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狂妹 -きょうだい-  作者: 熱井コーヒー
3/3

兄 妹

 体幹機能障害。


 自力で立つことはもちろん、座る姿勢を維持することもできない。いわゆる寝たきりだ。


 雪希は日中、基本的にベッドを椅子型に変形させ、上半身を起こした状態で過ごす。そして定期的に僕が関節を動かしてストレッチをさせてやる。もう一生自力で動かせないとはいえ、動かさなければ組織はやがて硬直を起こし、さらなる行動制限を強いられることとなる。極めて重要な日課だ。


 予想外だったのは、雪希の体温調整機能が正常に働かなくなってしまったことだ。自律神経系の異常により発汗機能が麻痺したことで、暑い寒いといった感覚に鈍感になってしまっていた。普段からあまり汗を掻く方ではなかった彼女だが、今となっては全くと言っていいほど汗が出ない。


 つまり熱中症等の危険性が極めて高くなっているということだ。普段から室内の温度などに気を遣って行く必要があるし、水で拭いてやるなどして体温を調整してやらなければならない。はっきり言って全く目を離すことができない状態だ。当然ながら雪希は今の仕事を辞めざるを得なかったし、僕も現状は在宅勤務に切り替えさせてもらっている。


 今は会社の厚意に甘えさせてもらっている状態だが、それも一体いつまで許されるか……。将来的には完全在宅勤務が可能な仕事に転職するしかなくなる可能性がある。あまり考えたくないことではあるが。


 これが一生続く……。そう考えると頭がクラクラしそうだった。だからと言ってそんな不安を雪希に悟られるわけにはいかない。


 だけど雪希は事故が起こってから僕の感情に対して異常なまでに敏感になっていた。まるで全てお見通しと言わんばかりに、僕が今考えていることを言い当ててくる。


 ……だがそれはなんのことはない。雪希は負い目を感じているのだ。


 僕が将来への不安を感じていること。そしてその原因を作っているのは自分であること。私は晶の重荷になってしまっている……そう考えているのだ。彼女は僕の考えていることがわかるのではない。雪希自身の負い目が僕の感情と直結してしまっているのだ。


 お互いの家族との関係もまだ修復しきれていない。


 雪希方の両親はまだ僕のことを良く思っていない。だが、どういうわけだか雪希の両親は「娘を返せ」とは言ってはこなかった。


 とはいえ最初から、僕が悪いわけではないと頭では理解しても感情が追いつかない。といった雰囲気だったし、今この状況で僕と雪希を引き離すのは、雪希にとってもストレスだ。それに50代も後半に差し掛かったご両親側で娘の介護をする。というのも現実的ではないとの判断なのだろう。


 なんだかんだ信頼してくれているのか、それとも他に意図があるのか……。余計なことは考えたくなかった。


 それに、あれから美玲と雪希のことも謎が残っているままだった。


 相変わらず美玲は雪希に対してあまり話しかけようとはしてくれないし、とにかく態度が冷たい気がする。一度二人だけにして、僕も隠れて様子を覗いてみてみたが、一言も話そうとはしてくれなかった。


 やはり喪失した雪希の記憶の中に、美玲との確執が存在していたのだろうか?


 双方でなにか関係が危うくなる出来事があって、それが解決しないままに今回の不幸が起こり、雪希は美玲との記憶をなくしてしまった。


 もしそうだとすれば美玲としても極めて複雑な心境だろう。余程腹に据えかねる感情を雪希に抱いていたとしても、今回のようなことがあれば、もうぶつけることなどできない。雪希を追い詰めかねないし、なにより本人が覚えていないのだ。


 美玲は小さなことで人を責め立てたりしない。そう思っていたが、妹だってもう高校生。心は大人へとシフトし人間関係もより複雑化していく。十歳以上も年齢が離れていることで、僕にとっては美玲はいつまでも子供にしか思えなかったが、彼女だって成長していくのだ。




 雪希の介護が始まったのは僕が当時28歳で、美玲は16歳だった。僕らは12歳も年齢が離れている兄妹。父と娘ほど離れている年齢でもないが、兄と妹というには離れすぎていた。


