110 選択ミス
「ソフィア、ちょっと、出かけてくるなー」
クローゼットから引っ張り出してきた冬服に着替え、身だしなみを整えた俺は朝食後の紅茶を飲んでいるソフィアにそう言った。
「お出掛けでしたら、ご一緒しますが」
「ああ、いや、良いよ。ちょっと、アンネリー達に呼ばれてるだけだから」
「分かりました。......何かあれば直ぐに駆けつけますので」
「もし、何かあってもオルムは私が守るからアンタの出番はないわよ」
「フラン......何処から入って来たんだよお前」
しれっと、俺の横に立っていたフランに俺は溜息を吐く。普通なら驚くべきところなのだろうが、悲しいかな、これくらいでは驚かなくなっていた。
「貴方の存在は不安要素にはなっても、安心材料には決してなり得ません」
「勝手なこと言いやがって......私のことを警戒してる割に私のこの家への侵入を防げてないし、色々とお粗末......いったああああああああ!? え? 何? は? 何したのよアンタ!? 体が動かない......」
とか何とか言いながら、フランは突如、床に倒れ、のたうちまわり始めた。
「ソフィアが侵入者への対策をしていないとでもお思いですか? この家には何重にも魔法を張り巡らせています。幾ら貴方でも、ソフィアが時間をかけて構築した魔法を防ぐことは出来ないでしょう?」
「分かった! 分かったから! この痛いのやめなさい! ねえええええ!? 歯が痛い! 歯が! 歯があっ!」
「虫歯があるので治療して差し上げましょう」
「アンタ、医師免許持ってないで......いだああああ
あっ!?」
フラン程の魔族でも虫歯治療は痛いのか、それとも、ソフィアが敢えて痛くしているのか、フランは断末魔の叫びにも似た叫び声をあげた。
「ソフィアを煽る時は気を付けた方が良いぞ」
「耳寄りの情報をありがとうオルム! 傍観しないで助けてくれない!?」
「侵入者に慈悲はない。ソフィア、虫歯さっさと治療してやってくれ」
「いだいいいいいい! 犯罪よ犯罪......あうっ! 医師免許もなしに手術とか! 犯罪者に自ら制裁を下すのもよくない! 法廷で! 法廷で争わせなさ......いだいよおおおお!」
「歯を磨きなさい」
悶絶するフランに対して、ソフィアが冷静に説教をする。その様子がシュール過ぎてフランには悪いが、ちょっと面白いと思ってしまった。
「うっさい! 磨いてる! てか、ちゃんと魔法を張ってるならどうして、私の侵入を許したのよ!? 未然に防げば良かったじゃない!」
「......別に。茶を飲みに来ただけであれば追い返す必要もないかと思いまして。どうやら違ったようですが」
「え、あ、そ、そう......何かごめん。あ、痛くなくなってる」
「......神経伝達を局所的に遮断して差し上げました。契約者に用があるのでしょう。さっさと行きなさい」
「あ、ああ、うん。ありがとう。またね、バイバイ」
先程とは打って変わって、ちょっとだけしっとりとしてしまったこの空間。
「フランも色々大変だろうけど、暇さえあればいつでもソフィアと遊びに来てくれて良いからな」
俺は笑いながら彼女にそう言った。小さく頷くフラン。若干、不本意そうにしながらも目を逸らしながら、微笑みを溢すソフィア。何と言えば良いか分からないが、少しだけ幸せな気持ちになった。
⭐︎
「全く......アンタの家では酷い目にあったわ」
俺の家のお隣、アンネリー宅の玄関扉を前にして、やれやれ、とフランは呟いた。
「お前が変な方法で家に入ってきて、ソフィアを煽るからだろ。それに、虫歯が治って良かったじゃないか」
「腕の良い医者に麻酔有りでして貰いたかったわ。......というか、アイツ、私達のことを魔法か何かで見張っていたりしない?」
「アンネリーが外部からの干渉を完全に遮断する部屋を用意しておいてくれてるらしい」
「へー」
そして、沈黙が流れる。俺達はインターフォンを押さない。ただ、たまにチラチラと目を合わせながら家の前で立ち尽くしていた。
「おーっ、お前ら、今着いたところか?」
後ろからサイズの声がした。俺は振り返り、黙って首を振る。
「え? 何々、どうしたの? 約束の時間、数分過ぎてるよね?」
サイズと一緒にやってきたらしいエディアが首を傾げた。
「アレ、聞こえない?」
フランが溜息を吐きながら扉の方を指差す。
「んぁ? 何だよ?」
と、言いながらサイズが扉の方に耳を近付ける。
「大丈夫。私は科学者であり医者だ。あなたがどうなっても治せる」
「どうもなりたくないんですよ! 止めてください! 飲みません。飲みませんからね! 昨日もそうやって、貴方が僕に薬を飲ませたせいで、僕の腕の筋肉が凄いことになったの忘れましたか!?」
「......何アレ」
扉越しに聞こえてくる女と男の声にサイズが溜息を吐いた。
「入るに入れないだろ?」
「まあ、確かに......しゃあね。俺に任せろ」
そう言うと、サイズは呼吸を整え、インターフォンを鳴らした。すると、扉の向こうから聞こえていた声や物音が途端に止む。
かと思うと、次の瞬間には足音が此方へと近づいて来た。
「ああ、あなた達か。完全に忘れてた。入って」
アンネリーは扉を開け、少し疲れた様子でそう言った。
それを受けて、ズカズカと家に入っていくサイズに俺達は続く。アンネリーは俺達を台所の真下に存在する地下室に案内してくれた。
試験管やフラスコ、よくわからない薬品や機械、大量の本棚が置いてある。分かりやすく、『ラボ』といった感じだ。
