23 不可抗力で
いつもどおり声をかけて部屋の中に入り、いつもなら少し開けたままにしておく扉を今日はしっかりと閉めた。
「…エルミニア?」
それに気付いて不審げに声をかけてきたシドニア先生に私はにこりとほほえみながら――後手で鍵をかけた。
「今、鍵がかかる音が…」
「手が滑りました。うっかり手が滑ったら扉が閉まって鍵もかかりました。偶然って怖いですね」
「何を言っているんだ君は」
呆れつつもやや焦ったような表情でシドニア先生が私の方へやってきた。扉を開ける気だろうけど、それは困るのよ。
「シドニア先生に話があるんです。ただ、他の方には聞かれたくないことなので」
「話…と言っても、君は自分の立場を分かっているのか? あらぬ噂を立てられたら冗談では済まないんだぞ」
「分かっています。それでも聞いてほしいんです。…お願いリュカ兄様」
分かってる。シドニア先生は真面目だし、何より私の心配をしてくれてる。だけど私も覚悟を決めたので譲れないの。前のように話し中にアレクト殿下が入ってきたりするとだいぶ困っちゃうのよ。…だって、私はこれからシドニア先生に全てを話そうと思っているから。
私の必死さが伝わったのか――はたまたアルマ姉様直伝の涙目上目遣いでのおねだり技が効いたのか――シドニア先生は「…っ」と狼狽した表情で一歩下がった。
「…あまり長い時間は聞けないぞ」
「ありがとうリュカ兄様! ところでお顔が赤いですけど体調は大丈夫ですか?」
「問題ない!」
シドニア先生はぷいっと顔をそらして大股でつかつかといつものテーブルの方へ歩いていった。あらあら、お耳まで赤いですわよ?
でもあんまりからかって怒らせてしまってはいけないので耳については触れず、先生を追ってテーブルにつく。
「で、何を話したいんだ」
「今からお話することは内密にお願いしたいのです。というか内密にしないとちょっと頭がおかしくなったと思われるだけでしょうけれど」
「は?」
「それでも内密にして頂けなかった場合は、私はシドニア先生の研究室に閉じ込められていやらしいことをされたと証言せざるを得なくなってしまうので…」
「ちょっと待て、何だその脅迫は!」
「冗談ですわ。…半分は」
「半分は本気なのか。どこからどこまでの半分が本気だ」
「シドニア先生にいやらしいことをされたと証言するところですね」
「一番悪質な部分を抜き出したな!」
「まあまあ先生。二人きりだからとそう興奮なさらないで」
「いかがわしい言い方をするな! …君は本当にユニオンの妹だと実感せざるを得ないな。たちの悪さがそっくりだ」
「優秀な兄にそっくりだなんて光栄ですわ。まあ前置きはこのあたりにしましょう」
「前置きで私の今後の人生が危険にさらされたのか…」
シドニア先生は疲れたようにがっくりと肩を落とした。でも本題はここからよ。
私は姿勢を正して真っ直ぐに先生を見た。
「お話は私の記憶のことです。色々と疑問や反論などがあるとは思いますが、まずは一通り聞いていただけますか」
「…わかった。とりあえず聞こう」
ゲームの話をするのは二度目になる。
一度エイダに話したおかげでうまく整理して話すことが出来た。前回エイダが質問を挟んできたことについては補足も付け加えながら話した。
だけど私の心臓はバクバクしっぱなしだった。
エイダはなんだかんだ言って物語を作る作家なので多少突拍子がなくても受け止めてくれたけど、シドニア先生は真面目な歴史学者。
馬鹿にしてるのかと怒られてしまうかもしれない。おかしなことを言う人間だと、距離を置かれてしまうかもしれない。そう考えるだけで指先が冷たくなって細かく震える。
「…つまり君が聖女なのか?」
「ええ、クロリスによれば私が聖女だそうです。聖剣はアリスさん」
ざっと話し終えたところでシドニア先生はそれだけ聞いて黙り込んでしまった。
なにか考えてるんだろうけど、表情からは全然読めなくって私はもう緊張しすぎて倒れそうだわ。なんでもいいからリアクションしてほしい。
そう思って先生を見つめていると、ふと目があった。
「…ああ、すまなかった。…お茶を淹れよう。酷い顔色だ」
「……おかしなことを言ってる自覚はあります。やっぱり信じて頂けませんか?」
傍から見てわかるほど顔色が悪くなってるとは…声も震えてる気がする。
「君はたちが悪い人間だが、くだらない嘘をついて人を困らせる人間ではないだろう」
「…いやらしいことをされたと証言してもですか」
「その話をまだ続けるつもりか…とにかく、君がそんな真っ青になってまで荒唐無稽な作り話をしに来るような人間じゃないことは分かっている。受け入れがたい話だとは思うが、ありえないと切り捨ててしまうには真実味がある」
「同じことをエイダにも言われました。本来なら私が知らないはずのことも知っているあたり、信憑性が高いと」
「エイダ・ランク公爵令嬢か。彼女がそう言うなら間違いないだろうな」
