12 神馬の剣
「先生は馬と会話したことはありますか?」
「……それはなにか貴族社会の比喩的な表現か」
「え、なんですかそれ怖い……」
「……」
久しぶりのシドニア先生の研究室。
世界樹伝承に関する資料が手に入ったというのは作り話ではなく、本当だったので、私はそれに目を通させてもらっていた。
でも、ざっと見たところ聖女についての記述はあるのだけど、聖剣や神馬という単語は見当たらなかった。
「しかし……君は順調に王子殿下たちを魅了していっているんだな」
その言葉に私はコーヒーを吹き出しそうになる。口に含んだ瞬間に言うなんてひどい。
いつも自分の分しか淹れないのに、今日は珍しく私の分まで淹れてくれてちょっと嬉しかったのだけど……、もしやここで吹き出させて、恥をかかせるためだったのかしらと疑いたくなるタイミングだわ。
「魅了とは何ですか! それに『王子殿下たち』って……。私は彼らを誘惑したりしていませんし、何ら特別な感情は持っていません!」
私の言葉にシドニア先生は微妙な顔をした。
セリフをつけるなら「うわぁ……」って感じの顔よ。どういうことよそれ。
「……しかし、先程のような微笑みを見せられたら、男は君から特別な感情を持たれていると勘違いしてしまうぞ」
「先程……?」
「無自覚か……」
シドニア先生は頭痛がするのか、こめかみを押さえ、そしてため息を漏らした。
「ロベルト殿下は立場もあるのだから、もう少し耐性をつけるべきだとは思うが、あれは思春期の少年には少し酷だ」
「あれとは何ですか」
「応援しているといって微笑んだだろう」
「応援するのですから、無表情というわけにはいかないではないですか」
無表情で「おうえんします」なんて言われても、逆にモチベーションが下がってしまうじゃない。
「それはそうだが……。君は、自分が魅力ある女性だということをもう少し意識すべきだ」
「みりょっ……」
……魅力ある女性って、先生もそう思ってるってこと?
いえ、さすがにお世辞というか言葉の綾でしょうね。
でもでも、私はゲームでのライバルキャラだし容姿は整っているのよ。
そう、中身は残念でもね。
万に一つの可能性で……
「……じゃあ、先生も私が笑ったら魅了されますか」
「……」
固まったわ。先生が。
あれ? もしかして今世界全部が止まってて、動けるのは私だけ、みたいな感じなのかしら?
……まあわかってるわ。
教師として生徒に、男爵家の令息として侯爵家の令嬢へ、お世辞でも気軽に返せる内容じゃないもの。
「冗談です。今のはほんの冗談です。本気で受け取らないでください。先生も耐性をつけるべきです」
「……そうだな。冗談以外の何ものでもないだろうな」
ふー、と長めのため息をつかれてしまった。息を止めてたのかしら。
まあ切り替えていきましょう。
聞きたいことがあったのよ。落ち込んだりしてないわ。別に部屋に帰って泣いたりしないし。
「そんなことよりも、本当にお聞きしたいことがあったんですよ」
「……なんだ」
「あらご機嫌斜めですね」
「君の言葉は話半分で聞くことにしたんだ」
「まあそれでもいいですけど……私が聞きたかったのは、世界樹伝承に関連して、『聖剣』に関わる言い伝えが残っていないか、ということなんです」
「聖剣……。いや、今ぱっと思いつくような言い伝えはないな」
「そうですか……。あと『神馬』と『徴』はいかがです?」
「神馬の徴……聖剣……」
シドニア先生は少し考え込んだ後、席を立って資料棚の方へつかつかと大股で歩いて行った。
あら? 何か心当たりがあったのかな。ぶつぶつとつぶやきながら資料を探しているけれど。
「確か……南の……グラキエナか?……いや、ガレリアか……」
グラキエナやガレリアと言えば、南にあるベスタ公国の都市の名前だったはず。
ベスタ公国には神馬に関する伝承があるのかしら。
先生は本を手にとってはパラパラめくり、棚に戻す。
何冊かめくっていたが、結局探している情報はそこになかったらしく、ため息をつくとテーブルの方に戻ってきた。
そして、テーブルの上にベスタ公国の地図を広げた。
「ベスタ公国に、神馬に関する伝承があるのですか?」
「ああ。前にどこかで読んだ本の中に、『神馬の剣』という記載があったんだ。確か……ベスタ公国のガレリアに伝わる伝承に関して書かれたものだったと思うのだが……」
「神馬の剣、ですか。確かに、聖剣という表現をされてもおかしくありませんね」
「そう思ったんだが、どこで読んだ本だったのかが思い出せない。他国の地方に伝わる伝承について書かれた本など、そうどこにでもあるものではないと思うのだが……」
「アカデミアの図書館や、王宮の資料室などでしょうか」
「いや、そういう場所ではなかったはずだ……まあ、とりあえずその内容だな」
シドニア先生はそう言うと、地図のうえに指を走らせて、ベスタ公国の辺境都市ガレリアを指し示した。
「このガレリアは、今は寂れた辺境都市となっているが、昔は有名な馬産地だったらしい。伝承では、ガレリアにある牧場の一つに一頭の白馬が生まれ、その白馬が女神の遣わした神馬だったと書かれていた。白馬はどの馬よりも速く駆け、どの馬よりも勇敢で賢く、人語を解したらしい」
確かにクロリスは白馬で、速いかどうかは知らないが騎士様によれば勇敢らしい。
そして、人語を解した……というかむしろめっちゃ偉そうに喋ってたわ。っていうことは、クロリスは女神に遣わされた神馬?
