30 チャンスをあげよう
結局、アリスにはゲームのことは話さなかった。
だって、この世界は作り物かもしれません、なんて言われて受け入れられる人って、そうはいないでしょう?
エルダみたいに面白がったり、シドニア先生みたいにさらっと流せたりする人ってかなりレアだと思う。ましてアリスは、現在まさに攻略されている最中の攻略対象者だしね……。
だから、ゲームについて話すのはちょっと様子を見てからにすることにした。
とにかく、昨日話をしてアリスが聖剣の力を使えるということは分かったけれど、『闇』というものの詳細は全く分からなかった。
いつ、どんな時に現れて、そして何をするのか――そういう肝心なところが分からなければ残念ながら備えようがない。まさかアリスがアカデミア中を常時巡回するわけにもいかないし、それにアカデミアの外なんていったら完全にお手上げだし。
何回か出現してくれれば傾向が掴めるかもしれないけど、今のところ一例だけだからね。
だからひとまず神殿の記録で、『闇』と『過去に行われた聖剣の剣舞』ついて調べるつもりでいる。
ただ、剣舞の記録は多分残っていないだろう。
過去に聖剣が現れたのはお隣の国だし、しかも領地として吸収される前の遊牧民の土地だ。我が国どころかお隣の国の神殿にだって記録がないかもしれない。
でも、もしかしたら『闇』が現れて暴れていたという記録ならばあるかもしれない。つまり、最優先で調べるのはまず『闇』を彷彿とさせる記録がないかどうか、ね。
それと、もしそんな魔物っぽいものが暴れていたならば、神殿とは関係なく、当時の事件とか日常的な記録とかの中で触れられているかもしれない。
こっちについては、出現していたと思われる時期をある程度絞って、ユニオン兄様にそういう記録を見たことがないか確認するのが早いでしょうね。
そして、――今日ここから私の戦いが始まる。
私が足を止めたのは研究棟の一室の前。もちろんシドニア先生の部屋の前。
なにはともあれまず、入ったら即謝罪。
昨日のアレクト殿下お怒り事件と、ユニオン兄様からの迷惑メール事件の二つについて謝り倒さねばならないわ。
迷惑メールの方は、先生の方からはエスコートを断りにくいだろうから、私からお父様に話をするつもりでいる。親戚の誰かにお願いするかそれか一人で行くってことになるでしょうね。
本題は神殿の記録で調べたいことの整理なんだけどね。
本題の前の謝罪タイムが戦いなの……。
眉間に寄ったシワを指で伸ばしてから扉をノックすると、中から返事が返ってきた。
失礼しますと声をかけて入ると、先生は奥の机で仕事をしていた。ぱっとみた感じ、授業レポートのチェックかも。
でもそんなことよりも、まず。
「先生、申し訳ありませんでした!!」
先生が何か言う前に、私はバッと頭を下げて勢いよく謝罪した。
「……頭を上げなさい、エルミニア。君は何に対して謝罪している?」
「え? えーと……昨日私が鍵をかけたせいでアレクト殿下が先生を責めたこと――あ、これについては殿下に誤解だという話はすでにしてありますのでご安心ください。あとは、兄から投下された爆弾のことについてです」
「誤解、ね。……しかし、実の兄からの手紙を爆弾とは」
呆れたような先生のその言葉に、私は顔を上げて両手の拳をぎゅっと握る。
「爆弾以外の何物でもありません! 先生にエスコートをお願いするなんて……! 兄がどのような理由を付けたのか分かりませんが、断っていただいて問題ありませんから。叔父やいとこに頼むつもりですのでお気になさらないでください」
「――ユニオンの手紙は不快そのものの内容だったが、君のエスコート役は、君が嫌ではないのなら受けたいと思っている」
「ええ、ガーデンパーティーですからエスコートなしでもかまいませんし……」
ん? あれ?
