3 極めた結果が茂みの影だった
「で、海より深い理由とは?」
シドニア先生は椅子に腰かけ、長い脚を組んだ状態で眼鏡の向こう側から刺すような視線を向けてくる。
茂みの裏で、「ここでは言えない事情です」と言い張ったら先生の研究室に連れてこられたでござる。
一応未婚の男女であるので、研究室のドアは少し開いている。私がちらり、とそちらに目を向けると先生はわざとらしくため息をついた。
「安心しなさい。私が君に何かするということはない。あるとすれば君を警備兵に突き出すくらいだ」
警備兵がなかなか先生の選択肢から消えてくれない。
私はさっきから一生懸命海より深い理由を考えていたのだが、干潟の浅瀬くらいの水深の理由しか浮かんでこない。干潮時の干潟ね。
もういっそ、本当のことを話した方がいいのではないだろうか。
前世とか、聖女とか、王太子妃とか……単なる痛いやつとして呆れて解放してくれ……るかなぁ。
「……アレクト王子殿下の視界に入りたくないのです。出来る限り。それを極めた結果が茂みの影だったんですの」
「……問題を切り分けよう。まず視界に入りたくないとは、なにか王子殿下に対して後ろめたいことでもあるのか?」
しまった、疑いの視線が強まっている。我が国の王子様の視界に入りたくないくらいに後ろめたい事情っていうとなんだかヤバそうな匂いがするものね。
変に隠したり嘘をついたりしても墓穴を掘るだけのような気がする……とりあえず、現状での事実だけ並べてみよう。
前世や聖女様についてはさすがに気安く話したくないのでそれは隠すけど。
「……あくまでも客観的にですが、私は第一王子殿下の婚約者としてとても条件がいいのです。家柄、学業の成績、素行も良く、それに見た目もそれなりですもの。もし万が一王子殿下のお目に留まってしまえば、王太子妃の候補として声がかかってしまうかもしれません。それを防ぎたいのです」
「素行がいいかどうかは先程の行動を見てしまうと頷きかねるが……その他の条件でいえば確かに君は候補としてはトップクラスだろうな。……しかし、防ぎたいとは?君にとって王太子妃というのは望ましいことではないのか?」
「ええ、そうです。大変光栄ですわ。光栄ですが、私個人にとっては望ましいことではないのです……これは、秘密にしてください。後ろめたいといえばこれが後ろめたいことですね」
どうだ、それほどおかしくないだろう。
シドニア先生も説明自体にはそれほど疑問は感じなかったようだ。
だが、気になることがあったようで私を見て少し眉をひそめた。
「……他に思う相手でも……いや、それは私が聞くことではないな。それで、王子殿下から逃げる途中でアリス・アスタルテのダンスに気を取られたと」
「ええ。実は彼女がダンスの練習をしているのを見かけるのは二度目なのですが、前回から比べても上達しているとはいいがたい状態でしたから……このままでは試験をクリアできないのではないかと心配になってしまって」
本当はダンスの練習など初めて見たがそれくらいの脚色は許されるだろう。彼女の落第を心配してるのは本当だし。
「ああ、彼女は……家庭の事情があって入学前に十分な学習が出来なかったそうだからな」
シドニア先生は少し言いにくそうに言った。
アリス・アスタルテが庶民であったという事情は噂で広まってはいるのだが、一応公式にオープンになっている情報ではない。
私としても、ゲーム知識により彼女の事情を知りすぎている部分があり、ちょっとぼかしておきたいのでそれは都合がいい。
「彼女に関する噂は色々聞き及んでいます。面白おかしく尾ひれがついているとは思いますが……もし本当に学習のチャンスが得られなかったのであれば何かお手伝いは出来ないかと思っているのです」
「……君が彼女の学習の補助をすると?」
「出来れば。ただ、私は彼女と接点がないので突然申し出ても逆にご迷惑になるのではないかと思案しておりました。――先生はなにか良い案をお持ちではないでしょうか?」
教師ネットワークで何とかなりませんかー?
