67 悪夢
気がつくと、逃げていた。誰から逃げているのかも、此処が何処なのかも、何もかもが分からない状態で。
「ふう、はあ......」
少し、息を入れる。タッ、タッ、タッ、タッ、タッと何者かが追い掛けてくる不気味なくらいに軽快な足音が聞こえた。
『お前、誰だよ』
声が頭の中に響く。その声は段々と細く、高くなっていき、耳鳴りのように頭を支配する。気を失いそうな程の目眩に倒れそうになる。しかし、そうしているうちにも確実に自分を追い掛けてくる足音は大きくなった。
「......逃げないと」
思うように動かない足を動かして、気の狂いそうな頭を放ってまた走り出す。あれに捕まってはいけない。それだけは分かった。
「何故、逃げるのですか? 止まってください」
誰かの声がこの空間全体に響いた。もう、直ぐ後ろまで来ているようだ。
「嫌よ。貴方のこと、嫌いだもの」
「偶然ですね。ソフィアもです」
「偶然どころか必然でしょう。そんなもの」
溜息を吐くと更に足に力を入れ、加速した。走るだけでこんなにも疲れるのは初めてだ。いや、違う。こうやって『アレ』から逃げるのは初めてじゃない。一体、自分は何時から走っているんだろう。
「嫌いなら、追い掛けるのを止めたらどう?」
「そういう訳にはいきません。契約ですので」
「誰との」
「貴方との」
「......そんなもの、した覚えは無いわ」
「でしょうね」
「話にならないわ」
「何時まで走りつづけるおつもりですか?」
「......貴方が諦めるまで」
「そうですか」
走っても、走っても何も無い。いや、見えない。そこには確かに何かがありそうなのに目を閉じているみたいに何も、見えない。手も、届かない。
『ソフィア』
誰かが呼んでいる。
「契約者!?」
『ソフィア』
「契約者......!」
立ち止まり、その名前を再び叫んだ。すると、肩に何者かが手を置く。
「捕まえました」
不快な声が聞こえる。
「嫌......嫌......嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌!」
「逃げないで」
「ああ......あああ......ああああああああああああああああああ。契約者!」
暴れる。泣きわめく。それしか出来なかった。アレに立ち向かう術を自分は持ち合わせていなかった。嫌だ。冷たいのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。
暖かくて心地よい、あそこに居たい。
★
「そ、ソフィア......?」
気がつくと、何処か心配そうな彼の顔が視界に入ってきた。
「け、契約者!?」
「お、おう! 契約者だ! ......大丈夫か?」
「え?」
「いや、その、ソフィア、寝言で目茶苦茶叫んでたからさ。顔色も悪いし」
寝言?
「契約者、今は何時ですか?」
「夜の2時」
「......申し訳ありません」
どうやら、先程のは全て夢だったようだ。夢にしてはおぞましい夢だったが。
……具体的にどうおぞましかったのだろう。忘れてしまった。
「良いよ。悪夢の中でも俺の名前を呼んでくれてありがとうな」
「ソフィアは夢は見ません。ましてや悪夢など」
「いや、それは流石に無理あるだろ。『嫌嫌嫌嫌嫌嫌!』とか『契約者!』って言ってたぞ」
無言で彼から顔を逸らした。
「兎に角、ありがとうございました。どうやら、一応、逃げられた様です」
「何から?」
「......さあ? 忘れてしまいました」
「ソフィア、手、震えてるぞ」
彼がそう言うので自分の手を見てみると、確かに自分の意思に関係なく手が弱々しく震えていた。
「気のせいでは?」
慌てて手を閉じ、無理矢理震えを止めると素知らぬ表情を作りながら契約者にそう言う。
「いや、だから、無理あるって」
契約者はそう一言苦笑しながら言うと、厳しい面持ちに表情を一変させた。
「ソフィア」
「はい」
「昨日は変なこと言って悪かった」
「え?」
変なこと。
「ほら、『お前誰だよ』って言っただろ俺。アレだ。忘れてくれ」
「......言われたような言われていないような」
首を傾げる。そんな訳の分からない質問をされたら、記憶に焼き付いている筈だが、何とも記憶が曖昧だ。
「めっちゃあやふやにしか覚えてなかった!?」
驚く契約者に聞く。
「返答はどうでしたか?」
「え?」
「その質問にソフィアは何と返答しましたか?」
「それは......『ソフィア・オロバッサです』って凄い事務的に返されたけど?」
「まあ、そう答えるでしょうね」
しかし、確かに言われてみればそんなことを言われた気もするのだがそもそも昨日の記憶が少し曖昧だ。
「ソフィアはパン、好きか?」
「まあ、はい。それと質問に何の関係が?」
「ソフィアはフランのことどう思ってる?」
「別に何とも」
「ソフィアは俺のこと好き?」
「......そこ、そこ?」
「あれ、ソフィアって好きとかそういう感情無いって言ってなかった? 前に」
「ありません。あくまでも契約相手としての相性を元に言ったまでです。起こして申し訳ありませんでした。寝ますよ。後、パートナーとして出来るだけ近くにいるためにやはり、契約者のベッドで寝かせて頂きます。キングサイズなら二人で充分でしょう」
「......かわいいかよ」
契約者がそう言った気がしたが聞き間違えだ。そうだ。きっと。寝よう。早く。
ワクチン二回目打ちました。
意外と何ともありません。
5Gと繋がったので執筆速度が速くなるかもしれません(大嘘)