13 心の中のエイダ
研究室を出たところにフロディンが控えていた。
彼は私を見るとニッと笑って「ごきげんよう、エルミニア嬢」と声をかけてくれる。
「殿下もメルボルト様も、わざわざ申し訳ありません。あの、アリスさんがどちらにいらしゃるか教えていただければ私一人で向かいますので……」
「実は私達も一緒に呼ばれているんだ。アスタルテ嬢がマンゴーを使ったお菓子を作ってくれたらしくて、ささやかなお茶会を開かないか、というお誘いだよ」
「マンゴーですか……? 珍しいですね」
マンゴーなんてこの世界で食べたことなんて一回しかないわ。
それだってものすごく貴重な体験で、普通だったら口にすることなんてない貴重な果物扱い。
国内ではまだ大規模に栽培している農場などはなかったはず。国外からの輸入に頼るとなると、輸送コストでお値段がぐっと高くなるのよ。
それと、やっぱり輸送の都合でかなりの早熟の状態で送られてくるから、前世で食べてた完熟マンゴーみたいに、とろとろあまーいって感じではないのよね。
「エリフィアの家のブレンデリアが治める領地で、新しく栽培を始めたそうなんだ。試験栽培でできたものがいくつか送られてきたとかで、その一部をアスタルテ嬢がお菓子にしてくれたらしい」
フロディンが追加情報をくれた。
なるほど、国内でも南方に位置して温暖なブレンデリア家の領地は果物栽培が盛んな土地。
ブレンデリアとしてはこれから売り出す新しい果物の知名度を事前にアカデミア内で上げておきたいわけね。
王侯貴族の通う学校だから、ここで気に入られれば良い顧客になってくれるもの。
にしても、初めて見たであろう慣れない果物で、王族に振る舞えるレベルのお菓子を作れるアリスって、本当に生まれ持ってのヒロインだわ。
「ブレンデリア候の領地の果物は美味しいと有名ですものね。でもそんな貴重なもの、私が頂いてもよろしいのでしょうか」
「そもそも、アスタルテ嬢は君を誘おうと探していたんだよ。私とフロディンは、エルミニアを探すのと引き換えに、ご相伴に預かる光栄を頂いたんだ」
アレクト殿下はいたずらっぽくそう言って、パチンとウインクした。
不意打ちウインクは死者が出る(つまり私がトキメキ死ぬ)のでお控えください。
まったくもう油断も隙もないったら。
「そんなお約束をするなんて、アレクト殿下はアリスさんと随分親しくなられましたね。彼女、すごく素敵な女の子ですものね」
よしよし、いい傾向だ。これはアリスがアレクトルートを進んでるってことかな? そうだと嬉しいんだけど。
アレクト殿下は私の指摘に一瞬動きを止めた。
あれ、シドニア先生に引き続き本日二回目の世界停止?
いや、フロディンは動いてるから違うわ。
「……親しいというか、アスタルテ嬢の友人のブレンデリア嬢がフロディンを呼び止めて相談をしたから偶然こういう流れになったのであって……」
すん……と表情の死んだ殿下から、なんだか若干言い訳っぽい説明が飛び出してきた。
……っていうか、私はアリスのアレクトルート攻略が嬉しすぎて、ちょっととんでもないことを言ってしまったわ!
「失礼しました。そうですね、殿下が特定の女性と親しいなんてことを軽々しく言ってはいけないですね」
「……いや、そういうことでは……」
ましてお相手のアリスは元平民の伯爵令嬢。普通に考えて茨の道よね。
言いふらしたりしませんよ! という気持ちを表明して私は自分の口を押さえる。
「……でも私、ささやかですが応援しますから」
私はアレクト殿下を見上げて、ロベルト殿下にも捧げた応援スマイルを浮かべる。
シドニア先生はなんだかごちゃごちゃ言ってたけど、アレクト殿下はアリスが攻略中っぽいから、問題ないでしょう。
普通にヒロインのアリスのほうがかわいいもの。
茨の道に思いを馳せているのか、アレクト殿下は暗い表情を浮かべている。
そしてそれを見守るフロディンも痛ましいものを見るような顔をしている。
でも心配しなくて大丈夫よ!
身分の差なんて聖女であることが分かれば何の障害にもならないから!
安心してルートを進むといいわ。――って、言うわけには行かないので、私は空気を読んで気遣うようなほほ笑みを浮かべた。
「ではお二人共、アリスさんのところへご案内してくださいますか? アリスさんの作るお菓子、とても楽しみです」
「あ、ああ。行こうか」
ああ、殿下の少し影の落ちた笑顔も素敵ですね。
ところでフロディン、若干涙ぐんでない?
主人思いの良い騎士なのね。
いや……もしかしてフロディンもアリスのこと……!? でも主人を思うゆえにその恋情に蓋をして仕えている……! 切ない! 切ないわ!
でもフロディン、貴方には貴方のことを想うエリフィアという女性が……!
ごほん。いけない。
私の心の中のエイダが暴れたわ。
寮の同室のエイダ嬢が、しょっちゅうこういう妄想を聞かせてくださるので、私も微妙に毒されてきてるのよね。
「……しかし、エルミニアはよくシドニア先生の研究室に行っているな。今日も熱心に討論していたけど、伝承に興味があるんだね」
アレクト殿下も気持ちを切り替えたのか、いつものような穏やかな表情で話しかけてきた。
ぼそりと「……てっきり私を避けるために避難しているとか、それか先生の……」と何か言いかけ、言葉を切る。
ゴホン、と咳払いをしてニコリと微笑んだ。
「地方伝承に関する本なら、王宮の資料室にもかなりの数があるから利用するといい。エルミニアなら成績優秀者だし、利用申請すればすぐ通るはずだよ」
……ばれてた。
避難場所として利用してたことめっちゃばれてた。
先生の、って言いかけた続きが何なのか気になるけど、とにかく、今日はたまたま真面目に伝承のこと話してて本当に良かった……。
「まぁ! そうですね、アカデミアの図書館の蔵書では少し情報不足だと感じていたところなのです。シドニア先生のお時間を奪ってばかりなのも気が引けてしまいますし、王宮資料室に申請を出してみますわ」
でも、シドニア先生が読んだというガレリアの伝承が書かれた本があったのは、王立資料室じゃないって言ってたよね。
できれば自分の目でその本の内容を確認しておきたいのだけど、アカデミアの図書館や王宮資料室みたいな場所じゃないって言ってたってことは、個人の蔵書だったのだろうか。
うーん、それだと探すのはかなり難しそう。
とりあえず資料室に利用申請を出して、アカデミアと王宮の両方でベスタ公国やガレリア周辺に関して書かれている本を確認してみよう。
あと、一番手っ取り早いのは近衛騎士隊の厩でクロリスに事情聴取することなんだけど。
……関わりたくないのよね、王族と。
単純に厩見学したいとか訓練場見学したいとか言っても、相手が近衛だから滅多なことじゃ許可がでなさそうだし、許可が降りたとしても、もれなく情報が殿下方に伝わって見学に付き添って頂けちゃいそうだもの。
一人で見たいのよ一人で。
向き合いたいのよ、馬と。
……まあでも一人で厩で馬と黙って向き合うご令嬢ってだいぶヤバい感じだけど。