っていうか女神ってどの女神様?
「神馬は自らの意志で剣を選び、徴を与えた。そして徴を与えられた剣が聖女を選んだ、と書いてあった」
「……剣が聖女を選ぶんですか?」
アーサー王のエクスカリバーのようなものかしら。この剣を抜いたものが聖女だ、とか。
でもその剣は馬が選んで徴を与えるのよね?
徴って……あれ、でもクロリスはアリスに徴を与えたって言ってなかった?
あれっ、聖女に直接徴を与えちゃってるじゃない。剣はどこ行ったのよ、剣は。
「ベスタの各地に伝わる地方伝承を集めた本だったからな。剣や徴がどんなもので、どうやって聖女を選ぶかというあたりについては書かれていなかったと思う。馬産地としては、神馬が生まれたということの方が、後世に伝えるべき重要な情報だったんだろう」
「うーん、なるほど……そもそも、その『聖女』が『世界樹の聖女』とも限らないわけですか?」
神馬を遣わしたのは何らかの女神様なわけだし、世界樹伝承とは別のお話なのかも。
でも、シドニア先生は少し考えてから頭を振った。
「いや……この国ではあまりなじみがないが、南のほうでは世界樹そのものを『女神の化身』と例えることがある。つまり神馬は女神、すなわち世界樹の遣いで、世界樹が神馬を介して聖女を選定している、ともとれる」
「……そうすると、こちらの国の伝承では、その神馬と剣が省略されてしまっているということでしょうか……」
「いや、私の知る限りだと、神馬について言及しているのはそのガレリアの伝承のみだ。他の国々すべてで省略されていると考えるより、自分の土地の特産品である馬の価値を上げるために、ガレリアが独自に伝承を付け足した……と、考える方がまだ自然だな」
「つまり、広告戦略ですか」
「ああ。ただ、もし広告の一環だとすれば、ガレリアと取引していた土地にもそういう話が伝わっていてもいいと思うんだが。……もしかしたら、ガレリア周辺の土地には似たような伝承が残っているかもしれないな」
確かに、他所の土地に伝わっていなければ広告の意味がないもの。
大々的に宣伝していたなら、顧客になっていた土地の方にも伝承が残っている可能性は高そう。
私は地図のガレリア周辺の地名を確認する。
「周辺……このドミティアは国境が近くて、確か何度か防衛戦が行われていますよね。でしたら軍用馬の需要が高かったはずですし、ガレリアとの取引も多かったかもしれませんね」
「そうだな。そのあたりの地方の資料がどこかにあればいいが……」
と、そこでコンコンッと軽やかな音が響いて、地図に夢中になっていた私たちはハッと顔を上げた。
開けられたままの研究室の入口には、いつの間にかアレクト殿下が立っていた。
「失礼します。議論中に申し訳ありません、シドニア先生。エルミニアに用事があるのですがよろしいでしょうか」
アレクト殿下はシドニア先生に優雅に微笑んだ。
そしてちらりと私の方へ視線を向けた。
シドニア先生も一瞬私の方を見て、それから殿下にお辞儀をした。
「これは気付かず失礼しました殿下。こちらの話は区切りがついたところですので、問題ありません」
さすがにこれ以上は庇ってくれないらしい。まあ直接来られちゃったらね。
キリがよかったのも本当だし。
それに気付いたら結構時間が経ってしまっているのでそろそろ帰らないといけない。
私はアレクト殿下の方へ歩み寄った。
「アレクト殿下……どうかなさいましたか?」
「すまないね、エルミニア。アスタルテ嬢がエルミニアを探しているんだ。たまたま会ったロベルトに聞いたら、シドニア先生の研究室へ行ったと聞いて来てみたんだけど、行き違いにならなくてよかった」
「まあ、アリスさんが? すみません、アリスさんも、アレクト殿下も、探し回らせてしまいましたね。つい話に夢中になってしまって……」
「いや、勉強熱心だなと感心して見ていた」
見ていたんですか、そうですか。一体どこからでしょうか。
多分、神馬の話をしている途中からだとは思うけど……。
先生を魅了とか言って固まらせた件を見られていたら、死ねますね。
「シドニア先生は知識が豊富で、とても勉強になりますから。……では先生、本日はご指導ありがとうございました。また後日うかがわせていただきます」
「ああ、それまでに新しい資料を探してみるよ」
「はい、よろしくお願いいたします」
にっこりと笑って見せる。
魅了されてくれればいいのに、とちょっとだけ願いながら。




