11 神馬の徴
クロリスの背に乗ったアリスは、持ち前の運動神経の良さと勘の良さ、そして教えられたことを素直に聞くまっすぐさをフルに発揮して、あっという間に一人で乗れるようになってしまった。
今は馬場を駈歩で自由に駆けまわっている。
……っていうか早くない? こんなもの?
ついさっきまで乗り方も知らないガッチガチの初心者だったよね?
「思ったより高くて怖いですね」って初心者お決まりのセリフ言ってた君はどこへ行った?
ダンスの時もそうだったけど、教えたことをスポンジのように……というかもはや、ブラックホールのように吸収していくので、教えているとちょっと怖くなる時がある。現に騎士様たちも若干引き気味だ。
が、教えている張本人であるロベルト第二王子殿下は引くどころか食い気味に熱く馬術競技への挑戦を薦めている。
実力がある人には素直に感服する、良い子なのよね、ロベルト殿下。
ロベルト殿下とアリスの二人乗りイベントは失敗してしまったけど、こうやって乗馬指導をすることで二人の間に淡い恋が芽生えるかもしれない。
そう思って見守っていたのだけど、アリスの健闘を称えるロベルト殿下は、どう頑張って見てもアスリートを育てるトレーナーにしか見えない。
あっ、今練習を終えて固い握手を交わしたわ。
……恋に落ちる二人はあんなにがっちりと握手しないと思う。ついでに言うと王子殿下と伯爵令嬢もあんな握手する機会ないと思うわ。
「ユディト様! ありがとうございます。私馬に乗ることができました!」
アリスが駆け寄ってきて両手を胸の前で組んでキラキラした目を向けてくる。
あっかわい……。
そこで、クロリスがこちらを見ていることに気付いた。そうだ。私の心の声が聞こえてるんだっけ。
無よ。無になるのよユディト。
「ええ、素晴らしかったです。さすがアリスさんですね。――それに、ロベルト殿下の指導も的確で素晴らしかったですわ」
『無になると考えている時点で無ではないがな』
おっしゃる通りだけど心の声に突っ込まないで欲しいわ。しかも私のセリフにかぶせ気味に来るのはやめていただきたい所存。
さて、でもクロリス……さん? 様?
馬につける敬称って何? クロリス号?
『なんでもいい。好きに呼べ』
……わかりましたクロリス様。
アリスさんがここでクロリスたんに乗れたとしても、アカデミアの試験ではアカデミアの所有する馬に乗らないといけないんですよ。
クロリん氏はさっき『他の馬も私が触らせたことを見ていたから先程のように恐れたりはしないだろう(心の中で声真似)』って言っていたけれど、それはここの馬達に限ったことですよね?
『……クロリスと呼ぶがいい。敬称はいらぬ。そのことであれば、私がさきほどこの娘に神馬の徴を与えた。これがあれば大抵の馬は従うだろう』
神馬? 徴?
Alice taleにそんなものは出てきたかしら。
……うーん、何か引っかかっている気はするのだけど……。
「エルミニア?」
「……!……はい、すみません、少しぼんやりしておりました……アレクト殿下、どうなさいました?」
「いや、難しい顔をしていたので気になったのだが……少し疲れているのかな? アスタルテ嬢も馬に慣れる……を飛び越して随分と上達したし、今日はこのあたりにしておこうか」
アレクト殿下がそう言って手をさっと上げると、騎士様たちが素早く礼をして馬たちを引いて離れて行ってしまった。
本当に心配させてしまったらしく、先程輝くような笑顔を見せてくれたアリスも顔を曇らせている。
「そうですね、すみませんユディト様、私の練習にお付き合いいただいて……」
「いえ、本当にぼんやりしてしまっていただけで……お気遣いいただきありがとうございます」
あああ……、クロリスが離れて行ってしまった。
どうやらある程度離れると心の声であっても会話はできないようだ。
神馬とか聖剣とか色々問いただしたかったんだけど……近衛騎士隊の馬と会話する時間ってどうやって作ればいいの?(二回目)
さすがに馬とは偶然町中ですれ違ったりしないし……っていうかクロリスは何ポジションなのよ。
一応男だから……攻略対象?
