143 壁
「此処が私の部屋。貴方には取り敢えず此処で暮らしてもらうから」
議会を後にした俺が連れて来られたのはメアリーの自室であった。何となく質素な印象を受ける。勿論、そこそこの広さはあるし、家具やベッドも高価そうなものが揃えられて居るのだが、正直、クリストピアの王城にあった来客用の寝室の方が広さも煌びやかさも上であった。特に注目すべきはその壁。壁紙が全く貼られておらず、木目が剥き出しになっている。
「私の部屋に文句があるなら聞くけど?」
「いや、凄く落ち着く雰囲気だなあと」
ドスの効いたメアリーの声に怯えながら慎重に言葉を選んで答える。いつ首を飛ばされるか分からない恐怖というものは、中々キツい。
「あそ」
「というかメアリー様?」
「何?」
「此処、メアリー様の部屋なんですよね。俺、メアリー様と同じ部屋で暮らすことになるんですか」
「そうなるわね」
「......おかしくない?」
「何がよ」
「いや、まず貴方は女王の妹じゃないですか。それに加えてメアリー様は女性で、俺とはさっき会ったばかり。一緒にこの部屋で生活するには越えなければならない壁があまりにも多くないですかね」
メアリーはツンとした表情を僅かに緩ませ、キョトンとしながら首を傾げた。
「今の説明のどれが『越えなければならない壁』なのか分からない」
「嘘だろお前」
「お前?」
睨まれた。
「申し訳ありませんメアリー様」
「別に呼び捨てにするのは良いけど。お前はやめて。次はないから」
猟犬が獲物を睨み付けるかのような、鋭く恐ろしい視線を彼女は俺に飛ばしてくる。先程から結構な不敬を働いているが、その全てを見逃してくれているメアリーは思ったよりも優しいのかもしれない。
「慈悲に感謝を。で、話は戻るんですけど、やっぱり、ほぼ初対面みたいな関係の女性と同じ部屋で生活するのはヒト族的にはちょっと抵抗があるんですよね。人狼族の常識は分かりませんけど」
「でも、私は抵抗ないから」
「清々しい程のエゴイズムを突き通してきますね」
「それに貴方が何者か、未だによく分かっていないし。そんな怪しい人物を好きにさせておく訳にはいかないでしょ」
「わざわざ、女王の妹君が監視する必要ありますそれ」
「私、戦闘能力に関しては人狼族の中で最上位に位置しているの。貴方の力がどれほどのものか分からない以上、私が監視に当たった方が良い」
と、サラリと言い放つメアリー。何となくそんな気はしていたがやはり、彼女は家柄だけでなく力においても実力者だったらしい。そりゃあ、わざわざ剣を使わずに鉈を振り回している奴が弱い訳ないか。
「メアリー様がどうしても俺と同じ部屋が良いことは分かりました。じゃあもう、勝手に使わせて貰いますよこの部屋」
もう半分開き直ってしまった俺はメアリーの許可を待つことなく、ベッドの方に走っていき、寝転がった。極寒の北国において、この言葉は正しくないかもしれないが、俺は夏バテのような倦怠感を覚えていた。今すぐに横になりたい気分だったのである。ベッドはかなり硬く、彼女一人が寝るには十分すぎる大きさではあるものの王族の寝るベッドとしては少し小さく感じられた。一般的なキングサイズのベッドと同じくらいか、少し小さいくらいだろうか。
「あぁ......疲れた」
俺は今日一日だけで俺はソフィア達と王城に向かい、ソフィアに契約を切られ、その後魔界に飛び、凍えそうになり、メアリーと出会って王城に連れてこられるというイベントを全て経験しているのだ。疲労感の一つや二つ、感じない方がおかしい。というか、これだけ精神と身体を酷使しながら潰れていない俺の身体はかなり凄いのではないか。このペンダントが俺の身体を回復させ続けてくれているのかもしれないが。
ベッドの上で目を瞑っているとそんな思考が目まぐるしく俺の頭を巡った。
「何当たり前のように私のベッドに寝転がってるの」
「いや、ベッド一つしかないですし」
「貴方はあっちのソファで寝て」
「あやっぱり、流石に一緒に寝るのは嫌なんですね」
「私寝相悪いから寝てる間に貴方の身体壊してしまうかもしれないの。以前、起こしにきた使用人の腕と脚を折って全治二ヶ月くらいにしたことあって」
少しだけ恥ずかしそうに俯き、顔を紅潮させながら呟くように言うメアリー。不本意ながら少しだけ可愛いと思ってしまったが、それよりも恐ろしさの方が勝った。
「こっわ!?」
「その覚悟が出来てるなら此処で寝てもいいけど?」
「ソファで寝ます。絶対に」
俺は素早くベッドの真向かいに設置されていたソファへと移動し、其処で横になった。足を伸ばしても問題ないくらいの大きさがあり、クッションも幾つか置いてあるので寝心地は思ったよりも悪くなさそうである。
「もう寝るの?」
「はい。メアリー様がまだ起きておきたいなら明かり付けたままでも全然構いませんよ」
「いや、良い。私も寝る」
と言いながら彼女が手をパンと叩くと部屋中の照明が一度に消え、部屋は真っ暗になった。
「凄いですね、この照明。手を叩いたら反応する魔道具か何かですか」
「魔法で無理やり電気の流れを遮断してるだけ」
「高度な技術を用いた力技......。メアリー様、魔法も使えるんですね」
「一応」
人狼族最強のメアリー、是非ともフランやソフィア、八つ首勇者達と戦ってみてほしいものだ。流石にあのチートみたいな連中には敵わないだろうか。それとも、意外と良い戦いになるのだろうか。気になる。
「そういえば、フランのこと忘れてたな」
「誰」
「俺と一緒に人間界から転移してきた女の子」
「わざわざ、魔界にまで自分の雌を連れてきたの......?」
「違うわ! フランには単に護衛として来てもらっただけです。フランチェスカ・アインホルン、って知りませんか。あの不死族の姫の。彼女ですよ」
「......当然、知ってるけど。ソフィア・オロバッサの契約者でありながら、フランチェスカ・アインホルンを護衛に? 貴方の妄想の中の話なら聞きたくないんだけど」
と、俺のことを睨むメアリー。悪魔のソフィアと不死族のフランが曲がりなりにも仲良くしているという状況、よくよく考えるとあまりにも異常だ。悪魔と不死族の関係をよく知る魔界の者の反応として、メアリーの反応は至極当然なものであった。
「ま、色々ありましてね」
「嘘を言っている気配はない......。本当に貴方、何者?」
「何なんでしょうね。俺も自分が何者なのか知りたいですよ。前世に何やったらこんな目に遭うのか」
俺の愚痴に対するメアリーからの返答はなく、真っ暗になった部屋には静寂だけが流れた。メアリー様は喋るのに飽きられたらしい。それならば、と俺も目を閉じ、眠気に身体を任せた。