139 凍死
それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。意識が少しずつ戻っていった俺は目を開けた。眠りから覚めるような感覚だった。辺りは暗くて、何も見えない。そして、信じられないほどに寒い。少し地面を踏みつけてみて分かった。雪だ。雪が辺りに積もっている。転移自体は成功したらしいが、一体ここは何処なのだろうか。それを知る前に凍死してしまいそうだ。
一緒に転移した筈のフランを探す。辺りに彼女の姿はない。いや、暗すぎて何も見えないが。少なくとも彼女の気配はなかった。
「フランー? フラン居るかー!」
呼びかけても返事がない。俺は少し焦った。フランが居ない。この魔界において、それは死に等しい事態である。......元は一人で行こうとしていたというのに情けないが。
何度呼びかけても、フランの声は返ってこない。焦る俺は脳をフルで回転させ、幾つかの仮説を立てた。何かしらの手違いでフランは城に残されて俺だけが魔界に転移してしまった、とか、俺が気を失っている間に勝手にどっか行ってしまった、とか、別々の場所に転移してしまった、とかである。この寒さの中、フランが俺を放置するのは考え難いので二つ目の説はなさそうだ。となれば、一つ目か三つ目だろうか......どちらにせよ、此処にフランは居ないことになる。
不味い。非常に不味い。吹雪が吹いてきた。寒い。そうだ、ペンダント。俺の生命維持に不可欠なペンダントの宝石はまだあるだろうか。そう思い、俺は自分の胸元へ視線を落とす。ちゃんとあった。ほんの少しだけ、宝石が小さくなっている気もするが、ちゃんと青くて綺麗な宝石がぶら下がっていた。流石、ソフィアが血を吐いてまで魔力を凝縮させて作った宝石。転移魔法ごときでは無くならないか。ちゃんと手にはソフィアのリボンも握り締められている。良かった。無くしていなくて。
「......ソフィアー! 聞こえるか!? ちょっと本気でヤバそうだから助けてくれないか!」
と、俺は宝石に向かって叫ぶ。このペンダントの宝石にはソフィアとの通信機能も付いている。きっと、俺の声がソフィアに届いているはずなのだが、返事はなかった。通信と言えば、アンネリーから通信用の魔道具も渡されていたんだった。転移魔法を使って10分が経過したら此方に通信をしてくる、という話だったが、特に何も来ない。恐らく、俺がこっちに着いてから十分以上、気を失っていたせいで向こうからの通信に気付けなかったのだ。
どうしよう。安否報告はしたいが、一度の通信でかなりの魔力を持っていかれるという話だし、いくらペンダントが肩代わりしてくれるからといってこの極寒の中でやるのは駄目な気がする。というか、あと数十分もしたら凍え死ぬ気がするのでそもそも今、報告することにあまり意味がない。後にしよう。
とは言っても、本当にどうしようか。俺がこれだけ凍えているというのに、ペンダントは特に何もしてくれない。本当に死ぬ間際にしか助けてくれないんじゃないかこれ。
「誰か! 誰か居ないか! 助けてくれ!」
俺はそう叫ぶが誰も返事をしてくれない。そもそも、この辺りに人は居るのだろうか。......いや、人は居ないだろ。魔界なんだから。しかし、魔族の気配もしない。魔族も立ち入らない雪山とかに転移させられていたら流石になす術がないのだが。
「......あなた、何者?」
突如、背後からそんな言葉をかけられた。少し低めの女の声だった。驚きながらも、独りではなくなった安心感を胸に振り向こうとすると
「振り向いたらその首、刎ねるから」
と、恐ろしい脅しをかけられた。俺は慌てて身体を元の方向に戻す。
「け、決して怪しいものではありません! 敵対の意思もありません! 俺はただの......」
人間です、と。そう魔族に言って良いのだろうか。相手にもよるだろうが、人間であるだけで敵とみなして殺してくるような奴もいるんじゃないだろうか。特に今、俺の背後にいらっしゃる女魔族さんは殺気が凄い。
「同胞の匂いじゃない。......悪魔の匂いが少しするけど、あなた、悪魔? それとも民族連合の連中?」
少しするという悪魔の匂いとは恐らく、今日の昼頃まで一緒に居たソフィアの残り香か何かだろう。若しくは彼女のリボンの匂いか。どちらにせよ、俺にはさっぱり分からないが、後ろの魔族にはその匂いが正確に嗅ぎとれているらしい。
「民族、連合?」
「知らないの? じゃ、あなたは、何? 言っておくけど、嘘を言ったと思ったらその首噛みちぎるから」
首を刎ねられるのより嫌だなそれ。
「に、人間だよ。ただの人間。ただの人間一人くらい、見逃してくれても良いだろ?」
「......人間。嘘を言っているようには思えないけれど、本当に?」
「ああ。本当に敵対するつもりはないんだ。だからその、首を刎ねるだの噛みちぎるだの、物騒なことはやめてくれないか?」
「ええ。別に殺しが目的じゃないから」
「......で、振り向いた瞬間に首を刎ねたりは?」
「しない」
俺は慎重に言質を取った上でゆっくりと振り向いた。暗くてよく見えないが、犬のような耳を頭から生やしている、俺と同じくらいの身長の女性が其処には居た。しかも、この寒さの中でドレスを着ている。
「すみません、ちょっと凍え死にそうなんだけど。助けてもらって良いですか」
「どうしてそんなに薄着なのか、分からないんだど......」
「貴方も大概じゃないですかね」
「私達は寒さに強いから。取り敢えず、保護するから頑張って死なずに私に着いてきて」
「......雪のせいでうまく歩けない」
「あなた、どうやって此処まで来たの」