「おー、何だこの部屋、すげえな......それにしてもフェルモは生きてんのか?」
「......お陰様で、何とか」
台所からハシゴを下って、フェルモが降りてきた。彼の顔にはアンネリーの数倍の疲れが見える。
「よし、全員揃ったね。此処なら彼女に盗聴される心配もない。思う存分、話してくれ」
「アンネリー君、疲労困憊のフェルモ君に触れてあげてくれよ......」
「ああ、私なら、いつもこんな感じなのでお気になさらず......どうぞ、お話の方を進めて下さい」
「この人の身体的ケアは怠っていないから心配することはないよ」
精神的ケアの方が心配だが、『まあ、そういうことなら』と俺は前置きをし、口を開いた。
「皆をわざわざ、呼び出したのはソフィアのことで相談があったからなんだ」
「恋愛相談なら聞かねーぞ。あ、惚気話もな!」
「うるせ、まずは聞いてくれ」
「お前、やっぱり、見ないうちにやさぐれたな......」
俺の思わぬ反撃にあって怯んでいるサイズを無視して俺は話を進める。
「多分、アンネリーとフェルモ以外は覚えがあると思うんだが......ソフィアって性格というか、人格というか、何がなのかは分からないんだけど、絶対に『何かが変わる時』があるんだよ」
俺の酷く抽象的な言葉に皆が首を傾げる中、フランだけが『あー』と呟いた。
「もしかして、アレ? 急に私に対して敵対的になったり、ロボットみたいなことを言い出す奴?」
「そうそう。サイズとエディアも、ほら、エルフの村でソフィアがサイズを殺そうとしたことがあっただろ? アレも多分、ソフィアの中で『何かが変わった』ときの現象だと思うんだ」
「ただのガキンチョの気分とかじゃねーの?」
「いや、まあ、俺もそう思ってたんだけどさ。......フランが『ロボット』って言った方のソフィアを俺は『堅物ソフィア』って呼んでるんだが、その状態のソフィアの記憶が通常のソフィアに引き継がれてないことがたまにあるんだ」
「......成る程。裏を返せば、記憶が引き継がれているのが普通って訳だね。彼女自身にそのことについて聞いたりは?」
紙にペンでサラサラとメモを書きながらアンネリーが聞いてくる。
「通常ソフィアはそれについて認知してないみたいだったが......堅物悪魔はその現象が存在することについてあっさり、白状してたな。あまり、話す時間がなくて聞けなかったけど」
俺は更に、ソフィアの『夢』についても皆に教えた。
夜中に本を読んでいた堅物ソフィアと言葉を交わしたあの一件の後も、時たま俺の前に現れる堅物ソフィア......通常ソフィアが知り得ない事を知っている様子の彼女に、俺は何度かその『夢』について聞いてきた。しかし、いつも、その夢の核心に迫ること、即ち、その夢の原因について聞こうとすると、彼女は決まって寝てしまう。
そういう制約があるのか、彼女が逃げているのかは分からないが。
「科学者のアンネリーなら何か分からないかなって思ったのと、サイズ達にもソフィアの状態について認知しておいて貰いたいと思ってこの場を設けさせてもらった」
「成る程。元からアイツが面倒臭い奴なのは分かってたけど、思った以上に複雑だったわ。半二重人格ってことでしょ?」
「言っとくけど、二重人格みたいになってたのはお前もだからな。人のこと言えないぞ」
「ぐぬっ......あれは爺のせいだし」
「人畜無害のオルムがヤケに攻撃的になったのはガキンチョ三号がガキンチョのことを煽りまくるからじゃねえだろーな」
「うっさい! それより、黒パーカー! アンタ、何か分からないの!? これ以上、不死族がー、とか言われたら堪らないわよ私!」
「分からない」
「え?」
困惑の声を漏らしたのはフランだけではなかったと思う。
「いや、流石に専門外だ。心理学者を紹介しようか?」
「まずはアンネリーさん、貴方がそのお医者様に見てもらうべきだと思います」
フェルモが中々、鋭いツッコミを入れる。確かに愛する男を自らの手に収める為に人生を賭けて革命を起こし、やっと手に入れたその男に人体実験を施すような奴が人の心理を語れる筈がない。
「ああ、そういえば、アンネリー君。一応、此処は国が税金で用意した家なんだ。さっきみたいにフェルモ君の悲鳴が木霊するような家のままならギルドの捜査が入るからね」
「......皆して、私のことをあたかも精神異常者のように言わないで」
「実際、そうじゃないですか。マッドサイエンティストとかのレベルじゃありませんよ、貴方」
「流石にフェルモの為だけに隣国に内政干渉したり、祖国で革命を起こすのはイカれてると思うぞ。ガキンチョ4号」
エディア、ソフィア、フラン、に次いでアンネリーもガキンチョ扱いなのか......。
「うわああああああああああああああ! 私の研究にケチを付けるのかあっ!? 私の! 私の発明は全て精神に異常をきたした狂科学者の発明だと!?」
大泣きしながらアンネリーはフェルモに飛び掛かった。アンネリーってこんな奴だったっけ。
「如何にも」
フェルモが即答する。
「如何にも......如何にも!? 違う! 私は普通! 私はただ自己の知的欲求に突き動かされて研究を続ける普通の科学者だ! はあっ......はあっ......皆、よく見ておくが良い。私の研究が全く、狂っていないということを」
懐から出した注射をフェルモに向けるアンネリーをフランとサイズがどうにか止めた。
普通に相談する相手をミスったかもしれない。