97 在りし日
「......お腹、空いた」
空腹というだけで人はこんなにも力を削がれるのか。命なんて要らない、そうは思っても体は必死に生きようと養分を欲する。その欲求には抗えない。死ぬとしても、餓死を待つくらいなら首でも吊ったほうがマシだ。
寒くなってきた。辺りを見回しても骸骨しか落ちていない。既に肉はカラスや人に食われたのだろう。ひたすら歩く。
何か、食べるものは無いかと。死ぬにはまだ早すぎると体が囁く。生きる理由など、無いのに。
「殺して......くれ」
うめき声が聞こえた。声を発さなければ生きているのか、死んでいるのかも分からないような肉が転がっていた。ナイフでそれの首を刺し、絶命させた。不思議と食べる気にならなかったので喉の渇きを癒すため、血だけを啜るだけにした。
また歩く。まだ歩く。まだ歩ける。体も精神もとうに限界を迎えている筈なのに、動ける。数時間歩き、貧民街を出た。何処かで聞いた話によると『帝都』と呼ばれる大きな街がこの近くにはあるらしい。其処に行けば、何か食べ物があるかもしれない。
「また、貧民街の方から来やがったよ。ガキみたいですけど、どうします?」
「収容所の方に連れてけ。此処で処分すんのは後味悪いからな。あっちで労働させときゃ、回り回って俺らの方にも利益が回ってくる」
『帝都』の入り口まで辿り着いた私は警備をしていた兵士に突如、腕を掴まれた。お腹が空いた。
「ご飯、食べたい」
「収容所で食えるだろうよ。こっからかなり遠いからその道中に餓死しちまうかもしれねえが」
「......だったら、他を当たる」
私は兵士の拘束を振り払い、蹴りを入れて彼らを失神させ、帝都に入った。食べ物。食べ物。食べ物が欲しい。道行く人にそう言って強請っても、何も手に入らなかった。店から奪うことも考えたが、そうすれば既に先程の兵士二人の件で探されているのに更に多くの兵士に追われることになる。そう思い、店の襲撃は断念した。
しかし、今、考えれば後のことを考えるよりも先に現在のことを考えておいた方が良かったのかもしれない。とうとう、私は帝都の路地裏で倒れた。
「おや......もしもし、生きていますか?」
誰かがそう言って私の体を揺する。男の声だ。しかし、力の尽きた私にその男の顔を確認する余力は無い。何しろ目を開ける力が惜しい。
「お腹空いた。喉乾いた」
「そのようですね。......どうぞ、私の飲み掛けですが」
彼はそう言って私の頭を自分の方へ動かし、口に水を注いできた。水を飲めたという安心感、それだけでこと切れてしまいそうだ。
「美味しい」
「少し、待っていて頂けますか? 何か買ってきます」
そう言う彼を私は倒れたまま無言で見送る。仮に彼がこのまま帰ってこなくても、私は良い。最後に水を飲めて、良かった。そうとさえ思えた。
しかし、彼は直ぐに戻ってきた。
「近くにパン屋しか無かったので、パンしかありませんでしたが......どうぞ」
「食べさせて」
「分かりました」
男は柔らかいパンを私の口の中にゆっくりと入れてきた。それを私は勢いよく噛みちぎる。ほんのり甘い。美味しい。小麦の味がする。不思議と涙が出てきた。
「まだまだ有りますから。好きなだけ食べて下さい」
「美味しい」
「そうですか」
「どうして、助けてくれたの?」
「......助けて『くれた』はやめて下さい。気まぐれで助けただけですから。お名前は?」
私は口と目を開き、彼に名前を言った。
「ふふっ。そうですか。私はカブール、フェルモ・アハト・カブールと申します。......パンと水、置いておきますね。後、少しですがお金も」
茶髪の、顔の整った青年はそう言うと立ち上がり
「いつか、私を殺して下さいね」
と、言ってその場から立ち去った。意味が分からない。
何故、彼を殺さねばならないのか。そんな疑問を抱きながらも私は金をポケットに入れ、水筒とパンを手に持った。