17 不純司りし幻獣
「......バイコーン」
俺は目の前に現れた魔物を見て、静かにその名を呟いた。バイコーンは白馬の魔物であるユニコーンと対を成す存在で、どちらもお伽噺によく登場する有名な魔物だ。
しかし、そんな知名度に反してバイコーンは『幻獣』と称される程、珍しい魔物でありその姿を見ることは非常に困難とされている。また、『幻獣』の名に相応しい強さの持ち主で英雄譚では主人公の前に立ち塞がる強大な敵として描かれることも多い。
「ま、黒牙猪よりは遥かに強いんだろうな.......」
「ギュイ、ギュイーーーン」
俺の推測に答えるかのように、バイコーンは馬のいななきを気味悪くしたような鳴き声で鳴いた。しかし、妙だ。一向にバイコーンは襲いかかってくる様子を見せない。
「バイコーンは魔界にもいますが、非常に知能の高い魔物です。恐らくソフィアの放つ魔力に怯えているのかと」
「え?」
ソフィアの言葉を聞き、徐にバイコーンの方へ顔を向けると確かにバイコーンの足はブルブルと震えていた。
「敵意は無さそうですが......狩りますか?」
「いや、良い。攻撃してこないんだったら倒す必要も無いだろ」
そんなことを言いながら、恐る恐るバイコーンに近付いてみると、やはりバイコーンは襲いかかってくる様子を見せなかった。創作物では気品に溢れた正義の魔物であるユニコーンに対して、醜悪で恐ろしい魔物と描かれることも多いバイコーンだが実際のバイコーンは醜悪でも、恐ろしくも無かった。
濡れ羽色の毛と鋭い二本の角はとても美しく静かな瞳はとても知的に見える。
「ギュギュギュ」
すると、バイコーンはそのまま別の方向へと歩き出した。巣にでも帰るのだろうか。
「契約者。あのバイコーン、此方を見ているのですが」
「ああ、見てるな」
「ギュイ、ギュイーン!」
バイコーンはそのまま立ち去ることなく、立ち止まって俺達の方に振り向いた。何かを伝えようとしているらしい。
「.......まあ、付いてこいってことなんだろうな」
「そうですね。どうしますか?」
「俺達が受けたクエストは暗鬱の森の調査だ。バイコーンが奇妙な行動をしていたら調べるのもクエストの一環だろうし、行くしかないだろ」
「分かりました。ですがもしもの事があります。なるべく契約者はバイコーンに近付かず、ソフィアの隣にいてください」
「分かった」
俺は一歩、ソフィアの横に寄るとバイコーンを静かに追った。それにしても此処が謎に包まれた森だということは知っていたが、まさか近所の森でバイコーンと出会うことになるとは。本当にソフィアと出会ってからは可笑しなことの連続だ。
実際にソフィアと出会う前の俺であればバイコーンの姿を見ただけで腰を抜かしていただろう。しかし意味不明な出来事に遭遇し過ぎて感覚が麻痺してしまったのか、先程も其処まで驚くことはなかった。
「ギィュアアアア!」
すると、突然、バイコーンが図太い叫び声を上げた。俺とソフィアが慌てて構えると辺りの木々から何かが逃げ出すような音が次々に聞こえる。どうやら俺達を襲おうとしていた魔物を追い払ってくれたらしい。
「......隠れていた魔物には気付いていたのですが、もう少し引き付けてから倒そうと思っていました。すみません」
バイコーンに助けられるという貴重な体験をしたことに呆気に取られているとソフィアが突然頭を下げてきた。
「いや、謝らなくて良い。別に怒ってないし」
「ですが、契約者はバイコーンが魔物を払った後無言に」
「ああ、あれは単にバイコーンに助けられたことを驚いてただけ。別に機嫌が悪くなって、無言になったとかそういう訳じゃない」
「......そうですか」
堅物、生真面目に続いて責任感まで強いとは。少々、面倒臭いと感じるのも事実だが不真面目な兵士達の下で働いていた俺からすると、誠実なソフィアは安心感をもたらしてくれる存在でもあった。だからこそソフィアが気を張りすぎてパンクしてしまわないように、契約者の俺が支えてやらないといけない。
そんなことを密かに考えていると、俺達は暗鬱の森の最奥部と思われる仄暗い空間にたどり着いた。其処は木が生えていない円形の土地で中心には何やら巨大な岩のようなものが置いてある。
「ギュイ、ギュイーン!」
バイコーンはその岩の前に駆けていくと、岩に話し掛けるように大きな声で鳴いた。その声に反応したらしく周囲の木々から一体、また一体と見たことのない魔物が現れる。どの魔物も俺達に敵意は無いようだ。
「......行ってみるか」
「はい」