思わず首を傾げ、先生を見つめた。
「今なんとおっしゃいましたか?」
「君が嫌でなければエスコート役を引き受ける、と」
ぱちくり、とまばたきをする。
そうして、私はさっきとは反対側に首を傾げた。
「……先生、以前、汚れた現実と向き合いたくないから人間とは関係のない歴史の研究をしているとおっしゃっていましたが、まさか向き合わなさすぎて王室主催の意味もエスコートの意味もお忘れになったんですか?」
王室主催のパーティーに、王太子殿下の婚約者候補って噂されている女性が、別の男性と参加するのよ?
それって、正式じゃないとはいえ、「私にはすでに決まった方がおります」っていう意味になるのよ?
困ったことにそれなりに注目されている私の『決まった方』の役をするってことは、先生だって、私と将来を誓った相手としてものすごく注目されちゃうのよ……!?
「君は本当に、聖女だなどと呼ばれているとは思えない口の悪さだな。いくら私でも今回のパーティーの主催が王室であることも、そこで君の手を取ることが何を意味するのかも分かっているさ」
「も、もしかして……ユニオン兄様に何か弱みでも握られているのですか?」
「どうしてそういう発想になる……。弱みは握られていな――い、とは言い切れないが、それとこれとは関係がない」
「……では先生、失礼ですが正気ですか? 何かこう、幻覚作用のあるものを口になさった記憶は?」
私は割と真面目に聞いたんだけど、先生は眉間に手を当て、頭痛に耐えるような顔をした。
「……拒否されることは想定していたが、正気を疑われた上に幻覚を見ていると心配されるとは思わなかった」
「だ、だって、先生の今後の人生に影響が出てしまいかねないんですよ? 兄は手紙で何と書いてきたんですか? 本当に脅迫ではないんですか?」
憮然とした面持ちの先生は視線を机の引き出しに走らせ――多分そこに手紙が入れてあるのだろう――ものすごく言いにくそうな様子で口を開いた。
「……本気でユディを口説く気があるならチャンスをあげよう、だそうだ」
「……は……!?」
?????
口説く? チャンス? 私は思わずぽかんと口を開けて先生をまじまじと見てしまった。流石にはしたないので慌てて口を閉じたのだけれど、先生の方は私のことを見ていなかった。
顔はこちらに向いているけど、微妙に目をそらして合わせてくれない。
「君は王子殿下と婚約したくないんだろう? だがこのままいけば、第一か第二かは分からんが、ほぼ間違いなくどちらかの王子の婚約者として君に声がかかるだろう。当然、王室から正式に縁談が持ちかけられてしまえば断るのは困難だ。……だが、今の時点で、すでに他に相手がいるということにしておけば、穏当に候補から外れることができる」
「それはそうですけれど……。私の相手役など、どうあっても注目を浴びます。一時的にフリをするだけでも、今後先生には縁談が来にくくなるかもしれませんよ」
事実がどうであれ、周りからは『次期王妃候補だった侯爵令嬢と付き合っていたのに結局破談になった』なんて噂されてしまう。そんなの外聞が悪いどころの話じゃない。さらに、そんな理由で王室から睨まれている可能性がある男性のところへ娘を嫁にやりたいという家はまずないだろう。
それに、評判が悪くなったら研究予算だってつきにくくなるかもしれない。
だけど先生は、そうやって心配をする私に対してやや不愉快そうな顔をした。
「だからそんなことは分かっている。別に今後縁談なんて来なくてもいい」
「……どうして、そこまで私を助けてくださるのですか?」
「っ――君こそ、どうしてそこまで頑なに俺の心配ばかりする? それとも、俺の申し出が迷惑で遠回しに断ろうとしているなら、はっきりとそう言ってもらって構わない」
「ち、違います! 迷惑だなんて……ただ、先生は、私が殿下との婚約を望んでいないことを信じていなかったでしょう? なぜ急に積極的に手伝ってくださるのかが不思議で……」
「君が、少しでもアレクト殿下との婚約や婚姻を望んでいるなら口出しするつもりなどなかったさ。それに俺は、君のような家柄の女性は王族の一員になることを望むのが当然だと思っていた」
うーん。まあ確かに一般的にはそうなのかも。
でも私は最初に言ったのに。ピンヒールで足を蹴り合うような世界で生きていける自信はないって。
「……君がずっと何かを隠しているというのは分かっていた。だから、まさか本音を言っているとは思わなかったんだ」
「あ……確かに、それは疑われても仕方がないですね」
なるほど。私はこれまで前世の記憶のことを隠しながら話していたから、先生はあちこちで違和感を抱いていたのね。
それで、本当はアレクト殿下に憧れているけど何か理由があって言えない――みたいに解釈していたっていうことか。
「でも君は、重大な隠し事を俺に話した上で、なおかつその気はないとはっきり言ったからな。ならばこちらも遠慮をしないことにしたんだ」
「遠慮……?」
「だから、君を口説くことにした」
「????」
えーと、アレクト殿下と婚約したくないっていうのを信じてくれたから、遠慮せずに口説くことにした、と。
うーんと? 口説くってどういう意味だっけ?
