27 幽霊騒ぎイベント
しょぼしょぼと部屋に戻り、扉を開けた私の目に飛び込んできたのは美少女をベッドに押し倒しているエルダの姿だった。
「……ごめんなさい、部屋を間違えてしまったみたい」
「ゆっ……ユディト様~!!!」
混乱の極致で、思わずスッと扉を閉めようとしたけれど、よく見たら真っ赤な顔で涙目になっている美少女は、アリス・アスタルテだった。
私は一足飛びにベッドの横まで移動し、持っていた手提げかばんでエルダの頭をパコンと叩いた。今日はノート類しか入ってないから、そんなに痛くはないと思う。
「……何をしているの、エルダ。寮監か警備に突き出されたくなければ、今すぐアリスさんを解放して床に正座なさい」
「いやー、臨場感のある場面描写の参考にしたくて。ユディは押し倒してもこういう反応してくれないし」
アリスを解放したエルダは「びっくりさせてごめんねー」と彼女に謝りながら律儀にも床におりて正座をした。
床に正座する公爵家の娘と、その前に仁王立ちする侯爵家の娘という、ある意味頂上決戦的な光景にアリスは顔を真っ青にして固まっていたのだが、エルダの『ユディは押し倒しても』というあたりで真っ赤になって私とエルダの顔を交互に見た。
うわあ……アリスの中でなにかとんでもない誤解が生まれている気がする!!
「無理やり押し倒すのは犯罪よ。あと過去に私を押し倒したことがあるような言い回しはやめてくれる? 名誉毀損で訴えるわよ」
「ユディが思いつめた顔してたから冗談で場を和ませようかと」
「それで場が和むと判断した貴女の思考回路が心配よ。それに、私が思いつめている原因の半分は貴女にあるのだけど、わかってる?」
「もしかしてそれは春の乙女のこと?」
「……そうよ」
はあ、と思わずため息が漏れる。
――って、そうじゃない。春の乙女のこともあるけど今はアリスのことよ!
ベッドの上に縮こまっているアリスに顔を向け、できるだけ優しい声を出す。
「アリスさん、大丈夫? 嫌なことはされていませんか? ――ああ、言いたくないことは言わなくても大丈夫ですよ。我が家の顧問弁護士に相談できるよう手配するので安心してください」
「えっ、いえ、そんな……」
「わあ……ユディが法的な手続きをとろうとしてる」
「それはそうよ。身分が上の上級生の命令なんて嫌な顔すら出来ないものでしょう? 片方はふざけてるつもりでも相手は傷ついてるかもしれないのよ?」
腰に手を当ててエルダを見下ろしていると、アリスが慌てた様子で私とエルダの間に割って入った。
「あの、大丈夫ですユディト様! 本当にふざけていただけというか……とにかく、酷いことをされたわけではありません!」
「……本当に? 今はショックが強すぎて、平気だと思っても後から辛くなるかもしれませんから、いつでも遠慮なく相談してくださいね?」
このリアクションは多分本当にふざけていただけ、かな?
さっきの、シドニア先生に怒るアレクト殿下を止めようとした私と同じ雰囲気を感じるし……うっ、心が痛む。
私だってさすがにエルダが、いくら取材とはいえ、相手の名誉を汚すようなおかしなことをするとは別に思ってないわ。だけどね、公爵令嬢なんて庶民から見たら逆らうことなんて考えることすら出来ない存在だもの。 私やエルダからしたらちょっとしたふざけたじゃれ合いだとしても、アリスは元々貴族として暮らしてきていないのだし、実は恐怖を感じてるかもしれないでしょ?
アリスはそんな風に心配している私を見て、困ったような喜んでいるような悲しんでいるような――まあとにかく複雑な表情を浮かべていた。
そこに、まだぴしりと正座をしたままだったエルダが挙手をした。
「ユディの私への信頼が限りなくゼロに近いことはわかったけど弁明させてくれる?」
「安心して。ゼロに近くなんてないから。今日ここに来る少し前に完全なゼロになっていたのが、部屋に入った瞬間マイナス方向に大きく振り切ったもの。でも弁明くらいは聞いてあげる」
「ありがと。まず要点から言うと、アリスさんがここにいるのは私が保護したからです。アリスさんがちょっとトラブルに巻き込まれていてね。……詳しい話はユディが戻ってからしようと思って待ってたんだけど、ただ待ってるだけなのは時間がもったいないから取材協力をお願いしていたのよ」
「しゅざ……トラブル、というのは?」
本気で頭痛がしてきて、ズキズキする頭を押さえながら口を開く。
いやもちろん、保護が必要なほどのトラブル、っていうほうが重大な問題なのはわかってるんだけど……取材協力っていう単語が不穏すぎてそっちのほうに意識が行ってしまうわ。
女の子を押し倒す取材って何なの? あまり踏み込みたくはないからスルー推奨なのはわかってるけど!
「うーん、実際に見てない人には説明が難しいんだけど……」
ね、とエルダがアリスを振り仰ぐ。
アリスはこくこくと頷いた後ためらいがちに口を開いた。
「あの、幽霊? みたいなものが出たんです」
「……ゆ、幽霊?」
幽霊ってあの、ひゅーどろどろっていう、柳の木の下にいたり足がなかったりうらめしやってしてるあれ?
っていってもこの世界観だとホーンテッドマンション系かしら。……まあどちらにしても私が今までこの世界で生まれて生きてきた中で幽霊を見たことなんて一度もない。○○には「出る」みたいな話は聞いたことあるけど、それだって私はあまり信じていない。
Alice taleの中でも幽霊騒ぎイベントなんてものはなかった…と思う。
でも、エルダならばともかく、アリスがそんな嘘を言うとは思えない。――けど、ねえ?