様々な魔物達が何故か俺とソフィアに視線を向ける中、その岩を観察してみると俺は形容のし難い違和感に気付いた。その岩の見た目は花崗岩のようなのだが形が何とも奇妙で蛇がトグロを巻いたような形をしているのだ。
「お気づきかと思いますが、これ魔物ですよ」
不思議そうに石を眺める俺に、ソフィアはそんなことを言った。
「は!?」
「先程、魔界にも生息すると言っていた魔物......バジリスクです」
予想外の言葉に開いた口が塞がらない俺。とてもじゃないがソフィアの言ったことを直ぐに理解することは出来なかった。
「ちょっと何言ってるか分かんない」
「このバイコーンはソフィア達をバジリスクの元へ連れてきたかったようです」
驚く様子もなく、淡々とそう解説するソフィアに俺は天を仰いだ。黒牙猪はたまにこの辺りにも出没するのでまだ現実味がある。バイコーンは『幻獣』と称されるほど珍しい魔物だが百歩......いや千歩譲ってまだ分かるとしよう。だがバジリスク、お前は駄目だ。
この世で『最強』の魔物がドラゴンやフェニックスならバジリスクはその次に強い魔物の候補に上がるほどの魔物である。勿論、ドラゴンやフェニックスよりもランクを一つ下げる訳なので他にも候補は何体かいるのだが。
てか、本当にタイムリーな魔物だな。マジでそういう伏線回収要らないから。
「ギュギュギュ」
バイコーンは尻尾を動かしながら、ソフィアの言葉を肯定するように鳴いた。
「で、結局、俺達をバジリスクに会わせてどうしたいんだ?」
人間の言葉が分かるのかは不明だが、生憎バイコーン語は知らないため俺は人語でバイコーンに問いかける。
「ギュ」
すると、バイコーンはその立派な二本角でどう見ても巨大な石にしか見えないバジリスクの体を軽くど突いた。人間の俺からすれば痛そう、なんて物じゃないがバジリスクの体にはかすり傷すら付かない。
「ン、ンンン」
どうやら今まで寝ていたらしく、バジリスクは寝起きのような唸り声を上げてトグロの形を保ったまま巨大な頭部を俺達の方に向けてきた。
「は、初めまして。オルム・パングドマンです!」
その凄まじい存在感に圧倒された俺の口からは自然と自己紹介の言葉が漏れ出た。そういえばバジリスクの視線には対象を石に変える能力があると聞くが俺は大丈夫なのだろうか。今のところ石化の予兆は見られないが。
「ニンゲン......ト、アクマ?」
バジリスクはそのギョロリとした瞳で俺とソフィアを見つめると人の言語を用いてそう言った。俺は驚愕と恐怖でうち震える。人語を使えることだけでも驚愕に値するというのに、ソフィアの正体をいとも容易く見破ってしまったのだから恐ろしい。バジリスクという魔物が他の魔物とは別格なのだということが身を持って思い知らされる。
「......流石、蛇の王ですね。ソフィアはソフィア・オロバッサ。おっしゃる通り悪魔です」
「オロバッサ? アア、タナエル家ノ」
「タナエル家?」
バジリスクはソフィアの一族のことについても知っているようだがその言葉に聞き覚えは無かった。
「オロバッサ家が代々、仕える家。悪魔の長の家の名前です」
「ああ、成る程」
「しかし、何故貴方がそのようなことを?」
「ワレハ第一次人魔大戦ノ頃カライキテイルバジリスクダ。多クノチシキヲコノ頭ニ蓄エテイル。定期的ニ鳥ガ森ノ外ノコトヲ教エテクレルシナ」
人間と魔族の史上最大の戦争『第一次人魔大戦』が起こった時代を考えるとこのバジリスクは少なく見積もっても千年以上の時を生きていることになる。千年生きるとはどのような感覚なのだろうか。想像も出来ない。
「あの、バジリスク。その話し方、わざとらしい気がするのですが、素ですか?」
俺が生命の神秘に触れて感慨に浸っているとソフィアが急にそんなことを言い出した。
「ちょ、ソフィア!」
もし、ただ単に人語に慣れていないだけだった場合、かなり失礼な言葉だ。俺は焦りながらソフィアを止める。
「アア、キニスルナ......実際に作ってるから。ごめん。人間から見た魔物のイメージってこんな感じかなって」
バジリスクは先程とは全く異なる流暢なしゃべり方で俺達に謝ると舌をチロチロさせた。声も低く図太い声から、高い少女のような声に変わったのだが、何しろ巨大で恐ろしい蛇の姿に変わりはないので『違う。そうじゃない』感が凄まじい。
しかし、俺はもう何も驚かない。何もツッコまない。俺は神を信じていないので実在すると知っている悪魔にそう誓った。いや、やっぱり止めておこう。ソフィアを見ている限り、悪魔に誓いを立てて破ったら絶対に許して貰えなさそうだ。