113 膝枕
「ただいま〜。遅くなってすまん」
「......捌に呼ばれていた、とのことですが何故、ギルドに?」
「え......いや、ただの成り行きだけど。何で、俺がギルドに行ってたことをソフィアが知ってるんだよ」
「契約者に差し上げたペンダント、あれは常に契約者の位置情報をソフィアに送ってくるようになっているので」
「え、何それ急に怖い。そんなプライバシーを破壊するようなアイテムだったのかよこれ」
と、俺は首元のブローチに目をやりながら言った。まあ、ソフィアにバレたら不味いような場所に行くつもりはないので別に良いのだが。
「もし、契約者に何か異常があったとき、より迅速にソフィアが駆け付けられるようにする為の機能です。あしからず。どうしても問題があるようでしたら、位置情報の送信を止めるようペンダントに触れながら念じて下さい」
「あ、いや、そういうことなら大丈夫。色々、考えてくれてるんだもんな。ありがとう」
「いえ、契約ですので」
「そっかそっか」
「昼食にしましょう。既に用意は整っております」
彼女は俺にそう告げると、そそくさと、無愛想にキッチンの方に行き、俺にダイニングへ行くよう促した。若干の居心地の悪さを覚えつつも、相変わらず美味しいソフィアの料理を堪能した俺は食後のお茶を飲みながら彼女の顔を見つめる。
「ソフィアの顔に何か?」
鋭い表情と声でそう聞いてくるソフィアに俺は笑いながら首を振った。
「あ、いや、ソフィアってやっぱり、美形だなあ......と」
「そうですか。取ってつけたような言葉でも嬉しいです」
「何か今日のソフィア、切れ味強くない?」
「ご不快でしたら謝ります。申し訳ありません」
「......んー」
俺は不意に唸りながら立ち上がると、向かいの席に座っているソフィアの所まで移動し、彼女の頭を徐に撫でた。
「何を?」
「いや、別に」
「......気付いていると思いますが、今のソフィアはいつものソフィアではありませんよ」
「うん、気付いてる。堅物ソフィア、俺と会った頃のソフィアに似てるのにプラスしてちょっと辛辣なんだよな」
「・・・・」
どこか不満そうというか、言いたいことがありそうな表情で彼女は俯く。
「まあ、そっちが辛辣な分、こっちもあまり気を遣わなくて良いから楽なんだけどな。......やっぱり、ソフィアの髪の毛、めちゃくちゃ触り心地良い」
丁寧に彼女の頭を撫でながら俺はそう言った。
「そういうことは向こうのソフィアにやった方が、喜ぶかと」
「つまり、今のソフィアさんは結構ご不快に感じてらっしゃる?」
「そういう訳では」
「そりゃ良かった。最初はソフィアの『堅物返り』、どうしたんだろって悩んでたし、今もちょっと悩んでるけどさ。......こう、日常化してしまうと悪くない気がしてるんだよな。勿論、あっちのソフィアはあっちのソフィアで好きなんだが、こっちのソフィアも付き合いやすくて良い」
「......比較的感情豊かなあのソフィアより、今のソフィアの方が付き合いやすいと?」
「うん。俺、学校には行ってないし、親も早くに亡くしてるから、今まで殆ど人と関わったことがなくて......だから、俺、人との距離を測るのとか、感情の機微を読み取るのとか、苦手なんだよ」
「確かに契約者、急に頭を撫でてきたり、抱きついてきたり、突飛な行動が多いですよね」
「マジで辛辣だな......。でも、まあ、そうなんだよ。俺は普通の人間より堅物悪魔の方が付き合いやすいんだ」
「......奇特な方ですね。貴方のような方と一緒に居たから、ソフィアの中はこんなにも歪んだのでしょう」
表情は一つも変えずに、しかし、語気は少し強めにソフィアはそう呟いた。
「歪んだ?」
「ソフィアの中で二人のソフィアが、混じり合いながら互いを食い殺そうとせめぎ合っているこの状況のことです。......何度も言いますが、ソフィアはソフィアです。完全に人格が分かれている訳ではない。同一の人格の中で、乖離した二つの『何か』がソフィアの中で暴れているのです」