ちょっと意味が理解できないな。脳内が処理落ちしているみたい。
「君は普段なら頭も口も回るくせに、なんで分からないんだ。……俺は、初めて会った時からずっと君のことが好きだった。――これで理解できるか」
「初めて……ということは私が十歳……十一歳の時? もしや先生はロリコン?」
「違う! なんでそこに引っかかるんだっ……君はあの時十一だったかもしれないが俺だって十五だった! それに君は見た目も態度も大人びていたし――あんなにきれいな女の子に親しく振る舞われたら好きになるに決まっているだろう!」
自棄のように勢いよく言い切った先生は、耳まで真っ赤になっている。ちょ……ええ?
「やだ……先生ってば純情……」
「ああそうだよ! 悪いか! ……くそ、だから言いたくなかったんだ。ユニオンにも散々からかわれたし」
「え!? ユニオン兄様は、先生が、私のことを……その、好き、だって知っていたんですか」
「ああ。昔からな。それで事ある毎にからかってくるから、今まで手紙が来ても全て無視していた。――そうしたらアカデミアに印章付きの手紙を直接持参するなんて荒業をとってきたんだ。さすがにそれは無視できないからな」
あっ、なるほど。
アカデミアに使用人派遣なんていう突拍子もない行動の理由はそれか。
「いつまでもうじうじと片思いしていないで王子に連れていかれる前に口説いたらどうだ、と。――そんな内容の手紙だというのに、なんとエルミニア現侯爵閣下の署名まで入っていた」
「おっ……お父様の署名、ということは……」
「ああ。侯爵閣下もこの内容をご存じだ」
「……ユニオン兄様……」
脳裏に、すっごい良い笑顔のユニオン兄様の姿が浮かぶ。ついでにお父様も。基本同じ人種だからね、あの二人。
思わず頭を抱えてしまった私の目の前に、すっと手が差し出された。
「だから、彼らがチャンスをくれると言うんだからお言葉に甘えるさ。――ユディ。君の手を取る栄誉を俺に与えてもらえないだろうか」
先生が真面目な顔で差し出してきた手を、私はまじまじと見つめた。
そういえばさっきから先生は自分のことを『俺』と言っているし、私のことは『ユディ』と呼んでいる。
今この人は、アカデミアの先生として話をしているわけじゃないのだわ。
本当にこの手を取って良いのかしら。
迷惑を……ううん、本人がいいって言ったんだから。
「喜んで――でも、いいんですか、リュカ兄様」
本当だったらこういう場合、手はそっと乗せるだけ。
だけど私はあえて強く握って、挑むように見上げた。考え直すなら今のうちよ?
「あとで後悔したって離してあげませんからね?」
リュカ兄様は片眉を上げ、面白がるような顔をした。
「幸いなことに、今のところ後悔する予定はないんだ」




