16 五年前(むかしのおはなし)
五年前。
ユニオン兄様が、年下の男の子を無理やりエルミニア領に連れて帰ってきた。
どのくらい無理やりだったかと言うと、いかないと拒否し続けた男の子の眼鏡を事故を装って壊し、「申し訳ないから新調させてくれ」と眼鏡屋に連れて行き、その後、帰るふりをしてそのまま連れてきたのだ。
これはもう、ほぼ拉致である。
新しいものが出来るまで不便だろうから、我が家で面倒を見る、と、彼のお家に連絡をいれてあるので拉致ではない……と、兄様は主張していたけど。
そんな経緯で連れてこられた男の子が、にこやかでいられるわけもなく……。
我が家にやってきたとき、その男の子、リュカ・シドニアの機嫌は最悪だった。
私は家にやってきたお客様とは必ず挨拶を交わすのだけど、あんな死んだような目と棒読みで挨拶をされたのは初めてだった。
この明らかに気が合わなさそうな二人が知り合ったのは、アカデミアの寮で同室になったのがきっかけだったらしい。
通常アカデミアの寮は二人部屋で、同室になる相手は同学年で身分の近い人。
だから本来ならば、三年生で侯爵家の兄様と一年生で男爵家のリュカが同じ部屋になることはないはず……なのだけど、そこはちょっと特殊な事情があったのだ。
兄様が三年生に上がってすぐ、同室の学生が部屋の中で刺されて入院した。
その学生が三股かけていたことがバレて、付き合っていた女性の一人から刺されたのだ。
その女性は、部屋に誰もいないところを狙って侵入し、待ち伏せして入ってきた相手を襲ったというので、先に部屋に戻ったのが兄様だったら間違えて刺されてたかもしれない。恐ろしい。
……とにかく、犯人は他の部屋の生徒達に取り押さえられ、刺された人もなんとか命はとりとめた。
でも、部屋の中を逃げ回ったとかで……部屋中血まみれ。
兄様が部屋に戻ったときには、ひどい有様だったらしい。
それで、流石にその部屋を使い続けられないので別の部屋に移ることになったのだけど、困ったことにその時期、寮には空き部屋がなかった。
唯一あったのが、リュカの部屋。
その部屋にはもうひとり男爵家の少年が入るはずだったのだけど、入学直前にお家の経済状態が悪化してアカデミアに通えなくなってしまったため、結局リュカが一人で使っていたのだ。
とはいえ、兄様とリュカでは身分も学年も違うので、そこを同室にするのは……と、アカデミア側は他の部屋の学生を動かして調整をしようとしたらしいのだけど、他でもない兄様が「他の学生に悪いし、彼は面白いから同室でいい」と言ったのだ。
そうなったら、リュカ側からNOと言えるわけもない。
そんな感じで、二人はめでたくルームメイトになった。
リュカの何が兄様の琴線に触れて、「面白い」という評価になったのかはわからないが、実際兄様はえらくリュカのことが気に入ったらしく、若干うざいくらい構っていたようだ。
そうして、極めつけが実家への拉致。
そりゃあ、死んだ目にもなりますわ。
私はそのへんの事情を、兄様の婚約者のアルマ姉様から聞いた。
アルマ姉様とリュカは同級生で、兄様が日頃いかにリュカを構い倒しているかをよくご存知だったので、アカデミアでの様子を教えてくれたのだ。
……あと、リュカの置かれている状況についても、少しだけ。
兄様がそこまでしてリュカを無理やり連れてきたのは、彼の家に、彼の居場所がなかったからだ。
シドニア男爵家は少し前に当主が事故で死去して、長男が爵位を継いだばかり。
色々理由はあるそうなんだけど、有体に言えば、長男とリュカはあまり関係がよくないらしい。
それで兄様は、そんなところに帰るより、俺んち来いよ! って感じで連れてきてしまったのだ。
あと、リュカが歴史書に興味があるようだったので、我が家の書庫の本を読ませてやりたかったっていうのもあったみたい。
連れてきたことが悪いとは言わない。でも、やり方ってものがあるだろう。
リュカからしてみれば、ちょっと眼鏡屋に行くつもりが、なぜか一週間も馬車に揺られて公爵家のお屋敷に連れてこられたのだから。
そんなふうに無理やり連れてきたくせに、兄様はリュカに対して何らかの配慮をしている様子がなかった。
頻繁に友人を呼んでパーティーのようなことをしたり、出かけてみたり……でもリュカはそこに一度も顔を出さず、ずっと書庫にこもりきりだった。
アルマ姉様は大丈夫よと言ったけれど、きっとひどく腹を立てているのだと思った私は、兄の非礼をきちんとお詫びしておくべきだと考えて、書庫へ足を向けた。
我が家の書庫は、小さめの図書館くらいの広さがある。
おじいさまが本の虫で、国内外を問わずあちこちからかき集めたものらしい。
中には大分貴重なものもあるらしいけれど、おじいさまが亡くなったあと、国内の本はともかく、国外の古い本などはいまいち価値がわからずに、ほぼ死蔵状態になっている。