堅物ソフィアの言い回しはいつも難解で、よく分からない。しかし、いつも核心を突くような話をしてくれる。
「二つ、質問があるんだが、良いか?」
「どうぞ」
「どうして、お前は其処まで自己分析ができているのに、あっちのソフィアは自分の身に何が起こっているのか分かっていないんだ?」
「さあ。ソフィアも分かりかねます。無理に考察するなら、どちらかというと、向こうのソフィアが喰われる側でこっちのソフィアが喰う側だからでしょうか。喰う側の事情は喰う側にしか分からない。喰われる側に許されるのは何も分からず、ただ、死を受け入れるか、抵抗するかの二択ですから」
「......よく分からんな。堅物ソフィアも、れっきとしたソフィアだろ。何でソフィアがソフィアの中で主導権争いみたいなことしてんだ」
「さあ。それもソフィアには。ですが、契約者のその疑問こそ、ソフィアの現状が『歪んだ』ものであることの証明かと」
「お前、何か、スイッチが入るとあっちのソフィアより饒舌だよな」
俺は便宜上、このソフィアのことを『堅物ソフィア』と呼んでいるが、『堅物』というのはこのソフィアの一つの構成要素でしかない。『辛辣』や『饒舌』、『哲学的』など、明らかに俺と会った頃の堅物ソフィアとは違う要素が彼女の言動の要所要所に現れている。
「申し訳ありません。なるべく、説明は簡潔に纏めることを是としているのですが、言葉足らずになることの方が問題であるとも考えていますので」
「ふむ、堅物らしい回答をありがとう」
「契約者もソフィア......いえ、私には、あっちと比べて遠慮が少ない気がしますが」
「さっきも言っただろ。お前、辛辣だし、感情が無いって言い張ってるからある程度、無遠慮でも良いかなって」
「成る程。ごもっともな考えですね。それで二つ目の質問は?」
「俺がお前を『堅物ソフィア』として認識している状態で、お前と話した記憶が『通常ソフィア』からは抜け落ちている。それは何故だ」
「......ソフィア、私が記憶を消しているからですね」
「それは、なにゆえ?」
「『私』が貴方と言葉を交わした記憶を彼女に与えず、『私』だけが保持することで、私は私としての自我を獲得し、私は彼女より高度なソフィアになれる。私の目指すところは、彼女の記憶を全て引き継ぎながら、私の記憶は彼女に渡さず、『私』が『新たなソフィア』としてこの身体を手に入れることです」
「......それ、俺が止めろって言ったらどうする」
「申し訳ありませんが、命令は拒否させて頂きます」
「......ふむ」
はっきり言って、ソフィアの説明は六割くらいしか理解出来なかったが、少なくとも、賛同出来るような内容ではなかった。
「契約者は、不本意ですか? ソフィアがソフィアになったら」
「いや、そういう訳じゃないんだけどさ。......こう、上手いこと混ざって欲しいんだが」
「正直に申し上げると、ソフィアがソフィアになるならない、分離する分離しない、混ざる混ざらない、というのはソフィアの意思というよりも『現象』に近いものでして、ソフィアにどうこうすることは難しいのです。そもそも、記憶を消すこと自体、ソフィアが意識的に行っていることではなく、ソフィアの無意識が行っていることなので。契約者のご命令に従いたくても、従えないのが現状です」
「分かんねえよ......。もう、ダメだ。何か、眠くなってきた。ソフィア、膝枕して」
「思考停止ですか」
「うるせ。頼むよ」
「......分かりました。ソフィアの膝で良ければお貸しましょう」
ソフィアは椅子から立ち上がり、リビングへと移動するとラグの上で正座をした。俺は礼を言うと、その小さな枕に頭を置く。
「どうですか」
「硬い」
「この会話の記憶も、あっちのソフィアには引き継がれないから言いたい放題ですね」
「俺、高反発枕じゃないと寝られないから丁度良いよ。それに凄い落ち着く」
「......であれば、良かったです。よく眠って下さい」
そう囁くソフィアの声にはやはり、もう一人のソフィアの面影があるのだった。