128 返事は不要
その作戦は一種の賭けに近かった。しかし、成功すれば此方側の被害を最小限に抑えながら勝利することが出来る。荒唐無稽な作戦だと自分でも思ったが、それでもやる価値はあると思った。
「......いけると思うか?」
「やってみなければ分かりません」
「......そうか」
「しかし、あの吸血鬼達、想像以上に硬い。一度に大きなダメージを叩き込むべきという契約者の考えは正しいかと。全力を尽くさせて頂きます」
ソフィアは俺の身体を直ぐ様抱いて、前線から後方へと退いた。追撃を仕掛けようとする二人の吸血鬼だが、それはサイズとエディア、そしてフランに阻まれてしまう。
数では明らかに此方が有利。ならば、その数の利を最大限活かすまで。
「契約者」
ソフィアが俺を呼ぶ。
「ん?」
「あまり気負わないで下さい。仮に作戦が失敗しても、ソフィアがどうにかしますから」
「......あー、バレてた? 緊張してたの」
「契約者は感情が顔に出やすいので」
「そっか。ごめん、気を遣わせて」
俺は若干の恥ずかしさを覚えながら、魔法陣を大量に展開し続けるソフィアを見守る。此方の魔法陣の量に向こうも警戒しているようで、二人の吸血鬼は隙を見つけては此方に攻撃を飛ばしてきているが、その全てをソフィアに塞がれてしまっている。
これだけの魔法陣を展開しながら、相手からの攻撃を軽々と迎撃してしまうソフィアの能力に、改めて圧倒されてしまう。
「いえ......それより契約者、こんな状況で申し訳ありませんが、一つだけ言っておきたいことが」
ソフィアは俺から目を逸らし、微かに俺の耳が聞き取れるくらい、小さな溜息を吐いた。
「何だ?」
「ソフィアは......正確には、今の『私』はこの戦いが終われば恐らく、消えます。私は元々、ソフィア・オロバッサを契約と命令に縛り付けるための人格、ソフィアに掛けられた呪いのようなもの。その私が自ら悪魔を裏切ったのですから、きっと、まもなく私は消える筈です。......私も私が何なのか、よくは分かっていないのですが、そんな気がします」
ふふっと、ソフィアは彼女のものとは思えないくらい、明るい笑みを依然として俺から目を逸らした状態で浮かべた。その儚げな表情が何とも可憐で、綺麗で、何処か妖艶ですらあって、俺の心は自分でも説明しきれないくらいに複雑に上下左右に揺れ動いた。
「消える......って、完全にソフィアの身体から今のソフィアの人格が無くなるってことか?」
「ええ」
「記憶も、ソフィアの今の気持ちも、全部が」
「さあ......どうでしょう。記憶は残るのでしょうか。でも、私の感情はきっと、残りません。この身体から私の痕跡はきっと、ことごとく消えます」
そう話すソフィアに不思議と悲壮感はない。今の彼女は自分の感情を受け止めた上で今、俺と相対して話している、そんな気がした。
「......どうにかして、今のソフィアを残す方法はないのか」
「あるかもしれませんし、ないかもしれません。何しろ、私は私のことを何も知らない。私がどの辺りでソフィアから分離したのか、いや、向こうのソフィアがソフィアから分離したのかもしれないですが......本当は何も分かっていないのです。私が消えるかもしれないということすら、憶測でしかありません。......でも、まあ、私は消えると思います。私が消えて、前のソフィアが戻ってきます。夢の中の鬼ごっこは彼女の勝ちですね。追いつけませんでした」
逸らしていた目を意を決したように俺に合わせ、彼女は『でも』と続けた。
「後悔はありません。向こうのソフィアより先に貴方に想いを伝えられましたから。私は契約者のことが好きです。貴方が教えてくれた感情で、今、貴方を好いています」
ソフィアは再び、精一杯の笑みを俺に見せる。普段、全く笑わないからか、その笑みはよく見ると何処か硬く、少し不自然だった。が、それでもそれが嘘偽りのない彼女の笑みであることは直ぐに分かった。
「ソフィア......俺は」
「返事は不要です。消える前に、振られると死んでも死にきれないというか、消えても消えきれないので。さて、そろそろ、魔法の準備が出来ました。前の三人を呼びましょうか」
「え? あ、いや、待っ......」
遮られてしまった。彼女からの告白に対する答えなど、一つしかないのに。
テレパシーを使ったのだろう。前で吸血鬼達と戦っていた三人が此方へと猛スピードでやってくる。どう考えても想いを伝えられる状況ではなかった。それでも、俺はどうにかこの言葉を彼女に伝えようと口を開く。
「あの......」
「あ、最後に一つだけ、契約者」
「え、はい。うん」
「私が自分の気持ちにちゃんと気付いたのは向こうのソフィアと分かれてから。向こうのソフィアが私と同じ気持ちかは分かりませんので」
「あ、はい、分かりました......」
決死の覚悟で放とうとした言葉も遮られてしまい、三人と、三人を追ってきた吸血鬼二人がもう此方まで来てしまった。
「おいおい来てる来てる来てる! ガキンチョ、さっさとぶっ放してくれ!」
「もう少しだけ引きつけます。必ず巻き込まれないようにするのでご安心ください。......契約者のことを宜しくお願いします」
吸血鬼達から逃げ、此方はやってきた焦燥感を露わにするサイズにソフィアがそう言った。
「ん? あ、ああ、おう! 俺が衝撃からオルムを守るから安心しろ!」
「知っていると思うが吸血鬼は不死族に匹敵するくらいしぶとい。特にディーノとドミニクはフラン君に勝るとも劣らない耐久力の持ち主だ。妥協することなく全エネルギーをぶつけてくれ」
「ええ、そのつもりです。......貴方も想い人のために裏切りを選びましたか。応援していますよ」
「へ!? あ、ああ、うん......僕も、応援、してる......」
「私の耐久力に匹敵するって気に食わないわね......ソフィア、私と同じ硬さの魔族はこの世に二人も要らないわ。ぶち殺してやって!」
「......死んでも償いきれない罪を犯したこの私に、一族の敵である私に、そんな笑みを向けてくれてありがとう」
「な、何々、え? アンタ、急にどうしたの?」
サイズに続き、エディア、フランにソフィアはそんな言葉を贈る。事情を知らない彼女らには分からないだろうが、俺にはその言葉がソフィアから彼等に向けられた最後の言葉であることがよく分かった。
「では、撃ちます。強力な結界を作るため、魔法に巻き込まれることはないとは思いますが、防音性はあまり期待出来ないので耳を塞いでいて下さい」
駄目だ。早く、言わなければ。
「ソフィア、俺は......!」
『ソフィアのことが好きだ』俺は確かにそう叫んだ。しかし、その声は恐らく彼女には届かなかった。俺が叫ぶよりも前に彼女が爆音と共に強力な魔法を吸血鬼二人に向けて放ったからである。
彼女が魔法を放った瞬間、連鎖するように幾つもの爆発音が現れ、ソフィアの結界でも防ぎきれないくらいの衝撃が俺達を襲った。地面は揺れ、視界は爆発と噴煙で何も見えない。あたりはさながら大災害の様相を呈していた。
作戦成功、ではあったようだ。