29 前から知っていた
「えっ!?」
「ごっ、めんなさい、混乱しました。忘れてください」
「あはははははは、ユディが、取り繕えないくらい焦ってる。面白すぎ。アリスさんグッジョブ!」
慌てて言葉に詰まる私を見て、エルダは大笑いを始めた。およそ貴族令嬢としてはふさわしくない豪快な笑い方だ。しかもグッジョブなんて下町言葉だし。
案の定、エルダの様子とくだけた言葉遣いにアリスは目を白黒させている。
「えっ、ぐっじょぶ? え?」
「エルダ……」
このやろう、という気持ちを込めて半眼で睨みつけるけれど、エルダは楽しそうに笑い続ける。
「はあお腹痛い。アリスさん楽にしていいわ。もっとフランクに話しましょ? 薄々分かってたと思うけど、私は本来こういう性格だしユディだって似たようなものだから」
「楽にしていいというのは賛同するけど、エルダと似たようなものだなんて言われるのは遺憾だわ」
「ユディはね、こんな風に口は悪いし、面倒なことは嫌いだし、部屋ではだらだら過ごすのが好きだし、常に外面取り繕ってるのよ」
「……放っておいて」
そうよ。本当はだらだらゴロゴロして暮らしたいのよ。そのために問題は起こしたくないから外面は大事でしょ?
こんな奴が聖女だなんて十人中九人にがっかりされる。残り一人は、世の中そんなもんだよねって納得してくれるかもしれないっていう希望的観測よ。
だから、エルダが続けた言葉に私は目を丸くした。
「――でもね、面倒見がいいのも優しいのも、みんなの幸せを願ってるのも全部ユディの本当なのよ。だからユディが聖女だっていうの、私は納得だわ」
は? 何なの、いきなり褒められたら照れるじゃない。あ、もしかして持ち上げて落とすヤツ? 落差が大きいほどダメージを与えられるってヤツよね。
でもそのエルダの言葉に触発されてしまったのか、アリスが敢然と顔を上げた。
「わ、私もそう思います! ユディト様が聖女様だって、ただそう感じるだけで理由は説明できないんです。きっとこれが女神さまの仰っていた『分かる』っていうことだと思うんですけど――それは別にしても、私が聖女様を選ぶとしたらユディト様しかいないと思っています。ユディト様は本当に素敵な方ですから!」
「う……はい……」
前のめりになって力説してくれるアリスがあまりに必死で、なんていうか……。そんなに熱く褒められると、恥ずかしい……。
「ユディがそんなに真っ赤になってるの初めて見た。ユディがアリスさんを可愛がる気持ちが分かるわぁ」
「……でしょう? 可愛いのよ、アリスさんは」
私はため息をつき、小さく両手を挙げてエルダに降参の意志を示した。
もう、取り繕ってないでちゃんと話せってことでしょう?
だってアリスさんはきっと一番話しにくいであろう聖剣のことを私たちに話してくれたんだもの。
「かっ、可愛い!?」
私の言葉でアリスさんの頬がぽぽぽと赤く染まる。
うーん、百合属性はないけどドキドキしちゃうくらい可愛いわー。
「先に謝っておきますね、ごめんなさい、アリスさん。実は私、アリスさんが聖剣だということは前から知っていたんです」
「……え、知ってた?」
「ええ。昨年の、乗馬の練習の時から」
「! ――私が女神様の夢を見たのは、あの日でした」
じゃあ、クロリスがアリスに徴を与えたその日に女神の託宣を受けたってことね。
「クロリスを覚えていますか? アリスさんが乗った白馬の名前ですが」
「はい、もちろん」
「彼は私に、自分が女神の使いの神馬であること、聖剣の徴をアリスさんに与えたことを告げたんです」
「……クロリスが話したんですか?」
「……アリスさんの言いたいことは分かります。私も普段から馬の言葉が分かるわけではないんです。クロリスも、私が彼と会話できるのはイレギュラーな事態だと言っていましたし」
これはきっと転生特典的なものじゃないかと思う。
前世が馬だった……わけじゃないはず。
