25 できれば俺もわかりたくなかった
フロディン視点です。
俺、フロディン・メルボルトは我が国セレス王国の第一王子であるアレクト・アタナシア殿下の護衛役を仰せつかっている。…と言うと仰々しいが、要は幼馴染のアレクのボディーガードだ。
アレクはバカが付くほど真面目で勤勉。その甲斐あって文武両道。あと超絶美形。
賢く、穏やかで、公平で…まさに絵に描いたような理想の王子様だ。
第二王子のロベルトとの関係も悪くなく、将来王位を継ぐのはまあ間違いないだろうと誰もが考えているパーフェクトな男。
…で、将来王位を継ぐとなれば当然皆の関心は王妃様が誰になるかというところ。
これについてアレク自身はずっと、決められた婚約者と決められたとおり結婚する、と考えていたようだ。まあ、相手の家柄とか諸事情が絡んでくるわけだし、色恋に夢を見るのも虚しくはあるから仕方ない。そんな幼馴染が若干可愛そうだなと思わなくもないが、王族の定めというところだから仕方がない。
その王妃様の候補は何人かいる。俺が横で見ている感じ、アレクはその中の誰がいいとかそういうのは考えないようにしているようだ。
だが、周囲の評価によれば有力だと目されているのは三人。そして更にその中でも最有力と言われているのが…まあ、問題の、ユディト・エルミニア侯爵令嬢である。
品行方正、文武に優れ、そして美しい容姿。アレクと並ぶと完璧に芸術作品。
婚約者候補だからといってアレクに媚びへつらうことなく凛と振る舞い、誰からも常に一定の距離を保ち良好な関係を築いている。言い換えれば誰とも深く関わろうとしないってことだが。
だからアカデミアの野郎どもからは『エルミニアといえば高嶺の花、高嶺の花といえばエルミニア』みたいに言われている。
エルミニア嬢はその位、ちょっと他とは一線を画している存在で、普通に考えて彼女がお妃様で確定だろうと俺を含めた誰もが思っている。恐らくアレク自身もなんとなくそう思っていただろう。
それが一変したのが、去年だ。
まず、遭遇率が露骨に減った。
始めは俺も気のせいかと思っていたのだが、何ていうか…同じクラスなのに、ほぼ授業を受けている姿しか見なくなったのだ。
今までならば休憩時間とか、昼休憩の食堂、放課後の校舎内なんかですれ違って軽い挨拶をするということが日に数回はあった。というか、あるのが普通なのだが、それが目に見えて少なくなった。
その時点でアレクは若干気にしていたように見えたが、その戸惑いをはっきりと表には出さなかった。
そんな日々がしばらく続き、そしてある噂が流れ始めた。――曰く、ユディト・エルミニアはアカデミアの聖女である、と。
どうやら彼女は新入生の女生徒につきっきりでダンスの個人指導をしていたらしい。
元平民暮らしをしていたという新入生女子の、ダンスが上手く踊れないという窮状を知り、まさかの高嶺の花のエルミニア嬢が自ら指導役を申し出た――というだけでアカデミア内には静かな激震が走った。その上、エルミニア嬢の優しく熱心に指導する姿、そしてときおり見せる微笑みがまさに聖女であると誰かが言いだし、そこから『アカデミアの聖女』という呼び名が瞬く間に広がったのだ。
おまけに指導を受けている新入生も見目麗しく、二人が一緒に仲良くダンスレッスンをしている光景はまるで天上の光景…だとかなんとか。
困ったことにそれを商機ととらえた輩も現れ、エルミニア嬢の絵姿をお守りだと言って売りさばき始めた。そうなったらアカデミア内の治安維持を任せられているアレクも黙っているわけにはいかない。
商売をしていた不届き者に厳重注意を与え、そして今後同じようなことを考える者が出てこないようにアレク自らエルミニアに接触して、彼女の周囲に王族が目を配っているということをアピールして牽制をすることにした。
その時、多分アレクはエルミニア嬢に胸を撃ち抜かれてしまったのだろう。
表向き不届き者から彼女を守るためではあるものの、明らかにアレクの雰囲気が変わった。明らかと言っても俺が幼馴染だから気付いたレベルかもしれない。現に未だにエルミニア嬢は気付いてないし。
俺は内心喜んでいた。粛々と決められた結婚をするはずだったアレクが、最有力候補のご令嬢に恋をしたのだから。
……だが、現実は厳しかった。
