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いつもは、学院の階段で別れる。
俺は二年生、ルドウィンとルフレイは一年生だからだ。
その上、俺は1歳下の義弟に間違っても会いたくないので、一年生の教室にはほぼ行かない。食堂に極力行きたくないのも、そのためだ。
けれども、今日は昨日の礼をヴァレンスにしなければいけないので、渋々二人について行くことにする。
幸いなのは、ヴァレンスはルドウィンと同じクラスで、義弟は違うと言うことだろう。
ルドウィンに伝言を頼み、教室の外で待つ。さすがに、学年の違う教室に入って行く勇気は無い。同じクラスにヒロインも居るんだっけ……と、少しだけ気になったが。
「アーノエル?大丈夫だったか?」
ヴァレンスは、その端正な顔を歪ませて、心配そうにこちらを伺う。そこに何の打算も無いから、ずるいやつだと思う。
「ああ。昨日は悪かったな。すごい、助かった」
「いや、具合が悪かったなら仕方ない。気にするな」
「お礼は必ずする」
本当はランチでも奢るのが、手っ取り早くて良いのだけど、ヴァレンスは王太子様の護衛としてランチを共にするのが、習慣だ。なので、それは出来ないので、そう言うしかなかった。何か役に立つものを押し付けるしかない。
「いや、そんなことよりも……アーノエルは、ちゃんと食べているのか??」
真剣な眼差し……と言うよりは、圧がすごい。
問われ、俺は困る。
嘘を許さないと言う独特の空気が凄すぎて、俺は頷けない。そりゃぁ、魔法携帯食が主食なのは、ちゃんと食べている……とは、言い難い。
「あー、と……朝は、食べたぞ」
目が泳ぎまくっていることを自覚しながら、事実を述べるだけに留める。
「軽すぎてビックリしたぞ。ちゃんと食べないと、倒れるのは当たり前だ。良ければ、ランチを一緒にどうだ??」
ニカッと実に爽やかな笑みを浮かべるヴァレンス。俺が可愛いご令嬢なら、ぜひとも『喜んで!』なんて、返していただろう。
いや、困る。
こいつは、王太子の護衛で、ランチはいつも一緒にとるのだ。高位貴族向けの食堂の、王族と公爵家専用のVIPスペースで。勘弁してくれ。味がしなくなるわ。
「いや、さすがに悪いから良いよ。ちゃんと食べるようにするし……倒れたのは昨日が初めてだ。……そんなに心配するほどじゃない」
義弟が第二王子の側近的立場なので、断固拒否である。ただでさえ味がしないのに、食えないどころか、吐き気がするわ。
なんて思いながら、精一杯、拒否のオーラを放つ。
「そうか……何か困ったら言ってくれ。正直、下手な令嬢よりも細いので、心配になったのだ。もう少し、鍛えた方が良いぞ」
拒否のオーラに気付いてくれたのか、元々踏み込まないことを良しとしているのか、俺の事情を察したのか、分からないけど、下手に踏み込んでこないことに安心する。……令嬢云々に関しては、恨まれたくないので、聞かなかったことにする。こいつの場合、純粋な感想で心配なんだろうけど、だからこそタチが悪いと言うか、気に障る者も居るんだろうなと思う。
まぁ、あの食生活じゃぁな!としか思わない。納得しかないし、不健康でしかないので、比べられても困る。
「あぁ、これから気を付けるよ……」
はははと乾いた笑いを浮かべて、再び礼を伝えてヴァレンスとは、別れた。
出来るだけこの階には居たくないので、そそくさと、退散する。
階段を下りて自分の階についた時、自然と息が出た。
*****
「お、アーノエル大丈夫なのか?」
教室にて、自分の席で本を読みながら、大人しく過ごしていたら、そう声をかけられて顔を上げる。
「で……殿下……おはようございます……」
そこに居た人物に、少しだけ顔が引き攣りそうになるのを抑えて、にこやかに朝の挨拶を告げる。
「ん、はよ。で?どうなの?ま、ここに居るってことは大丈夫なんだろーけど」
話しかけてきたわりには、投げやりにそう答えるのは、王太子クレメントだ。
正直、苦手なんだけど、相手はそんなのお構い無しで接してくる。それも、わりとフレンドリーに。困る。
俺の微妙としか言いようがない立場についても知っているはずなのに、この人はそんなことを気にすることがない。