「そして先日、再度クロリスに会って話をしてきました。そこで彼は、聖女が既に選定されていると言っていました。ですので、聖剣であるアリスさんが私を聖女だというのであれば、私が聖女で間違いないのだと思います」
「そうなんですね……」
アリスは本当にホッとしたという顔をしていた。
よくわかんないけど聖女だと思う、なんて相手に言っても信じてもらえないだろうって思うもんね普通。女神様、その辺のアフターフォローをちゃんとしようよ。
「私はユディからその辺の話を聞いていてね。だから今日の『闇』? を消した光を見て、『あ、これが聖剣の力ってやつね』って思ったのよ。それで、詳しい話を聞くために声かけたの。ユディとも直接話をした方がいいとも思ったしね」
なるほど。確かに聖剣の力が発露しているのであれば直接話を聞きたい。これはエルダの機転に感謝ね。……覗きはどうかと思うけどね。
「アリスさんが聖剣だと聞いた時点で、私はアリスさんと同様に神馬や聖剣のことを知りませんでした。だから歴史の研究をしているシドニア先生に協力してもらって世界樹の伝承を調べていて――外国の伝承の中に一つだけ、神馬や聖剣の徴について言及しているものを見つけました。今は、もう少し細かく調べるために神殿の記録を調べさせてもらおうとしているところなんです。もしかしたら神殿なら『闇』についての記述があるかもしれません」
「ユディト様は、凄いんですね……私も気になって図書館で少し調べましたけど、全然たどり着けませんでした」
アリスがほわーっと目を輝かせて私を見つめる。
私は慌てて手をパタパタと振った。これは私のお手柄じゃないんだもの。
「私がここまでたどり着けたのは、シドニア先生がそういう記述のある本を過去に読んでいて、覚えていたからです。それに兄の力も借りましたし……」
「ユディト様のお兄様、というとエルミニア次期公爵様ですね。とても優秀な方だと聞きました」
貴族の常識として、上位の貴族の当主や次期当主の名前や顔は教え込まれるものなので、アリスもユニオン兄様の基本情報は知っているらしい。優秀だけどうざい、というところまで知っているかどうかが気になるところね。
そこでエルダが「あ」と声を上げて私の机を指さした。
「ユニオン様と言えば、ユニオン様からユディにお手紙来てたわ」
「手紙? 私にも?」
机の上に置かれた封筒。シドニア先生のところに来ていたものとは違って、こっちは封蝋をされておらず、気軽な手紙という感じだ。
癖のあるユニオン兄様のサインが記された封筒を開いて、目を通す。
――パサッ
「ユディ? どうしたの?」
「……」
手の力が抜けて、便箋を落としてしまった音にエルダが首を傾げた。
私はギギギッと、ぎこちない動きでエルダに目を向けた。
「来週の、王室主催のガーデンパーティーに兄様の代理として参加せよ、と」
「また、急ね。私が言えた義理じゃないけどセレアリアよりも前じゃない。――まあ夜会とか舞踏会とかじゃなくてガーデンパーティーだからまだいいけど」
「そうね……そうなんだけど……」
問題は、便箋の一番下に小さく書かれた内容だった。
『P.S. エスコート役はリュカに頼んでおいたから』
ユニオン兄様、頼んでおいたって、アレですよね。今日先生が受け取ってた手紙のことですよね。
あの、先生がめっちゃ睨んでた手紙のことですよね!?
頼んでおいたっていうのは、普通は事前に承諾を得ておいたっていう時に使う言葉でしょ!?
でも、これ、どう考えても先生と私に同時着弾してるじゃないですか!!!!!
王室主催のパーティーに、近親者以外の男性のエスコートで行くって、ユニオン兄様意味わかってますよね?
先生だってこんなの困るだろうし、断るに決まってる。
うう……それは分かってるけど地味にショックだし……。
これ、ユニオン兄様は明らかに私の片思いに気付いてるわよね。そしてこれはもしや応援しているつもりなのかしら。
「兄様……やっぱりうざい……」
「ユディ、本音漏れてるわよー?」
私の口から漏れ出した呪詛にも似た声に、エルダは苦笑を浮かべて、私の背中を慰めるように叩いてくれた。




