147 サンドイッチは問題なし
更新遅れてしまったので二話続けて更新します!
「サンドイッチ......」
俺は、魔界に来て初めて口にすることになるであろうその食物を眺めながら唸っていた。現在、俺はメアリーの部屋で朝食をとっている。いや、正確にはまだ何も食べていないが。メアリーが既に二枚目のサンドイッチに手を伸ばしてるというのに、未だに俺は自分のそれを口にしていなかった。
「何。不満? 宮廷の食事だからもっと豪華なものが出てくるとでも思ってた? 嫌なら別の物を作らせるけど?」
思わず恐怖で身体がビクッとしてしまうような厳しい声色と表情で彼女は俺をそんな風に詰めてくる。怖い。
「いやいや、別に嫌とかではないし不満でも何でもないんだが。昔、サンドイッチに毒を盛られたことがあってな。それが軽くトラウマなんだよ」
「ふうん......? 後、あなた、何か今朝から急にタメ口になったわね。別に良いけど」
彼女はパクパクと何の感動もなさそうにサンドイッチを食べ、コップの水を飲む。その水は先程、俺が顔を洗うのに使った普通の水である。この国の王族が清貧を美徳としているのか、メアリーだけがそうなのか、はたまたこの国全体がそれだけ貧しいのか、謎だ。
「いや、すみません。何かメアリー様を起こすときにタメ口が出ちゃったのが、そのままになっちゃってて」
とよく分からない弁解をしつつ、俺はサンドイッチを手に取った。サンドイッチに使われているパンはライ麦か何かで作られているらしく黒っぽい。雪国でも育ちやすい品種の麦が使われているのだろう。中には紫色のジャムのようなものが挟まれている。ブルーベリーだろうか。
「別にタメ口でも良いわよ。......入ってる訳ないでしょ、毒なんて。そんなに毒が怖いなら代えてあげる。王族の食べるものに毒が入っている訳ないでしょう?」
と、中々、サンドイッチを食べない俺に苛立ったらしいメアリーは彼女の皿のサンドイッチと俺のサンドイッチを交換してくれた。
「あ、ありがと......あ、うま!?」
そうまでされたら食べない訳にはいかない、と、
サンドイッチを口にした俺は思わず、声を漏らした。食べたことのない味のジャムだったが、驚くほどに美味しい。強い酸味が口を刺激したかと思うと、口いっぱいに独特の果実の風味が広がる。
「そ。私はもうこれ食べ飽きたけど」
「でも、毎日サンドイッチを作れって使用人に言ってるんですよね。さっきのメイドさんから聞きましたけど」
「私、食べる物にあまり興味ないし。そっちの方が向こうも楽でしょ」
「メアリー様に仕えるの、なんか楽そうだな。俺も金に困ったら雇ってもらおうかな」
「サンドイッチを作るだけが使用人の仕事じゃないのよ。はあ、何だか朝から疲れた。......そろそろ、貴方のことについてもう少し詳しく聞かせて貰っていい?」
自分の皿のサンドイッチを全て食べ終え、水を再び口にした彼女は仕切り直すようにそう言った。こっちはまだ二枚目にかぶりついてるところなのだが。
「あ、はい。何が聞きたいですか。こっちも色々、聞きたいことあるんですけど」
「私のが済んだらね。まず、整理しましょう。あなたは人間で、人間界ではソフィア・オロバッサを従えていた。間違いないわね?」
「従えていたというか......うん、何というか、協力関係にありましたね」
「それでソフィア・オロバッサを連れ戻しに魔界へ来た、と。どうしてわざわざ、人狼の住むこの地に転移してきたのかしら? 後、どうしてソフィア・オロバッサは突然、帰還したの?」
「転移魔法って精度が悪いらしくて、狙った場所からかなりズレた位置に転移してしまうらしいんですよ。それで、本当は悪魔の都に転移したかったんですが大幅なズレが発生してしまったみたいで、此処に転移してしまったんです。ソフィアが帰還したのは悪魔族の長とやらに強引な帰還命令を出されたからですね。ソフィアは最初、逆らってたんですけど、長の奴、帰還しないとソフィアの体を操って俺を殺す、とか彼女に言って」
今でもあの時の情景が鮮明に頭に浮かんでくる。無力だった俺に出来ることはなかったとはいえ、ソフィアがひたすら悪魔の長に責められている時、何も助けてやれなかった自分に怒りが湧いてくる。
「ソフィア・オロバッサがあなた一人の命に拘泥したの? というか、あのソフィア・オロバッサが長の命令に背いたの?」
「人間界で人間と付き合う中で随分、ソフィアも成長したんですよ。俺もソフィアに成長させて貰ったけど。元はソフィアの命を狙っていたフランがソフィアと事実上の、ではありますが和解をしたのも、それが理由です」
「ふうん......。今のあなた、フランチェスカ・アインホルンと一緒に魔界に来たけどはぐれたのよね」
「はい。不本意ながら。多分、俺とは別のところに転移してしまったんだと思います」
