146 雪国での目覚め
翌日、ソファで目が覚めた俺は軽く伸びをして立ち上がった。時計を見ると針は九時半頃を指している。結構、良い時間だ。洗面台で顔を洗い、タオルで顔を拭く。清々しい朝である。窓から外を見ると、雪に覆われた人狼族の街が一望出来た。自分は昨日、こんな寒そうな所で行き倒れていたのかと思うと、何だかまた寒くなってきた。尚、宮殿の中は断熱が行き届いており、暖炉のお陰で暖かく、非常に快適である。
俺はポケットに手を突っ込むとアンネリーから貰った通信用の魔道具を取り出した。流石にそろそろ連絡をしておいた方が良いだろう。俺の生存とフランとはぐれてしまったことを報告しておきたい。
「......どうやって使うんだこれ」
思わずそう呟いてしまった。そういえば、使い方を教えて貰っていない。見たところボタンらしきものもなく、お手上げ状態である。仕方がない。また後で考えよう。
「おはようございます、メアリー様」
俺はベッドの方に移動すると、大きなイビキをかきながら熟睡しているメアリーの肩をトントンと叩いた。もう少しでベッドから落ちそうなくらい、ベッドの端で寝ている。キングサイズのベッドでもこういうことなるんだと変な感心をしてしまった。
彼女がいつも、何時に起きているかは知らないがそろそろ、起きて良い時間の筈である。
「ぐがぁ......んがっ、んぎゅっ」
しかし、彼女はとてもではないが王族の女性が出すものとは思えないイビキをぐちゃぐちゃと発し、布団の外にはみ出していた尻尾を布団の中に収めるだけで、起きようとはしない。
ふと俺は昨日のメアリーの言葉を思い出した。メアリーは非常に寝相が悪く、彼女を起こしにきた使用人に大怪我を負わせたことがあるとか。今の俺、かなり不味い状況なのではないだろうか。確かに見たところ、彼女の寝相は非常に悪い。上半身に布団が掛かっておらず、恐らく頭の方向が就寝時から約80度程、回っている。それに加えて前述の通り、今にも落ちそうなくらいベッドの端に身体が移動していた。
「ごぇるふぇむぃ......せかーな」
恐らく何の意味も持っていないと思われるそんな言葉をゴニョゴニョと発したかと思うと次の瞬間、彼女は俺の腕を両手で掴み、あらぬ方向に曲げようとしてきた。
「いだいっ!? メアリー様! 起きて! いてえ! 起きろ! おい! 聞いてんのか!?」
俺は死に物狂いで叫び、暴れる。実際、過去に彼女によって骨折させられた人物が居るのだ。冷静ではいられなかった。痛いのが嫌なのもそうだが、骨折なんてさせられたら今後の旅に確実に支障が出る。
「んぎゅう、んぎぎぇ、うるさぁい」
「いってえんだよ! おいお前、ちょ! 骨折られたら洒落になんねえの! 誰か! 誰か居ませんか! 助けてください!」
俺はもはや、敬語を使うことすら忘れて叫びまくった。部屋の前を通った使用人が助けてくれることを願って。
「......お前、じゃなくてメアリー」
突如、聞こえてきたそんな声と共に俺の腕は解放された。彼女は不機嫌そうな表情を浮かべながら俺のことを睨みつけて来ている。一難去ってまた一難。再び、俺の生命は危機に晒された。
「ごめんなさい。鉈で首刎ねるのだけは許して下さい」
「不敬罪とかで死刑なら良い? 私の権限一つであなたを公的な手続きのもと殺せるけど」
「そんなに専制的な感じなのかこの国」
議会の議席も恐らく少数民族の代表に割り当てられた二議席を除いて、王族と家臣団が占めているようだったし、不敬罪で表現の自由も縛られているとなればユリウスあたりが喜んで革命を起こしそうである。
「少し前はそうだったみたい。......先代の王が改革を始めてから不敬罪で起訴された者は居ないけれど」
「メアリー様の親か。起訴しないんだったら無くせば良いのに」
「......そうしようとは思っていたみたいよ」
俯き、溜め息混じりにそう答えたメアリーを見て、俺は己の無神経さを後悔した。人狼族の王位継承がどのように行われているのかは知らないが、人間と同じようなものと仮定すれば王の死後に子が王位を継ぐのが一般的。王が存命中に退位するケースもあるだろうが、シャーロットの若さを考えるとその可能性は低いと考えられる。つまり先代の王であると思われる彼女の親はもう......。