アレクが悩む弟のためにアリス・アスタルテの乗馬指導の手伝いを依頼したら、彼女に対抗心を燃やしていたはずのロベルトが何故かエルミニア嬢にベタ惚れしてしまいライバルを増やす結果に。
極めつけが、エルミニア嬢本人から、まさかの『アリスと殿下の恋を応援します』宣言。
彼女は何故かアレクがアリス・アスタルテに惚れていると思いこんでいるのだ。
アレク、哀れすぎる。
っていう、ここまでは過去の話。
そしてここからが今日の話だ。
エルミニア嬢関係でアレクが警戒している相手はもう一人いる。それが歴史教師のリュカ・シドニア。
エルミニア嬢は何かと彼の研究室に顔を出している。研究室という狭い部屋に若い男女が二人きり、となるとちょっと邪な想像をしそうになるが、前に見た時はちゃんと部屋の扉は開けていたし、二人が熱心に話をしていた内容は本当に真面目な歴史の話だった。
それでも足繁く通っている様子にアレクは気が気でない様子だった。
エルミニア嬢は、面倒くさい子代表のロベルトを一発で落とした猛者だ。
俺はアレクの恋を応援したいと思ってるし、そもそも恋とかなんとかはよくわからんが、それでも彼女のあの笑顔にはグラッと来るものがある。しかも、孤高とか高嶺の花とか言われてるからツンと澄ましたタイプかと思えば、話してみると意外と人懐っこいのだ。
あんな女性と長時間二人きり、同じ空間にいて惚れないとか無理だ。少なくとも俺は無理なのでなるべく遠巻きに見ることにしている。いや、もうこんな事言ってる時点で既にあれかもしれない…とか思わなくもないがさすがにそれはマズすぎるのでそのへんの感情には全力で蓋をする所存だ。
そんな俺の事情は置いといて、本日そのシドニア先生宛に一通の手紙が届いた。
普通の手紙だったらポストに突っ込まれるだけなのだが、その手紙はなんと侯爵家の使用人がわざわざ運んできたものだった。
有力貴族の使用人と言っても、アカデミアは身分制度からの脱却を建前にしているため、中にある研究棟に直接足を踏み入れることは基本的に許されていない。
そのため学長あたりが一度受け取ってシドニア先生に渡そうか…という話になっていたところにたまたま居合わせたのがアレク(と俺)。
シドニア先生宛に、よりにもよってエルミニア侯爵家からの親書だ。
それを知った瞬間アレクが即座に自分が持っていくと立候補。
…そうだな、気になるよな。でも学長、アレクの勢いに目が真ん丸になってたぜ。
で、手紙を持っていった先で、シドニア先生の研究室の内鍵を開けて顔を出したのがエルミニア嬢だった。
アレクが怒ったのはまあ言うまでもない。
鍵までかけるのは流石に駄目だよな。
ただ問題はそこじゃないんだ。
シドニア先生は基本的に賢く立ち回るタイプだと思う。普通だったら、適当に言い訳して謝っておしまいだ。こっちだって別に本気でいかがわしいことをしてたなんて思ってるわけじゃ…なくもないこともない、が、別にモヤッとしても流すくらいにはアレクだって冷静だ。多分。おそらく。
なのに、何故か先生は詰めるアレクに対して、あろうことか喧嘩腰で返してきた。
その上目の前で次の約束をして、余裕の表情で「彼女を連れて行きたいのであれば、どうぞ」って…完全に喧嘩売ってますよね。
これは、先生も争奪戦に参戦ってことですか。ですよね。
うわ、本格的に関わりたくねえなこれ。
部屋から出てきたエルミニア嬢は、俺に対して笑顔で挨拶をしつつ器用にも『そこにいたならなぜ仲裁に入らなかった』というオーラを醸し出している。
いや、あれは無理でしょ。王族vsメガネに筋肉が役に立つわけねえし。
とりあえずエルミニア嬢には挨拶と敬礼だけ返しておく。筋肉にできることはそれだけです。許して。
そんな俺に見切りをつけたのか、エルミニア嬢はアレクに向き直ると、『部屋の鍵をかけたのは私です』と話し始めた。
彼女によれば、先生は反対したのに、まだ表に出したくない研究だからと押し切ったのは自分で、先生は自分をかばうためにあんな事を言ったのだ――と。
なるほど、でもな、エルミニア嬢。
そこに問題がないわけじゃないけど、でも重要なのはそこじゃない。どう考えてもあれは先生からアレクへの宣戦布告だっただろ、エルミニア嬢。
頭を下げようとしたエルミニア嬢を止めたアレクの目が、割と死んでいる。
多分他のやつにはわからないレベル。…できれば俺もわかりたくなかったけどな。




