22 契約者
「金貨30枚、確かにお受け取り致しました。商品を届ける時間帯は何時頃が宜しいでしょうか?」
「16時くらいで」
「承知致しました。では、今日の16時に商品をお届け致します」
黒髪の青年は深々とお辞儀をした。
「じゃあ、宜しくお願いしますね」
「はい、ありがとうございました。またのお越しを」
俺は丁寧な言葉使いの青年に会釈をすると、店を出た。落ち着いた雰囲気の先程の店とは違い、街路は騒がしく多くの人々が行き交っている。
「ふう......あんなに大きな買い物をするのは初めてだから緊張した。ソファーとダイニングテーブルって、あんなに高いんだな」
「それは私達が行った店がそこそこ良い品を扱っている店だと言うこともあったのでは無いでしょうか。ギルドマスターに紹介して頂いた店ですし」
「あー、確かにそれはありそうだな。エディア、金持ちだし」
ギルドマスターの月収......幾らなのかは分からないが恐ろしいほどの金額なのだろう。それだけは容易に想像出来る。
「それよりも契約者、本当にあの店は16時に商品を届けてくれるのでしょうか。代金を持ち逃げされる可能性を考えれば、やはり契約魔法を使うべきだったのでは?」
「大丈夫だって。ギルドマスターが紹介してくれたところなんだし。それにソフィアがあの店と契約したら俺の『契約者』というアイデンティティーが瓦解する。ソフィアに『契約者』と呼んで貰えるのは俺だけの特権だぞ」
本当のことを言うと、初めのうちは『契約者』という呼ばれ方に違和感を覚えていて名前で呼んでほしいと思っていたのだが最近はその呼ばれ方が妙にしっくりとくるのだ。
「ソフィアが契約している方は魔界に行けばたくさんいますよ?」
「そういうこと言うな」
『契約者』という呼ばれ方は俺にとって一つの称号のようなモノだ。その称号を他の者も持っているというのはあまり気分の良い話ではない。
「まあ、確かにソフィアと契約をしている方はたくさん居られますがソフィアが『契約者』とお呼びしているのは貴方だけですよ」
「へ? そうなのか?」
「はい。他の方は皆、名前で呼んでいます。安心して下さい。ソフィアの契約者はオルム・パングドマン。貴方だけです」
「え、あ、ああそう......」
嬉しい言葉の筈なのだが、何故だろうか。とても恥ずかしい気持ちになる。
「次は何処に行きますか? まだまだ、足りないものが有ると思いますが」
「次は調味料と調理器具、皿類だな。インテリアはまた今度買おう」
「分かりました。それでは、行きましょうか」
俺はソフィアの言葉にコクリと頷いた。
☆
「よし、そろそろ帰るか」
「はい。パンも買いましたしね」
「毎日あそこのパンを買わされてる気がするな」
俺は思わず笑ってしまった。何はともあれ、ソフィアが俺のプレゼントを素直に受け取ってくれるようになったのは良いことだ。
「......ご迷惑になっているのでしたら、これからは大丈夫ですよ。ソフィアはパンが無くても最低限の食事さえとらせて頂ければ死にませんので」
「また始まったよ。ソフィアのそう言う謙虚なところ、嫌いじゃないけど度が過ぎるのもどうかと思うぞ?」
「......しかし、ソフィアがゴキブリのように生命力が強いのは事実なので。二ヶ月でしたら、食事をとらずとも問題なく活動出来ますし、水も朝露だけで凌げます」
「そ、それは確かに怪物並の生命力だな......ってのはどうでも良くて。ほら、ソフィアの好きなクロワッサンだ。本当に要らないのか?」
「っ.......!」
俺が紙袋からクロワッサンを取り出して、ソフィアに見せびらかすと彼女は何かを堪えるように唇を噛み締めた。ちょっと可愛い。
「兎に角、迷惑にはなってないからこれからも一緒にパンを食べようぜ。あそこのパン屋には恩があるし」
「恩?」
「俺がソフィアと契約した日、俺の体がボロボロだったのを覚えてるか?」
「はい。額の部分を擦りむいたりしていましたね」
結局、あの傷は全てソフィアの回復魔法によって治して貰ったのだが本当に痛かったのを覚えている。俺が兵士として働いていた頃はああいった暴力行為が毎日のように行われていたのだから驚きだ。