リュカは、そんな書庫の窓際で本を読んでいた。
注文した眼鏡はまだ出来上がってきていないので、おそらく暗いところでは本が読みにくかったのだろう。光を求めて窓辺に張り付くように座っていた。
膝の上で開いた本に視線を落とす横顔は真剣で、少し長めの灰色の前髪が、窓からの光に照らされて銀糸のように輝き、ちょうど瞳のあたりに影を落としている。
書庫には彼と私のほかには誰もおらず、静まり返った空間には、時折ページをめくる音だけが響く。
私は、謝罪するなどと意気込んでここへやってきたというのに、この静寂を破ることがとても罪深いもののように感じてしまって、少し離れた場所にただただ立ち尽くして、彼に見とれていた。
でも……彼はそんな私に気が付いていたらしい。小さくため息をつくとバタンと本を閉じ、私の方へ鋭い視線を向けた。
「……何か御用でしょうか」
本を閉じた音は大きく、わざと音を立てたのだと分かった。きっと読書の邪魔をした上に、不躾にじろじろ見ていたことに対して怒っているのだろう。
慌ててカーテシーをしつつ、申し訳なさと恥ずかしさでカアッと頬が上気していくのが自分でもわかった。
「読書のお邪魔をしてしまい申し訳ありません、リュカ様。うちの兄が強引に連れてきたと聞きましたので、お詫びをしなければならないと思って参りました。今回のことだけでなく、アカデミアの寮生活でも兄が大変なご迷惑をかけてしまったこと、申し訳なく思っております。……ご存じの通り、兄は出歩いていることが多いので、何か不備や不便がありましたら、私や家の者にお言いつけください」
私の申し出にリュカは目を丸くして、慌てた様子で本を置いて立ち上がると、困ったような顔で首を振った
「……あなたが謝罪することではないです。それに、俺……私に『様』なんて付ける必要はありません。あなたのほうが身分が上ですから」
「……ええと……では、リュカ兄様とお呼びしてもいいですか?」
「!?……は? なんで……ですか?」
エルミニアは侯爵家なのだけど、兄様の性格上、わりと身分関係なく広く付き合いを持っている。
中には平民のお友達もいたりするくらいなので、私も兄の知人に関してはあまり身分を気にせずに付き合っているのだ。
なので、「なんで」と言われてもちょっと困ってしまう。
「アルマ様のことは、アルマ姉様とお呼びしてるんです。リュカ様はアルマ姉様と同じお年なので……」
「いや、彼女はユニオンの婚約者ですし、伯爵家の御令嬢です」
「……リュカ兄様ではだめ……ですか……?」
私は目を潤ませて、上目遣いにリュカの顔を見上げた。
おまけに小さく首を傾げることで追撃する。
「…………どうぞ、お好きに」
しばしの瞑目の後、リュカは諦めたように天を仰いだ。
これぞ秘儀、思わず守りたくなる子供のふり。これで落ちない大人はそういない。
私は内面が可愛げがなくても、外面はそれなりに可愛い自覚があるので、困った時や無理を通したいときはこの手を取ることにしている。
使える武器は使え、が我が家の家訓ですの。
「ありがとうございます! では私のことはユディとお呼びくださいませ」
「いえ、それは……」
「それに、ユニオン兄様やアルマ姉様と話すように、砕けた言葉遣いで構いません」
「さすがにそれはまずいでしょう」
「……では、ユニオン兄様に伺います。ユニオン兄様が構わないとおっしゃったら、言葉遣いを変えてくださいますよね?」
「…………そうですね」
「わかりました! では、ユニオン兄様が戻ってきたら聞いてみます!」
よし、言質を取ったぜ。
私は子供らしい無垢な笑顔を浮かべながら、心の中でガッツポーズをとる。
もちろん、ユニオン兄様がダメというわけもなく、リュカ兄様の方は居心地悪そうだったものの、無事砕けた言葉遣いで接してくれるようになった。
そして、リュカ兄様はぽつぽつとお話をしてくれるようになった。
この書庫の本が読めて嬉しいこと、実はユニオン兄様が自分を放って置いてくれているのを、ありがたいと思っていること、とか。
あと、実はリュカ兄様はそれほどユニオン兄様を嫌っていない、とか。
なんだかんだ言っても私はお兄ちゃんっ子なので、好きな人が好きな人のことを嫌いじゃないっていうのはすごくうれしかった。
それと、目つきが悪いのは睨んでいるんじゃなくて、単純に眼鏡がなくて見えないからだった。
私が初めて書庫に来た時も、よく見えなくて、離れた場所で動かないし声もかけてこないから、リュカ兄様的には誰が来たのかわからずちょっと怖かったらしい。
これが私、ユディト・エルミニアの初恋だったのだと気づいたのは、休暇が終わって、リュカ兄様がアカデミアに帰ってしまってからだった。




