96 陰
埃臭く、冷たい地下牢。そこに足音が響いた。その音は一歩ずつ、一歩ずつ此方へと迫ってくる。
「デレックス宰相」
不意に足音が止まる。私が格子の外を見ると、一人の少年が立っていた。
「国王陛下......ですか」
「以前と比べると、随分酷い部屋をあてがわれている様ですね」
溜息と共に少年は残念そうな表情を見せる。
「ははは。敗北者の末路、でございます。正義のために戦おうと、負ける時は負ける。それがこの世の摂理ですから。国王陛下の命が助かったことだけは幸いですが」
「吸血鬼の血を私の料理に入れたのはあくまで貴方ではないと?」
私は二度頷く。
「勿論でございます。全てはダルニエが国権を欲しいままにするための陰謀で......」
「ふむ。デレックス宰相は外のことを知らされていないのですか? 現在、実質的に国権を掌握しているのは臨時国民議会議長である我が妹、クララです。クロードも旧政府の代表として、力を持ってはいるようですが、事態が収まり次第、政治からは離れるつもりのようですよ」
何だ。臨時国民議会とは。その議長がクララ様? 彼女は失踪した筈ではなかったのか。それに、どうして彼女が国権を掌握しているのか。
訳が分からない。ダルニエが国権の掌握のために陛下を殺そうとしたのでないなら、一体、誰が陛下を殺そうとしたと言うのか。
「昨日、近衛騎士に拘束されてから私は長時間取り調べを受け、気付けば牢に入れられていました。ですので、外のことは何一つ聞き及んでいないのです」
「成る程。そうでしたか。それはお気の毒に」
そう仰り、陛下は私が拘束されてから、この国に起きたことを全て話して下さった。
「何と......。完全に王政は打倒されたと仰るのですか」
「打倒、と言うのは少々、言葉が乱暴かと。国民への穏健な政権の譲渡ですよ。私もクロードもそれを知った上で彼らの協力を仰いでいた」
「......せめて、せめて、立憲君主。立憲君主制を敷くことは不可能なのでしょうか」
「難しいでしょうね。現状、臨時国民議会では完全な共和制の樹立を目指して議論が進んでいますから」
陛下のお言葉に目の前が真っ暗になった。
「し、しかし! 王権の廃止などをすれば、貴族などの反動は避けられない筈......」
「勿論、貴族や一部の資本家、地主などの既得権益層からの反発は少なくありません。しかし、首都に置かれた政府に彼らが逆らうことは難しい。それは貴方が一番、知っているのではないですか? デレックス宰相」
「......っ」
従来の封建制国家では、纏まった政治をすることは難しい、そう思い、進めた中央集権化。まさか、こんなところで私に牙を剥くとは。
「私は、全く後悔していませんよ。実を言うと、国王の地位から降りれることを知って嬉しく思っています」
「......でしょうね」
「え?」
「陛下は昔から国王の仕事に対して不満を持っておられた! 私はそれを知っていたからこそ、国王としての自覚の無い陛下から仕事を取り上げるような真似をしていたのです! ......全てはクリストピア王国存続のため! 王国は存続せねばなりません!」
私は語勢を荒げて陛下にそう言った。陛下は呆気に取られた様子で首を傾げる。
「何故、貴方はそこまで王国に拘るのです? 国家は国民のためにある。国民が王政を望まないならば、それ以上、王政を続けることは国家への反逆です」
「失礼ですが、国王陛下、それは違うかと。国家は国民のためにあるんじゃない。国家は国民の幸福のためにあるのです。幾ら国民が望もうとも、それが国民の幸福を害するものなら我々は、国権は、国民の声を潰してでも現状を維持しなければならない」
「何故、共和制が幸福を害すると分かるのですか?」
「......私は没落した地方貴族の出でして、当時の私は路頭に迷っていました。そんな私を救い、国家の中枢の要職に就くまで助けをしてくれた方が居たのです。私が『先生』とお呼びしていた方です」
「先代の、私の父の宰相ですか」
「ええ、ご存知でしたか。彼は聡明で、槍を握らせたら世界一、という文武両道のまさに完璧な方でした。彼はありとあらゆる知識を私に下さった。そんな彼が死の間際、『王政が崩壊すれば、次に崩壊するのはクリストピアだ』と言い残されたのです」
ベッドに横たわりながら力なく、私の手を握りそう言った彼の様子が脳裏にチラつく。
「成る程......それで」
「あの方の言ったことです。ただの勘ではない......」
「よく分かりました。それでは私はこの辺りで」
そう言うと、陛下は足早に地下牢から出て行ってしまわれた。行き場のない不安感だけが私を襲う。先生、私は一体どうすれば......。
「取り敢えず、死んだら良いと思うよ。先生の為にも」
聞き覚えのない声に驚いて振り向くと、そこには見慣れない金髪の少年が立っていた。しかも、牢の中にである。
「だ、誰だ貴様!?」
「名乗るほどのものでもないよ。僕、『先生』のことを君に喋られたら困るんだよね。いや、別に本来なら君がそのことを喋ろうがどうでも良かったんだけどさ。ほら、相手に悪魔と不死族居るじゃん? アイツらにその話が伝わったら厄介だから」
そう言うと彼は腰に刺していた槍を抜いて此方に向けた。
「ま、待て。話をしよう。貴様の言っていることが私には何一つ分からない」
「分からなくて良いの。独り言だから」