……えっと、そういう嗜好の方々がいるのは知っているけれど、さすがにAlice taleは一般向けの乙女ゲームだったのでそういう性癖はカバーしてなかったと思うわ。
それに、さすがにそれだったらネットを賑わせるレベルの話題になってそうだし。
……ん? 話題?
「……やはり疲れているようだね。寮へ帰る手配をするよ。それまでサロンで休んでいるといい」
ハッと気付くとすぐそばにアレクト殿下の心配そうな顔があった。
近くで見ても美形。4Kどころか8K放送でも余裕の美肌。
そんな美しい御手が私をエスコートするように差し出されている。
おっと、これは墓穴を掘ったってやつね?
王子殿下のエスコートを拒否する選択肢は選べない。
ゲーム画面ならグレーの文字で選択不能になってるわ。
むしろ選択肢が「手をのせて微笑む」「手をのせてエスコートに応じる」の二択よ。
「……ありがとうございます、アレクト殿下」
なので、私は手を乗せて微笑みながらエスコートに応じた。
**********
そして翌日の放課後、アカデミアの廊下にて。
「エルミニア!」
なぜだ。
「……ロベルト殿下、御機嫌よう。どうなさいましたか」
「いや、向こう側から君の姿が見えたから声をかけたんだ。二年も今日は授業が終わったのだろう?だったら馬術部の見学に来ないか?」
なぜ、ルート攻略中のヒロイン以外にはツンツンのはずのロベルト殿下が、私相手にとろけるような笑顔を浮かべながら廊下を駆け寄ってきて、馬術部デートイベントのフラグを提示してくるのだ。
「見学ですか?」
「ああ。もうすぐ競技会があるから皆張り切っているんだ。エルミニアが見に来てくれたら私も頑張れる」
やめてー! そんな眩しい良い笑顔向けないでー!
第一王子殿下から逃げようとしているのになんで第二王子殿下が逃げ道をふさいでいるの? 王族包囲網なの? なにか国家的な指令でも出ているの?
私は笑顔を浮かべながら頭の中をフル回転させる。
どうやって断ったら角が立たない?
何か用事をでっちあげるか。でも王族のお誘いを断れるような用事って……。
「エルミニア、少しいいだろうか」
天からの助けは、先生の声をしていた。
「……シドニア先生」
なんだか久しぶりだ。
後期になってから自分で避けていたから当然なのだけど。
シドニア先生はこちらへ来ると、そこで初めてロベルト殿下に気付いたようで困ったような顔をした。
「……ロベルト殿下……失礼しました、お話し中でしたか」
「いえ、構いません。エルミニアに用事があったんでしょう」
上級生にもため口の俺様ロベルト殿下もさすがに先生相手には敬意を払うらしい。
だが、邪魔をされて不満そうな顔は隠しきれていない。王族としてはちょっとまずいですわよ?
対するシドニア先生は、ロベルト殿下の許しが出たことにホッとした顔を浮かべる。
「ええ、彼女が以前調べたいと言っていた世界樹伝承に関する資料が手に入ったので、意見を聞きたくて。時間があれば研究室に来ないかと誘いに来たんですが」
「まあ、本当ですか? ちょうど伝承に関することで、先生の見解をお伺いしたいと思っていたところなんです」
私は、一度も世界樹伝承について調べているなんて言ったことはないのだけど。
でもどうせだから聖剣とか神馬とかについて知っていないか聞いてみたい気持ちもある。
なので今の私の返答は珍しく偽りなしの本心だ。
私の様子を見たロベルト殿下は目に見えてしょんぼりとしてしまった。うっ……良心が痛む……。
「……そうか、エルミニアは勉強熱心だと兄上からも聞いている。なら、また今度誘うことにするよ」
「ロベルト殿下、ありがとうございます。……競技会の練習、頑張ってください。応援しております」
せめてもの罪滅ぼしに精一杯微笑んで見せる。
そのかいあって、ロベルト殿下も輝くような笑顔を浮かべ「約束だからな!」と走り去っていった。
「――いらぬお節介だったかな」
「いえ、ありがとうございます」
やっぱり。
シドニア先生は私がロベルト殿下から逃げたがっていると分かってわざと割り込んでくれたのだ。
それがうれしくて、――ちょっとだけ胸が痛かった。