元々、身分とかにあまり縛られないタイプではある。自分が“法”……的な、自分の中での基準と言うか、ルールがあるのだ。要は、自分が気に入るか否か。明確な基準のある身分とか、貴族のルールの方が分かりやすかったりするので、どちらが良いとは言えない。
ただ、学院に居る間は、一応“みな平等”みたいな建前があるので、王太子自らそれを体現している姿は、好意的に取られていたりする。
俺は、その基準からすると、たぶん、クレメントの従兄弟であるルドウィンと親しいから、合格と言う判断なんだろう。
学院に通う前からこうだ。
けれども、俺はどうにも慣れることが出来ずに居る。苦手なものは苦手だ。
第一王子で、今や王太子であるクレメントに話しかけられるなんて、とても名誉なことなのだけど、どうにもプレッシャーと言うか、緊張すると言うか……。なのだ。
(ゲームでも二人はもう少し、親しげだった気がするけど、今さらどうにも出来やしない)
「ヴァレンスには会ったか?昨日心配してたぞ?」
ニヤニヤとした笑みを浮かべているところを見ると、昨日の話を知っているのだろう。くそぅ。
「はい……先ほどお礼に行ってきました……」
「いやー、俺も見たかったぞ?ヴァレンスが、どこぞの姫君を抱えてたって聞いてな!」
はははと笑いながら言われて、ガックリと項垂れる。その話、どこまで広まっているのだろう……と、ゾッとする。
大体、制服着てるのに何で“姫”なんて言われるかな。
「……その話は忘れてください」
「はは、ま、アイツの前で倒れたのが悪いな。でも、お前なら誰が抱えても“姫”って感じだけど」
「え?」
何それどういう意味?!
俺が悪いの?!
なんで?!
「シルエットが華奢すぎる」
ポンと俺の頭に手を乗せて、ニヤリと笑いながらクレメントは、俺を見下ろす。
完全にバカにされているけど、その手を振り払えない。王族相手にそんなことが出来るほど、俺の肝は太くないし、命知らずでもない。
「……俺より小柄な者は大勢居るでしょう」
「いや、纏う空気と言うか」
「何ですか、それ……」
そんな曖昧なもので俺は、姫だなんて不名誉な呼び名を与えられなきゃいけないのか。別に女顔じゃないはずだ。
「髪、切ったらどうだ?」
俺の中途半端な長さの髪をさらりと持ち、クレメントは適当なことを言う。
……前髪は、切った方が良いとは思ったけど……。
って、こんな長さじゃ、あんまり関係ないだろ。
姫と呼ばれるような高貴な方は、髪が長いのがステータスなのだ。だから、基本的に貴族女性は、髪が腰くらいまで長い。中には、短くしてオシャレに見せる人も居るけど多いとは言えないし、それなりに覚悟が居る。
平民になるともう少し自由度が上がるだろうけど。それでも、もう少し長い印象だ。
「それこそ、俺より長い人も少なくないでしょう」
「髪長いやつは、間違えられやすいものだろ」
「確かにその傾向には、ありそうですが……」
「だろ?」
なんて、クレメントと話していると、視線を感じる。なんと言うか、王子様と話すことへの嫉妬の視線もあるが、(ご令嬢の嫉妬って無差別すぎて怖ぇ)それよりも、なんと言うかなんとも言えない視線だ。より、危険を感じる……。
何か、こう……そう、前世の妹的なアレだ。
もしかして、アルの?
ここにもあるの?
ご令嬢が?お淑やかで慎ましやかで、高貴なご令嬢が??
そう言う妄想を??
マジか。
……なんて、気付いてしまった事の衝撃がデカ過ぎて、不敬ながら王太子様の話は、ほとんど頭に入って来なかった。
他人の話と言うか、キャラクターの話とか、まぁ、芸能人とかドラマの役の話とか、目撃した話に関しては、こう架空っぽい感じがあるから、まだ聞けた。他人事と言うか、一種の創作的な。
でも、自分が関わるのは想定外。
それは、なんと言うか……気付きたくなかった。
いや、“アーノエル”の妄想については、山ほど聞いたけどね。
微妙に違う。
嫌悪感があるわけじゃないけど、こうモヤッとすると言うか、居た堪れないと言うか微妙な感じなのだ。
……考えすぎかも知れないし、直接的な害は無いので、どうすることも出来ないけど、ただただ、気付きたくなかった事柄である。
適当に話して満足した王子様が、自分の席に戻ると、人知れずため息が出た。
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