117 クラウゼ
宿で一晩を明かした俺達は朝早くから馬車に乗り、ユクヴェルへと向かった。翌日になると、ソフィアもサイズもすっかり、調子を取り戻しており、いつも通りに振る舞っていた。
「ドミニク爺さんよ、後、どんくらいでユクヴェルには着くんだ?」
サイズが暇そうにエディアの髪を引っ張ったり、ねじったりしながらドミニクに聞く。すると、ドミニクは少しも動揺する様子なく、しかし、大袈裟に声を上げた。
「おっと......! すみませぬ。私としたことが、伝え忘れておりました。既にクリストピア・ユクヴェル国境は越えておりますよ」
「え、マジで!? 確かに外の景色ちゃんと見てなかったな......エディア、検問所通ったの見たか?」
「まず、君は僕の髪で遊ぶのを止めてくれ......。さあ、どうだろうね。僕もドミニクさんや、サイズ達と話している時は外を見ていなかったから。......オルム君は?」
「俺もソフィアと喋ってたか記憶にないな」
「私はコイツが私のことを挑発してきたから外なんて見てる暇なかったわ」
「ワシもこの悪魔がいつ、姫様に手を出すか分かったものではない故......」
俺の言葉に続いて、横の馬車からフランとルドルフが同じような言葉を述べた。確かに、こう何時間も馬車に揺られていると、単調な外の景色には飽きてしまう。ずっと、外を見ていた奴の方が少数派だろう。
「で、ソフィア君は?」
「十数分前、通っていたかと」
エディアの問いにソフィアはこともなげにそう答えた。正確な時間は覚えていないあたり、ソフィアも其処まで外の景色を集中して見ていなかったのだろう。
「は? その時間、私と口論してたでしょ!? 何、アンタだけよそ見してんのよ!」
「口論......? 貴方が勝手に騒いでいただけでは」
「よし殺す」
「やってみればどうです。貴方、私に勝てたこと、ないではありませんか」
「......爺、やってきなさい」
「仰せのままに」
「ルドルフを殺す気か」
「人間、ワシを愚弄するか」
「アンタ、俺にも一回、不意打ちで撃たれてるだろ」
「あのような卑怯な手を使い、相手を傷付けたことを誇るでないわ、人間。そんなにも死にたいなら此処で斬り伏せてやる」
といって、ルドルフは俺を睨み付けながら剣を抜いた。そんなルドルフに鋭い声で警告を出したのはソフィア......ではなく、ドミニクだった。
「ルドルフ殿、剣を収めなされ。この場での戦闘は貴殿の主も望む所でもあるまい。この老骨に免じてどうか、戦闘行為はお控えを」
ドミニクは柔らかい口ぶりでありながら、強く、芯のある声でルドルフにそう言った。それを聞いた彼は眉を顰めながら剣を鞘に収める。
「......仕方あるまい」
「ぐぬぬ、悔しいけれど、直ぐに感情を爆発させる爺と違ってカッコいいわね、ドミニク」
「姫様っ!?」
「冗談よ、半分は」
「......姫様が誇れるような家臣になるため精進致します」
「......なあ、オルム」
俺がフランとルドルフのやり取りを見て苦笑していると、サイズが耳打ちをしてきた。
「ん?」
「......あの爺さん、何かよく分かんねえけど、ただもんじゃねえぞ」
「......というと」
「さっき、ルドルフ爺さんに注意してるとき、あの爺さん、殺気を隠してやがった。俺はそういうの、何と無く分かるんだよ。殺気は感じなかったが、殺気を隠しているのはよく分かった。あの殺気の隠し方が出来るのは相当の手練れだ」
「......案外、八つ首勇者だったりしてな」
「あり得るからこええんだよな。お前ら、殆どコンプリートしてるだろ」
「後、陸だけかな」
陸の勇者は肆の勇者などと同じく行方不明の勇者である。それも初代が人魔戦争の後に行方不明になったとか。そのため、子孫が生きている可能性もかなり低いのだが、その可能性もなくはない。
「あの爺さん、槍使いっぽいぞ」
と、サイズが指差すのはドミニクが自らの近くに置いている何かを巻いている布。昨日、ドミニクが自分にも武術の心得はあるといって触っていた奴だ。