私の懐疑的な気持ちがわかったらしく、エルダはうんうんと頷いた。
「まあ普通は信じられないよね。ええとね、講堂横に通路があるでしょう?」
「教務棟の方へ続く通路?」
「そう。その通路の、途中渡り廊下になってて裏庭の方に出られるあたり」
教務棟は職員室や生徒会室なんかがある建物で、教室棟からは廊下がつながっているのだけれど、講堂から行くには一部壁のない渡り廊下になっている。そこから出られる裏庭は、ちょっと行きにくい事もあって人気が少ない、というかまあ……言ってしまえば恋人同士の逢い引きスポットである。
「……ふーん?」
「私は情報収集でよく行くんだけども」
「さすが、エルダはぶれないわね……」
「でしょう? それでそこにやってきたのが男子生徒一名と、その生徒に呼び出されたアリスさんだったのよ」
呼び出されたって言い方をするってことは、逢い引きと言うより告白されたってことかな。さすがアリス。可愛いし良い子だからモテて当然よね。――そしてちょっと気まずそうにしてるのは、つまり、ご縁がなかったってことかしら。
「そんな場面で幽霊が?」
私の言葉にアリスはおずおずと頷いた。
「始めは、雲か何かの影が落ちてるのかなって思ったんですけど、それがどんどん暗く、濃くなって――あっという間に剣を握った人みたいな形になりました。それで、私とユール君が……あ、えっと一緒にいた方なんですけど、二人共びっくりしてたら、急にその影みたいな幽霊がユール君に斬りかかったんです」
「斬りかかった!? アリスさんとその彼に怪我は?」
「ユール君は避けたので怪我はありませんでした。でも、幽霊も素早くて……はすぐもう一度斬りかかってきたんです。私、ユールくんを助けなくっちゃと思って……そうしたら目の前がぱあっと明るくなって……」
というところでアリスは言葉をつまらせた。
言いにくいというよりも、どう説明していのかわからないという顔をしている。
「じゃ、こっからは離れたところで見てた私が説明するわね」
「そういえばエルダずっと正座してたのね。ごめんなさい、普通に座っていいわ」
「いつもどおりユディの膝の上に座っていいの?」
「第三者が聞いた時に真偽を判定しにくい嘘を付くのはやめて」
エルダは「場を和ませようとしたのよ」と笑い、フラフラとした足取りで自分の椅子にたどり着くと若干優雅とは言えない動きで座った。足がしびれているのだろう。
「……で、まあ私からはその『幽霊』は人の形をした黒いガス状の物体に見えたわ。そいつの持ってた剣はユール・レクセルには当たらなかったから本当に斬れるのかはわからないけど、見てるだけでもなんだか背筋が冷たくなる――おどろおどろしいっていうのかな。そういう気配だったわ」
アリスがユール君っていうからもしやと思ったけど、やっぱりユール・レクセルだったのね。アリスの同級生でAlice taleの攻略対象者の一人の腹黒かわいい系少年。
そっかー、振られちゃったかー。
しかも人の弱みを握るのがライフワークのエルダに目撃されてるとか可哀相すぎる。
「幽霊が二撃目を振りかぶった時、アリスさんがユール・レクセルを庇ったの。そうしたらアリスさんの手の甲に一瞬なにかの模様が浮かび上がって、次の瞬間ものすごい強い光が幽霊を包んだのよ。あんまり眩しくって私も目を閉じちゃったんだけど、開いたときには幽霊はいなくなってたわ」
「手の甲に、模様……?」
「そ。最近そういう話をユディから聞いたなあって思ってたら、光を見た人たちが集まってくる気配がしたから、ひとまずアリスさんを保護してきたの」
「レクセルさんは……」
「ちょっと軽くお願いして口止めしておいたわ」
「……」
まあ彼は腹黒キャラだし、エルダの『お願い』のヤバさはわかるだろうから情報が漏れる心配はないだろう。
それよりも。
「黒いガス状の『闇』に、それを払った光と――『徴』」
聖剣というのは形のある剣のことじゃなくてユニークスキルみたいなもの、という認識で正しいとクロリスは言っていた。
そして、我が家にあった本の記述によれば
――神馬の徴は〈ワタヌキの紋〉と呼ばれており、その者が聖剣を振るう時、手の甲に光と共に浮かび上がった
まさにこれ。
でもクロリスは、聖剣の役目は剣舞の奉納だと言っていた。何かと戦うなんて一言も……。
あれっ?
よくよく思い出してみたら、戦うとは一言も言ってないけれど、戦わないとも言ってないかもしれない。
クロリスが言ったのは『闇』を払うのが聖剣の役目で、そのために剣舞の奉納をするということ。
私は剣舞の奉納という儀式で闇を払う――そういう神事の比喩みたいなものだと思ってたけど、クロリスの言葉は、ユニークスキルで闇そのものを払うっていう意味も含んでいたのかもしれない。
クロリスに直接真意を尋ねられればいいけど、次に会うときにはクロリスの中の『彼』は既に眠りについているかもしれないからあまり期待できないかも。
「そういうわけで、私はアリスさんを部屋に招いて、ちょっとお話を聞かせてもらってたの」
エルダはそう言ってベッドに腰掛けたアリスの隣に移動し、彼女の肩に手を載せた。そしてニッと笑う。
「アリスさんも心当たりがあるみたいよ? 聖剣の徴に」