暖かな湯気をくゆらせたカップがことりと目の前に置かれた。コーヒーの香りが鼻をくすぐる。
「…君の話が真実なら、この世界は作り話の中ということになるが…それについては置いておこう。もう神の領域の話だからな。本当に物語の中なのかもしれないし、君が物語という形で先見ができる特殊な予知能力に目覚めたのかもしれない。理由を付けようと思えばなんとでも付けられるが、正解は恐らくわからないから論ずるだけ無駄だ」
「そうですね」
うむ、合理的。正直そこを突っ込まれても私だってわからないからそう割り切ってもらえると助かる。ゲームが手元にあるわけじゃないし、多分この世界はゲームの内容とぴったり同じでもないだろうし。
「神馬が言うには、神馬が聖剣を選び、選ばれた聖剣が聖女を選ぶ。…しかし、君の知る物語では、君が好意を向けた相手が聖剣となって、聖剣からも好意を返されれば君が聖女になると」
「はい。そのようです」
そう考えると、Alice tale とJudith tale の二つは、ヒロインがヒーローを選んで、ヒーローから選び返されたら聖女になるっていう基本的なシステムは一緒なのね。ただヒーローに『聖剣』っていう役割が振られるだけ。
「そして君はアリス・アスタルテ嬢を選んで、彼女も君を選んだ」
「そこは何と言いますか…不可抗力で」
「昨年君がアレクト殿下を避けて回っていたのは、アリス・アスタルテ嬢が攻略対象である殿下を攻略する邪魔をしないため。そしてアスタルテ嬢の勉学の面倒を見ていたのは彼女が落第してゲームが破綻するのを防ぐためだった」
「おっしゃるとおりです」
なんせアレクト×アリス萌えだったもんで。
見たかったんですよ、リアル正統派美男美少女カップル。えへへ。
「それで結果的に君がアスタルテ嬢を選んだことになり、更に彼女の攻略に成功してしまった、と」
「なんだかもう巻き込んだ形のアリスさんに申し訳ない気持ちでいっぱいです…」
「まあ不可抗力ではあるな。君は話のヒロインが自分であることを知らなかった。いわば君だって被害者だろう? アスタルテ嬢がヒロインでないのだと知っていれば、君は心置きなくアレクト殿下の好意に応えることが出来たわけで…」
「は!?」
待って!? なんで私がアレクト殿下の好意に応えるの!?
あ、もしかして私が王太子殿下の婚約者になりたくないって言ったのはアリスに遠慮して言った嘘だと思われてる?
「彼は私と君との関係を少なからず疑っている。君が彼から逃たがっているように見えて意識的に割って入ったこともあるからな。――君が今私にこの話をしたのは、彼の誤解を解くために協力してくれということかと思ったんだが」
「ちっ…違います! 私が先生にお話したのは、聖剣の剣舞について知りたかったからです! 世界樹の枝を祀る神殿の神事にまつわる資料などは外部には出ないもので、伝手がないと閲覧できないと聞いたので…先生なら研究者仲間のつながりでなんとかならないかと」
「…それなら今までのように神事について知りたいと言えば…」
「神殿関係で何かを調べるとしたら色々と人を介することになってこちらの意図がうまく伝わらない可能性が高いと思ったのです。核心部分を隠したままお聞きするよりも、正直に話してしまったほうが齟齬が少ないと考えてお話したんです」
「なるほど、それは道理だな」
「でしょう!? それに私はアレクト殿下じゃなくて」
先生が好きなんですから。
なんて、勢いで言いそうになったけど寸前で止めた。グッジョブ私。
「――王家とは関係のない方と結婚してのんびり暮らしたいんですから」
きっと、私が本気で望めばシドニア先生を手に入れることはできる。王太子妃回避が成功した場合に限るけど。…私の家は、男爵家の三男を無理やり娘婿にするだけの力を持ってる。先生本人が嫌がっていたとしても。
だから、言っちゃだめ。
王太子妃になりたくないと泣いた私が、他の人に同じことを強いてはいけないわ。
「…君の王家嫌いは筋金入りだな」
「…謀反人のような言い方はやめてください。それこそ侯爵家の娘がそんな事を言っていたなんて大問題になります」
君は問題だらけだがな…とか言ってため息つくのひどくないですか? 私は品行方正なご令嬢ですわよ?
「神事について知人を当たってみる。確認したいことを整理しておきたい…が、その前にそろそろ扉は開けていいんじゃないか? 内密な話は終わったんだろう?」
「ああ、そう言えば閉めてありましたね…開けてきます」
すっかり忘れてたけど、そういえば密室だったんだわ。どうやら先生はずっと気になってたみたいね。
神事について聞きたいことは一応事前にまとめてあるからそれで落ちがないか先生に確認してもらって…。
「……エルミニア?」
考え事をしながらカチャンと鍵を開けて、少し開いた扉の向こうには、まさに今扉をノックしようとするポーズで固まったアレクト殿下が立っていた。




