18 書庫通い
聖女、世界樹、聖剣、神馬、草原の国、ガレリア、ベスタ。
調べるキーワードはこんなものだろうか。
なんでこの世界にはキーワード検索機能がついてないのかしら。転生チートでそういう便利機能付けてくれてもいいのにね。まあ、百歩譲って蔵書検索端末でもいいのよ。千歩譲って図書目録がほしい。っていうか、侯爵家の書庫なのに目録すらないとは…。
エルミニア家の書庫に本を詰め込むだけ詰め込んだお祖父様は、本を集めて読むことは愛していたけど管理する手間は惜しんだらしい。始めはちゃんと目録を作るつもりだったらしいけど、いつかやろうと後回しにしてたら蔵書数が膨大になりすぎて面倒になったようだ。
なので、この書庫はなんとなくざっくりふんわりした分類で…まあつまり、ほぼ無秩序に本が並んでいる。さすがに清掃はされているから、書架の隙間に本が横になって刺さってたり、棚に入り切らなかった本が床に積まれていたりとかいう前世の私の部屋の本棚みたいなことにはなっていない。ちなみに私、お祖父様の気持ちめっちゃ分かる。
侯爵領の自宅へ戻った私は、その日から早速書庫通いを始めた。
そんなふうに意気揚々と踏み込んだ私の心が折れるのは早かった。初日の夜には折れてたわ。――だって本の並びが滅茶苦茶だから、端から確認していかないといけないんだもの。
タイトルで明らかに無関係なものは除いて、関係がありそうなものを片っ端から手にとってパラパラめくる。それだけでも棚一列が一日で終わらなかった。お祖父様は世界樹伝承に興味があったらしくって好んで集めてたっぽいのよ。そこに、お祖父様なのか他の人が集めたものなのかは不明だけど、隣国ベスタに関する本もたくさん混じってる。そうね、お隣の国だもんね…。
こんな棚が八列あるの。心も折れるってもんよ。
そして、ざっと棚を回って背表紙のタイトルを確認したのだけど、シドニア先生が言っていた『草原の国における文化の形成』っていうタイトルの本は今の所見当たらなかった。
背表紙で見当たらないってことは、もしかしたらサブタイトルだったり、本文中の章のタイトルなのかもしれない。
書庫に通いはじめて三日目。
手にとった本は世界樹伝説に関するもので、馬や剣みたいなキーワードを見落とさないように目を皿のようにしてめくったのだけれど、結局それらしき表記は見つからなかった。ため息とともにパタンと閉じる。
ふと顔を上げると日がだいぶ傾いてきている。
でもまだ明かりを灯すほどじゃないのよね…。
私はその棚で気になるタイトルの本を五冊ほど腕に抱え、窓際に移動した。書見台の椅子を移動させて座り、膝の上で本を開く。うん、これなら窓からの光でちゃんと読めるわ。
そういえば、私が初めてリュカ兄様を見たのはこの場所だった気がする。
彼は椅子ではなくて窓枠に座っていたけど………。
確か、その窓辺で、向こうを向いて座って、そうして本を開いてたんだっけ。
「ユディ」
「ひゃい!!?」
声をかけられるまで全く気配に気づいていなかった私は、膝の上で開いていた本をバサッと落としてしまう。あああ本が、本が傷む…!
べべべ別に、ただ、ここに座ったらこの書庫がどんなふうに見えるのかなー? ってちょっと気になっただけであって決してあこがれの人と同じ席に座っちゃおうかな、キャッ! とかやろうとしたんじゃないんです。本当。本当だって!
「ゆ におん兄様、どうなさいました…?」
慌てて落とした本を拾おうと椅子から立ち上がろうとすると、それを手で制してユニオン兄様が拾って手渡してくれた。
「すまない、驚かせるつもりはなかったんだけどね。…ユディはなんだかぼんやりしてたみたいだけど、なにか悩み事でもあるのかな?」
「いえ、ちょっと根を詰めすぎて疲れてしまっただけです。ユニオン兄様もなにか本をお探しですか?」
「そうだな、僕の天使を笑顔にする方法を探そうかと思って」
ニコッと爽やかな笑顔を浮かべる兄様。
「……はい。見つかるといいですね」
はっ……いけない、私としたことが一瞬無の表情になってしまったわ。笑顔よユディ。スマイルを作るのよ。兄様のおかしな発言は今に始まったことではないんだから。
「おっと、一気に心の距離が開いた気配がしたな? ユディも難しいお年頃だなあ」
私には兄様のほうが難解ですけどねー。とは口に出さずにやや困ったような笑顔を浮かべて小さく首を傾げておく。ユニオン兄様は私がぼんやり眺めていた場所、つまりリュカ兄様が座っていた場所に近づくと、その窓枠に腰掛けた。
「懐かしいな、リュカは大体ここに座ってた。――あいつ、研究に専念したいのに教授に授業を押し付けられて教師をやる羽目になったって愚痴ってたけど、ユディはあいつの授業受けた?」
「ええ、受けました。シドニア先生の授業はすごくわかりやすいってアカデミアの生徒に好評ですよ」
「シドニア先生かぁ…なんか変な感じだな。ユディはいつもリュカ兄様って言ってくっついてまわってたのに。僕あの時、ユディは僕の天使なのに!ってすごく嫉妬したんだよ。面白くなかったから、あいつが去年教師になったってことをユディに内緒にしてたんだ」
く、やっぱり確信犯か!