俺が転移し、行き倒れ、メアリーに救助されたあの雪原にフランの姿はなさそうだった。俺より早く目覚めて救助を呼びに行った可能性もないことはないだろうが、彼女があの寒空の下に俺を放置するとは思えない。俺の中では別の所に転移してしまった説がかなり有力になっていた。
「そう。よく分かった。あなたはこれからどうするの? スパイの可能性は少なそうだし、もう好きなところに行って貰っても構わないけれど」
「あー......すみません。厚かましいのは承知の上でもう少し、此処に泊めて貰っても良いですか。この人狼族の街の何処かにフランが居るかもしれないんで探してみたいんです」
と言いつつ、俺は冷や汗をかいていた。どうしよう。フランが此処より数百キロ、数千キロと離れた場所に居たら。いや、元々、魔界には一人で来るつもりだったんだ。一人で悪魔の都を目指してやる......と言いたいところだが、やはり少しだけ不安であった。
「別に良いけど」
メアリーは俺の図々しい頼みを意外にも二つ返事で了承してくれた。耳はペタンとなり、尻尾は左右に振れている。
尚、椅子に座っている時の彼女は尻尾を背もたれに空いた穴から後ろに垂らしている。議会の椅子も全部そうであった。人狼族に配慮された椅子なのだろう。
「メアリー様、なんか凄い尻尾がブンブン動いてますけど」
「人狼族は嫌なことがあるとこうなるの」
「あ、犬と逆? ごめんなさい、やっぱり、今日発ちましょうか」
「別に良い。それより、あなたも私に聞きたいことがあったんじゃないの」
「ああ......いや、特に聞いてどうにかなる話でもないんですけど。あの、昨日の議会で発言していた民族連合? みたいな組織は何なんですか? 確か、メアリー様も俺と出会った時に同じ言葉を言っていたと思うけど」
民族連合副代表のルイ、だったか。よく覚えていないが彼の話していた内容と、その後彼を連れ戻しにきた民族連合代表を名乗る男の発言から察するに、彼らと人狼族の関係が良好ではないことは分かった。では一体、彼らと人狼族に一体如何なる対立が存在するのか。完全に野次馬根性ではあるが、俺はとても気になっていた。
「ああ。あれね......数年前、人狼族が悪魔の侵攻に屈し、降伏したことは姉から聞いたでしょう? 徹底抗戦を行うことなく降伏を選んだ人狼族に対し、悪魔は対価として王家の存続と自治を許した」
「ああ、はい」
「それに加えて時の女王シャーロット・ネヴィルと悪魔が結んだ協定があるの。それが少数民族の居住地区を人狼族の土地に作ること。悪魔って、人狼族みたいにある程度の規模があって敵に回すと厄介な種族は懐柔しようとするんだけど、組織的抵抗をする能力の低い少数民族は土地を占領した後、悪魔領の各地に存在する居住地区に強制移住させるの。その居住地区の一つをこの人狼族の土地に作らせろと悪魔は言ってきた。女王はそれを受けたのよ」
「......それは、どうして?」
とても生々しく、残酷な悪魔族の占領政策の実態に寒気を感じながら俺は更に聞いた。
「悪魔の要求に従っておけば悪魔の協力者としての人狼族の地位がより盤石なものになるだろうというのが一つ。もう一つは、そうね。今、人狼族は実質的に彼ら少数民族の支配者となっている。彼らが従事した労働の成果を買い取り、悪魔に横流しをすることで利益を得ているのよ。人狼族が支配者となることで人狼族のプライドを守ることと、悪魔族との戦争で疲弊した経済を回復させることのため、というのもあるんじゃないかしら。民族連合っていうのはそういう人狼族と悪魔族に反対する少数民族達が結成した向こうの自治組織というか、互助会というか、そういう感じのものよ。代表は鬼人族のユード、副代表はユードの弟のルイが務めている。一応、代表と副代表だけが人狼族の議会への代表権を持っているんだけど、割合的に必ず人狼族の意見が通されるから長らく二人は議会を抗議の意味を含めて欠席していわ。だから、昨日は驚いた......」
あまりにも救いのない話だった。心情としてはやはり、故郷を悪魔に占領された挙句、こんな雪国まで連れてこられて労働に従事させられているという少数民族側に同情したくなる。しかし、当事者でない俺に人狼族を糾弾する資格はない。悪魔族のやっていることはこんなことばかりなのだろう。ソフィアも関与した悪魔と不死族の全面戦争では、どれだけの不幸が生まれたのだろう。そして、昨日、ルイはどんな気持ちで議会に出席していたのだろうか。
「......すみません。少し深入りし過ぎました」
「良いの。私達が今していることが誰の目から見ても正義にもとることなのは確かなのだから。私達はきっと、地獄に落ちる。悪魔達とね。......ふふっ」
自嘲的な、誤解を招くような言い方を敢えてすると気味の悪い表情をメアリーは浮かべ、クスクス、クスクスクスとずっと笑っていた。