミアにいない人の護衛までは難しいかも。約一名卒業生がいるけど、卒業後は確か外国に行っちゃってるはずなのよ。
私がうーん、と唸っているのを横目に先生は話を続ける。
「問題は襲われた理由が『場所』にあった場合だな。あの場所は教務棟に近い。知っての通り、あそこには生徒会室があるだろう?」
「……もしや、王族が狙われているとおっしゃっています?」
私は思わず声を潜めた。
生徒会の役員は基本的に王族、もしくは王家と縁の深い者が務めることになっている。
アカデミアは身分なんて気にしないよ! と言っていても、結局のところ様々な地位の貴族たちをまとめないといけないから、やはりトップには権威が必要なの。
現在はもちろんアレクト殿下が生徒会長を務めているし、ロベルト殿下が会長補佐、それについでにエルダも書記として名を連ねている。
「神馬は大きな戦争や災害があった後に闇が生まれやすいと言っていたのだろう? 直近でそういった出来事といえば二百年前の継承戦争だ」
二百年前、当時の王は悪政を敷いて民を苦しめたのだと伝わっている。そこで立ち上がったのが、当時の騎士団長。傍系であり正式な継承権を持たなかった彼は、在位していた王を倒し、簒奪の形で王となった。
正当な王と傍系の騎士王。どちらを支持するかで国は二分され――といっても民衆は悪い王様から救ってくれる騎士の味方をするわね普通。だから戦いの構図は、ざっくり言って王家と貴族 vs 騎士と民衆。そういう経緯なので、各所でかなり激しい戦いがあったという記録がある。
我がエルミニア家は早々に中立を宣言して、避難する民衆の保護と他国からの侵略に目を光らせる役に回ったらしい。それを現王家に評価されて今の地位にいるという……のは余談ね。
「闇の正体が、過去の王家側として戦って命を落とした人たちの怨念でできている、というなら、確かに王族を狙う理由になりますね」
「アカデミアは以前の王城があった場所に建てられているからな。現れる場所としてもぴったりだろう」
「え、ここはそんな来歴のある土地なのですか?」
「ああ。騎士王の方に民意や正当性があったとは言っても結局のところ簒奪だからな。惨劇の現場となった前の王城は取り壊され、同時に隠し通路なども徹底的に検められた。そうして更地になった場所に建てられたのがアカデミアだ。そういう血塗られた側面は積極的には伝えられない。が、記録自体は残っているし、王城の資料室なら具体的にあの庭の位置に元々何があったのかまで分かると思うが――」
「……なんだかこれ以上王家のセンシティブな部分に触れるのは反意ありとみなされそうで怖いので今はやめておきます」
「これ以上? 何かやったのか?」
眉をひそめた先生の態度に、さすがの私も顔がひきつる。
「……やったというか、これからやるんですよ。男性連れで王家のパーティーに参加するということを。まさか、もう、お忘れですか?」
「――ああ、そういえばそうか。王子殿下の相手を横取りするんだったな。そのあたりのパワーゲームに興味がなくて失念していた」
「興味……はあ、ユニオン兄様がリュカ兄様を異常に気に入っている理由が、今よく分かりました」
「あいつはただ単に自分や権力のある連中に逆らう人間が好きな変態だろう」
「そういう側面があることを否定はいたしませんが、人の兄を変態と呼ぶのはやめてください」
「失礼。異常者だったな」
失礼という謝罪が前置きされた意味が分からない。
先生はユニオン兄様に対して色々思うところがありそうだし、これ以上引っ張ったらスラングでも飛び出してきてしまうかもしれない。ここはおとなしく話を戻すことにする。
「……総合すると、地歴から考えて闇が出没する可能性が高いのはアカデミア内で、そして狙われるのは攻略対象者または王家に連なる者だと推定される、と」
「継承戦争が引き金になっている、という前提付きだが」
「ええ。それにしても王族関係となると、こういった推理の段階でこちらから注意を呼びかけるのはまず不可能ですね。内容が内容ですし。……ひとまずエイダにそれとなく注意してもらうよう頼んでみます」
昔の戦争で恨みを持った怨霊が襲ってくるかもしれないので気をつけてください。なんてとてもじゃないけど言えない。せめてもう少し証拠が揃わないとね。
アレクト殿下にはフロディンがついているし、殿下自身も優秀な剣の使い手なので敵に襲われてもそんなに簡単にやられることはないと思う、けど相手は、エイダ曰くガス状の幽霊。剣が効くのかどうかもよく分からないし、眠っているところに気配もなく現れて……なんてことになったら……うう、考えたくない。
それよりも今は過去の記録を集めて対策を立てなきゃね。
「……それで神殿の方なのですが、その闇に関する記録が残っていないか照会したいのです。聖剣云々は遊牧民の口伝で語られていた話ですし、きちんとした文字での記録は残っていない可能性が高いと思いますが、『女神の威光で出現した闇が払えた』という話ならば教会としては記録しておきたい情報ですよね?」
「そうだな。だが、逆に女神の威光が弱まったせいで闇があふれたと解釈されていたら記録が消されているかもしれないが。……何にせよ、ひとまず期間を絞って闇に関する記録を調べてもらうよう頼んでみる。期間は、遊牧民族の国家だったガレリアがベスタ国に吸収される少し前の時代からさかのぼって、大きな災害や戦争があるところまで……といったところか」
「そうですね。それと並行して、同時期に民間の記録などで魔物や幽霊が話題になっていたことがないか、ユニオン兄様に確認してみますね」
私がユニオン兄様の名前を出した瞬間、分かりやすく先生が嫌な顔をした。どんだけ嫌なのよ。
「私にユニオンのあの記憶力があればもっと有効活用するのに」
「誰をいつ家に招いたといったことも完璧に覚えているらしいので、ある意味有効活用されていますよ」
確かに研究なんかに活用したらすごそうだけど、一応ユニオン兄様もパリピスキルとして活用しているのよ?
「はあ、まあ侯爵家となるとそういうことが重要になるか」
「ええ、ユニオン兄様の記憶力とエイダの諜報能力が合わさったら、完全な監視国家が築けそうですね」
「不穏なことを言うな……」
先生はさらに嫌そうに眉根を寄せた。
うん、自分で言っておいて、私もそんな国は嫌だなって思ったわ。