「ごめん」
気が付けばそんな風に謝っていた。敬語を使うことすら忘れて。
「別に謝らなくて良い。でも、朝から暗い話はしたくないわ。そろそろ、食事にしましょう? あなたに無理矢理叩き起こされて苛立ってお腹が空いた」
「それに関しては謝るけど、もうかなり良い時間ですよ」
「私はたっぷり11時くらいまで寝るのが好き」
「気持ちは分かるけど。執務とかないのか」
「言ったでしょ。肩書き程度の爵位しかないって。アレは朝五時から起きて色々しているみたいだけど」
アレ、とはシャーロットのことだろうか。妹より六時間も早く起きて執務とは、女王も大変だ。激務といえば、クララもそうだったが、彼女もちゃんと休めているだろうか。
「つまり、メアリー様は実質無職?」
「一応、戦時の戦力に数えられているわ。その言葉は大地主にでも言ってあげて。彼らの方が王族よりよっぽど裕福な暮らしをしているわ」
と、ぼやきながら彼女は昨日、部屋の明かりを消した時のようにパンパンと手を叩いた。しかし、何も起こらない。
「灯りつかないけど」
「灯りを付けようとしたんじゃないから。日の明かりで十分でしょ」
「いや、うん。まあ十分ではあるんだけど、何か朝の割に暗くないですか」
「この季節は日照時間短いから。昨日も夕方には真っ暗だったでしょ」
「ああ」
「だからといって、あまり灯りを使い過ぎるのもね。節約しないと」
「節約って......王族なのに?」
「節約志向の王族が居たら駄目?」
「いや、素晴らしい心掛けだと思います」
メアリーの部屋がやけに質素な理由が少し分かった気がする。最初は首を刎ねるだの、不敬罪だの言っていたので恐ろしい子だと思っていたが、思っていたよりも彼女は良い統治者なのかもしれない。いや、統治には殆ど関わっていなさそうたが。
そんなことを考えていると、突如、扉をノックする音が部屋に響いた。
「お食事をお持ち致しました」
女性の声だった。
「ん。取ってきて」
「え、あ、はい......」
俺はメアリーの言葉に黙って従い、部屋の扉を開ける。扉の外にはメイド服に身を包んだ金髪の魔族が立っていた。例に漏れず狼耳と尻尾が生えている。此処に来てからずっと思っていたことだが、人狼族という種族、めちゃくちゃ可愛い。メアリーやシャーロットのような女性だけでなく、昨日、メアリーと問答をしていた老齢の人狼のような男性も。非常に愛くるしいルックスをしている。
「......どうかされましたか?」
「あ、いや、何でも」
「本日のお食事はメアリー様のいつものご希望通りサンドイッチを用意させて頂きました。お客様の分も御座います。どうぞ」
と言って、人狼メイドは俺に持っていた金属のトレーを渡してきた。その上にはサンドイッチが乗った陶器の皿が二枚乗っている。
「あ、ああ、ありがとうございます。メアリー、サンドイッチが好きなんですか」
「というよりも、メアリー様はあまりお食事に興味がないようで。起きる時間も日によって異なられるので、いつでもお待ち出来るサンドイッチを作っておくように言われています」
「ああ......大変ですね」
「いえ、こちらとしては献立を考える必要がなく、助かっております。シャーロット様も執務中の食事としてサンドイッチをご希望されるので沢山作り置きがございますし。それではお客様、私はこれで」
「ああ、ありがとうございます」
「くれぐれもメアリー様のご機嫌を損ねませんよう、ご注意を。聡明なお方ではありますが、気難しい方でもあられますので。特に無理矢理、眠りから起こそうとすると骨を折られます。これ本当ですからね。本当に勘弁してほしい」
人狼メイドは俺の耳元でヒソヒソとそんなアドバイスをすると、ペコリとお辞儀をして今度こそその場を去っていった。昔、メアリーを起こそうとして骨折をさせられたという使用人が誰なのか、分かった気がする。