「ソフィアと出会う数時間前の話だけど......俺はあの日、とある人間にボコボコにされたんだ。丁度、兵士の仕事も辞めさせられて所持金は銅貨一枚だった俺に優しくしてくれたのがあのパン屋の店員だった」
「優しく、とは具体的にどのようなことをして頂いたのですか?」
「簡単に言うとオマケだな。あんなに美味しいパンを銅貨一枚という原価スレスレの値段で売ってくれているのにも関わらずボロボロの俺を心配してあのパン屋の店員はパンをタダで二つもくれたんだ」
あの時もしあのパン屋に出会っていなければ俺の心はますます荒み、ソフィアを連れていこうとしていた男のことも見てみぬフリをしたかもしれない。
「成る程。契約者にとってあの店の店員は恩人なのですね。して、契約者に暴力を振るった人間とは一体、誰なのですか?」
「ああそれは......」
俺が更に説明を求めるソフィアに答えようとすると、見覚えのある男が俺とソフィアの目の前に立ち塞がった。
「よう、オルム。随分と調子良さげじゃねえか。ヒック」
「アルベルト・ゲイザー」
俺が兵士だった頃、毎日取り巻き達と一緒に俺に暴力を振るってきたこの街の下級兵士のリーダー的存在だ。
「......お前、誰を睨んでるのか分かってんのかコラ。ヒック」
アルベルトは明らかに機嫌を害した様子で俺に近付いてくると、何の前触れもなく俺を殴り飛ばした。俺が手に持っていた食器やパンの入った袋は俺の手から離れ辺りに散乱する。
「契約者!?」
ソフィアは目を見開き、焦ったような表情で叫んだ。ソフィアがこんなにも声を荒らげ、感情を露にしたのは初めてかもしれない。
「はっ! 結構、良い皿だったみたいだが残念だったな。調子乗ったことをするからこういうことになるんだよ。ヒック」
アルベルトは辺りに散乱した皿を踏みつけながら言う。ソフィアと一緒に選んだかなり高級な皿だったのだが、俺が殴り飛ばされた拍子に皿の入った袋を手から離してしまったせいで皿は地面に打ち付けられ、砕け散っていた。
「......一体」
ソフィアがうつむきながらボソボソと言葉を話す。
「アア!? 聞こえねえんだよ、はっきり喋れ! ヒック」
「一体、貴方は何者ですか? 出会い頭にソフィアのパートナーに暴力を振るうなんて......許さない」
「うっせえなあ。俺はオルムの元同僚だよ。チビ女、テメエが誰だか知んねえが口の聞き方がなってねえな。俺は兵士様だぞ。ヒック。テメエもコイツみたいになりてえのか?」
アルベルトはソフィアに詰め寄り、俺を指差しながらそう吠えた。
「貴方のような人間は冒険者ギルドのチンピラだけで十分なのです。ソフィアは銀製冒険者ですよ? それでもやるというなら」
「るっせえんだよっ! 兵士の職を失ってクズ同然になったオルムが皿を買えるなんて可笑しいとは思ったが、テメエが養ってたのかよ冒険者のチビ女! オルムはヒモに成り下がった訳だ! ギャハハハハ。ヒック」
俺がソフィアのヒモだと言うのは悲しいが事実だ。
「契約者からはきちんと対価を頂いています。ヒモという表現は間違っているかと。そんなことよりも早く謝罪と弁償をして下さい。道端に転がったパンは食べれませんし砕けた皿に料理は乗せられません」
「そ、ソフィア......」
俺は何とか立ち上がり、ソフィアを止めに入った。確かにソフィアの力を使えばアルベルトくらい簡単に倒せるだろうがアルベルトを敵に回すと後々厄介だ。
「弁償だあっ? 謝罪だあっ? するわけねえだろっ! バカじゃねえのお前。させたければ力付くでさせて見ろよ。銀メダルの冒険者って言ってもどうせ女だからギルドの職員に言い寄ってランクアップさせてもらったとかそんなんだろ? 俺様が女なんかに負ける訳ねえんだよ!」
あ、駄目だ。短い付き合いだが分かる。ソフィアは意外と短気なのだ。
「......そうですか。では、契約して下さい。ソフィアと貴方が決闘して私が勝てば貴方の現在の所持金を全てソフィア達に渡し、謝罪をすると」
ほらな。しかも、何気に弁償から所持金全てにレベルアップしてるし。