上目づかいで先生を見つめてみる。先生はしばらく考えた後口を開いた。
「……そうだな、彼女を受け持つ教員に提案するくらいであれば出来るが。君ならば教員の信用もあるだろうし仲介を買って出てくれるだろう」
「本当ですか! ありがとうございます!」
なんと、ダメもとだったのにすんなりと話が進みそう!
思わず弾んだ声を出した私を見て、シドニア先生は不審そうに片眉を上げた。
「なぜそこまで彼女を気にするんだ? こう言ってはなんだが、彼女が落第したとて君には関係のないことだろう」
ありますし!!!
私どころか世界中が関係ありますし!!!
でもさすがに現時点で聖女が、世界が、と言っても、何言ってんのこいつ怖ッ……ってなるだろうし、何かこう……立派な感じの設定をつけておこう。
「私が先生方の信用を勝ち得る程度に学業の成績を残せるのは私がエルミニア侯爵家の娘だからです。もしも私が彼女と同じ立場であれば同様に窮地に立たされていたでしょう――もちろん、私の知らないところで他にもそういった方々がいるのは知っています。……ですが私は偶然彼女を見かけ窮地を知りました。縁が生まれて、知ったからには見て見ぬふりはできません。私にできる手助けをしたいのです」
すごい。私すごい立派なこと言ってる。よくもまあ口から滔々と立派な言葉が出てくるもんだと自分で感心してしまうわ。
副音声がついてたら、『バッドエンドやだし王子とも結婚したくないからアリスに頑張ってもらいたい』っていうどうしようもない本音が聞こえただろうね。
でもそんな副音声を聞く能力は持ち合わせていなかったらしいシドニア先生は「そうか」とフッと笑った。
あらやだイケメンはちょっと笑うだけで絵になりますね。
灰色の長い髪を無造作に一つに束ね、黒いフレームの眼鏡の奥には金色の瞳。学者っぽい線の細さといつもちょっと不機嫌そうな無表情――髪の毛さえ長くなければ割と好きな見た目なんだけどね。
サラッサラの長髪は駄目なのよ。前世からのジェラシーが勝ってしまう。
――それにしても予想よりもすんなりと話を聞いてくれたことに逆に不信感が湧いてくるけど……。
まあ彼も攻略対象者なので、アリス嬢に有利な展開になる限り協力的なのかもしれない。
確か彼は初期の好感度が高めなので攻略しやすかったはずだ。
あ、だからアリス嬢をストーキングしてそうな私を捕まえたのかな。ありそう。
それならば学習に協力したいっていうのに手を貸してくれる理由も分かるし。
シドニア先生のルートは確か……そうだ、研究室の窓から見える裏庭の隅で熱心にダンスの練習をするアリス嬢の姿に感心して、それから彼女を気にかけるようになるのだ。
そして、勉強の質問をしに研究室を数回訪れることでルート確定。要は勉強熱心な子が好きなのだろう。
そして、教師と生徒という関係のためか、他の攻略キャラに比べて甘さは控えめのシナリオだった。
今回はダンスの練習をするアリス嬢ではなく、不審な動きをする私が先生の視線をさらってしまったわけだ。
うむ、不本意。
私は第一王子×アリスが見たいけれど、あくまでも自然に惹かれ合ってほしいのであってアリス自身の意向を無視してくっつけたいわけではない。
なので、他の攻略対象キャラとのチャンスを潰すつもりはないのだ。
少なくともルート確定までは出会いイベントや個別イベントの邪魔をしないように気をつけなければ……。
アリス嬢の学習の手伝いをしつつ、なおかつ全キャラの主要なイベントの邪魔はしないように立ち回らなければならない。
もひとつオマケに私と第一王子のフラグが立たないように折るのも忘れずに。
……こいつぁー忙しくなってきやがったぜ。
その後。シドニア先生はすぐに動いてくれたらしく、翌日にはアリス嬢のダンスを受け持つ先生からお声がかかった。
「アスタルテさんのことは気にしてはいたのだけれど、なかなかうまく教えてあげられなくて……貴女のように優秀な人が見てくれるなら安心できるわ。彼女をお願いね」
「はい。私にできる限りのことはさせていただきます」
「ええ……頑張ってね……」
先生が若干遠い目をしていたのは気になったが、なにはともあれ私はアリス・アスタルテの専属コーチの座を獲得したのだった。