「あれ、槍なのか」
「ああ。昨日、宿で見せてもらった」
肆、つまり、サイズの一族が鎌の扱いを得意としていたり、弍、アデルの一族が弓や銃を得意にしているように初代陸の勇者が得意としていた武器は槍だったとされている。初代陸の勇者の子孫が今も居るとするなら、その子孫はきっと槍やそれに近しい武器の扱いを得意としている筈だ。
「案外、エディアがそれなのかもしれねえぞ。エディアも変な槍持ってるだろ」
「......仮にエディアが陸ならエルフの森のときに力を見せてくれた筈だろ。俺だけ正体明かすなんてずりいよ」
「確かに」
尤もらしいサイズの反論を受けて俺は頷いた。そもそも、槍はかなり一般的な武器。一人一人、陸の勇者の疑いをかけていると日が暮れてしまう。
「エディアがどうしたんだい? 僕の悪口?」
「ちげえわっ!」
「サイズがエディアといつ結婚すべきかって聞いてきてる」
「オルムうっ!?」
そんなこんなでお互い、軽く揉めたり騒いだりしながらも時間はどんどん流れていき、気付けば、馬車は巨大な宿の前で止まっていた。昨日、泊まった宿は高級宿ながらかなりこじんまりとしていたが、この宿は先日、王都で泊まったあのホテルを思わせるほどに巨大だ。
しかし、建っている場所は繁華街から少し離れた丘で周りはかなり寂れている。まあ、こっちの方が静かで寛げるか。
それより気になるのが、ホテルの敷地内に作られたこれまた巨大で宮殿のような見た目をした建物。アレは何なのだろう。ホテルの別館か何かか。
「16時、ですかな。皆様、ユクヴェル首都、クラウゼに到着です。長旅、お疲れ様でした」
やっと、長い馬車旅から解放される。そんな喜びを噛み締めて俺達は馬車を降りた。勿論、長時間、御者をしてくれたドミニクに感謝を伝えるのも忘れなかった。
首都、と聞いていたのでてっきり、クリストピアの王都の城下町のようなものを想像していたが、ユクヴェルの首都、クラウゼは煙を上げる工場と商店が無秩序に立ち並ぶ、非常に騒がしく、活気付いた街だった。
ユクヴェルは鉱山と商業の国。工場と商店が多いのは当然なのかもしれない。
「噂には聞いていたけれど、これは凄いね......一見、無秩序に見えるが、彼らは確かにこの街に自分達の秩序を作っているんだよ」
エディアが街全体を見渡し、恍惚とした表情でそう言った。博識なギルドマスターの目にはこの街が非常に素晴らしい街に見えるらしい。
かく言う俺も、この騒がしい感じは嫌いではなかった。
「本当は丘の下の大きな道のずっと向こうに宮殿があったのですがね。革命の最中に火を放たれ、燃えてしまいました。跡地は百貨店になっていますよ」
ドミニクが街の中でも特に広く、賑わっている道を指差してそう言った。ユクヴェル革命は泥沼化こそしなかったものの、かなりの暴力を伴った革命だった。それを考えると、クリストピアの共和制移行はある程度、平和に行われて幸いだったと常々思わされる。
「なんか、商魂逞しいわね。宮殿の跡に百貨店とか」
「ユクヴェル人達に言わせると、貴重な観光資源を燃やしてしまったことはあの革命の最大の失敗、だそうです」
「ええ......」
ドミニクにユクヴェル人の国民性を簡潔に伝えられて困惑するフラン。ユクヴェルといえば、王都のギルドマスター、リョウジもユクヴェル出身でかなりケチだったな。
「夕食まで時間があります故、どうぞ、観光をして来てください。宿の方もまだ準備が終わっていないようですし。......そうですな、19時頃にお戻りくだされ」
「んー、じゃあ、俺達は取り敢えず、パン買いに行くか」
「了解致しました」
「僕はここのギルドに行きたい」
「んじゃあ、着いてく」
「爺、私らもパン屋行くわよ」
「......何故、悪魔と同じ場所へ?」
「敵を倒すには敵を知ることが大事なのよ」
「......成る程。素晴らしいお考えですな。姫様の柔軟な発想はお母様譲りでしょうか」
いや、勝手に着いてくるなよ。ソフィアと二人がよかったのに。