「やっぱり知っててわざと黙ってたんですね? 私、つい最近までシドニア先生がリュカ兄様だってことに気付かなくって恥ずかしい思いをしたんですよ! 先生も先生です。私のことを知っているなら最初にそう言ってくれればいいのに!」
「ははは、リュカ昔はかわいい系美少年だったのに、だいぶ雰囲気変わったから確かに見た目で気づくのは難しいかもね。髪だって切るのが面倒とか言って伸ばしっぱなしだし」
…切るのが面倒で伸ばしっぱなしなくせに、あのサラサラつやつや…だと?
いや、毎日髪をオイルトリートメントとかして大切にケアしてるシドニア先生なんて想像もつかないけども。
「ところでユディ? 君は将来、国民に愛される王妃になりたいと思ってる?」
ユニオン兄様はぷりぷり怒る私を見て少し笑った後、まるで話のついでみたいな調子で突然そう切り出した。私はヒュッと息を呑む。
「――なんですか急に。お父様方にも言いましたけど、王妃は王になる方が選ぶものです。でももし、仮に、私が選ばれたとするなら…そうなるべく努力はしますけど」
「うーん。教えてあげよう、ユディ。君は何か嫌なことを我慢する時に左手の親指を右手で握る癖がある」
そう言われて自分の手元を見ると、私の右手は痛いくらいに左手の親指を握りしめていた。あわててパッと手を開く。握りすぎて白くなった親指がゆっくりと血の気を取り戻していく。
「父上たちと話してたときもその癖が出てた。『王妃』って言葉が出たときにね」
「それは…」
「ねえユディ。確かに殿下たちに婚約者として選ばれたらこちらから拒否するのは難しいよ。そして僕が知っている情報では多分ユディは今、王太子妃の最も有力な候補だ」
「……」
「――でもね、君がそれを望んでいないということを僕らにまで隠さなくていいんだよ。娘の幸せを喜んでたのに実は娘は自分の心を殺して一人で耐えていた…なんて、後から知ったら父上たちも悲しむよ」
「…っ、嫌だなんて言っても、困らせるだけじゃないですかっ!」
思わず飛び出した言葉に、私は自分の口を手で覆った。
「……ほ、ほらそれに、有力だって言ってもまだ決まってるわけではないですし…それに、それに…アレクト殿下は立派な方です。…選ばれるのは、きっと光栄で幸せなことです」
震える手で口を覆ったまま、慌てて取り繕う。でも頭の中がごちゃごちゃでどう考えても取り繕えていない。そんな私の頭をユニオン兄様が撫でた。
そして、「あのね、ユディ」と、子供に言い聞かせるようにゆっくりと話し始めた。
「アレクト殿下は立派だし聡明な方だろう? 彼はユディの意思を踏みにじったりしない。侯爵家のご令嬢としては自分の意志や感情を隠すのが正しいのかもしれないけど、きっと彼ならユディと本音で話し合うことを望むと思うよ」
「話し合う…殿下と…?」
アレクト殿下は話が通じない人じゃない。確かに始めはアレクト殿下がどんな人か知らなかったから逃げるしかないって思ってたけど、今はちゃんと知っている。真面目で、立派で、ちゃんと私と向き合ってくれる人だ。
アリスがアレクト殿下を攻略しなかったら自動的にユディトが王太子妃になる…なんて、ゲームの設定に囚われすぎて――私、アレクト殿下のことを一人の人間として見ていなかったんだ。
ボロリ、と何の予兆もなく涙がこぼれた。
いや、泣くのは違うでしょう。だって私は自分の都合しか考えてなかったし、なおかつあんなに立派で優しいアレクト殿下を人格のないゲームキャラとして見てたのよ?
だから涙を止めたいのに――どうしても止まらない。
「私…私は最低な人間です…」
「あれ、なんか変なスイッチ入っちゃったな…おーいユディー?」
「…うあああ」
「ああー、アルマー」
頭の芯の部分は冷静なのに、今までいろんなことを我慢したり、ごまかしたりしてたツケが一気に回ってきたみたいに完全なる号泣モードに入ってしまって自分でもどうにもならない。ユニオン兄様も文字通りお手上げな様子で、「アルマ助けてー」と棚の向こう側に向かって声をかけた。
「もう、ユニオンってば最後が締まらないんだから! ほらユディおいで」
「アルマ姉様…ねえさまぁ」
苦笑しながらアルマ姉様がやってきた。棚の向こうで話を聞いていたらしい。
私はアルマ姉様にしがみつくと、その胸に顔を押し付けた。
「はいはい、ずっと我慢してたのね。落ち着くまで泣くといいわ」
アルマ姉様は私を抱きしめて、優しい声でそう言いながら背中をとんとんとあやすように叩いてくれた。やっぱりアルマ姉様は女神だと思う。
そうしてしばらく泣いてなんとか呼吸が落ち着いた頃、アルマ姉様から離れた私の目が一冊の本に釘付けになった。
背表紙に書かれているタイトルは『移動と定住』。
「ユディ?」
フラフラと本棚に近寄っていく私に兄様が声をかけてきたけれど、でもそれよりもどうしてもその本が気になった。かすかに震える手を伸ばして、本を引き抜く。タイトルは『移動と定住 草原の国における文化の形成』。
見覚えのある濃い青色の装丁は、リュカ兄様と初めて出会った日、彼がその膝の上に載せていた本と全く同じだった。