 僕がそろそろ中学生になろうか。という頃、美玲は産まれた。まさか今になって妹が誕生するとは思っていなかったし、家族が増えるというのも予想外すぎた。


 突然妹ができることへの戸惑いはかなりのものだった。初めて触れる赤ん坊にどう接していいのかも分からず、なんだか自分までもが赤ん坊に戻ってしまった気分だった。当時思春期真っ只中。家族が疎ましく思えて来る頃だったのに、強制的に赤ん坊への関与を余儀なくされる。


 いくら反抗期とはいえ赤ん坊に楯突くような激情は持ち合わせてはいなかった。


 しかし美玲が物心ついたくらいの頃には僕もすっかりシスコンと化す。


 美玲は可愛い。よく懐いてくるし、ちょっと危なっかしいところもあるが守ってやりたいという父性が芽生え、高校時代は妹にかかりっきりだったように思う。そんな美玲も僕によく懐いていた。


 おままごと、人形遊び、美玲が小学生になるまではお風呂に一緒に入ったりもした。普通小学生くらいになれば自身の交友関係が出来上がってくる頃であろうが、それでも美玲は僕と遊ぶ頻度の方が高かったように思う。


 美玲は僕によく似て、口数が少ない大人しい子だったが人付き合いが悪い子というわけでもない。ちょっと嫌らしい言い方をすれば、敵を作りにくい性格をしているともい言える。男と女の世界は違うだろうから一概には言えない部分もあろうが、僕もまさにそのタイプだった。


 そんな美玲も、僕が大学生の頃、家を出て一人暮らしをする。という話になった時は珍しく取り乱し泣き出した。


「なんで? なんでお兄ちゃんどっかいっちゃうの?」


「行かないで。置いてかないで。私も一緒にいく!」


 そう言って聞かなかったし、なだめすかすのに苦労した。僕も後ろ髪を引かれる思いだったが、やはり一人暮らしは憧れだ。別に地方都市に引っ越すわけではない。30分もあればいつでも会いに行ける。


 美玲は当時8歳。お兄ちゃんっ子真っ只中だ。


 だけど僕が家を出ればきっと兄離れして、友人が沢山増えることだろう。何年かしたら「お兄ちゃん? ウザいから帰って来なくていいよ」なんて言われたりして。


 それはそれでちょっと悲しい気もしたが、本音を言うと僕も美玲が心配過ぎて、このままだと家に居座るのではないかという不安があったのだ。美玲の兄離れというよりも、僕の妹離れの方が目的としては大きかったかもしれない。


 だけどその後も美玲は頻繁に僕に電話をしてきたし、家を出て半年もした頃に「アキラ」という名前の猫を飼い始めたと母から聞かされた。おいおい。と思ったが、まあ猫が僕の代わりをしてくれるのならばそれもいいだろうと思っていた。なにより僕も猫が好きだ。実家に帰るのが楽しみになった。


 ちなみにアキラは雌猫だった。




 僕も一人暮らしに慣れ始めた頃。美玲も一年もすれば兄離れが進み、連絡頻度も減るかなと思っていたのだが意外と妹のブラコンは長期化していた。相変わらず毎日のように携帯にメッセージを送ってくるし(母の携帯を使っている)、一度ひとりで勝手に僕の家にやって来たことがあって流石にその時はちょっと叱ってしまった。美玲はまだその時9歳だった。


 僕が見ても可哀想なくらいにその時はしょんぼりしていて、すぐに謝った。我ながら弱いなと思った。


 こんなことが頻繁にあると困るが、だからといって僕も美玲に嫌われたくはなかったのだ。


 その日は美玲を家に泊めると両親に連絡して、一緒に深夜にファミレスに行った。美玲にとっては初めての深夜飯。多分両親が聞いたら「夜に連れ歩くな!」と、激怒するであろう。


「美玲。これは悪いことなんだ」


「悪いこと?」


「美玲は小さいから、こんな夜遅くにこんなところに来て甘い物を食べちゃいけないんだ」


 美玲の肩がこわばる。


「でも今日は僕がいるから許される。今日は悪い子していいぞ。好きなもの頼みな」


 この時の美玲の顔は忘れられない。好奇心と罪悪感と、大人の世界に踏み込んだ興奮が入り混じった初めて見る顔だった。本当に可愛らしい笑顔を向けて大好きなスイーツを頼んで一緒に食べた。とても「悪く」てそれでいて「美味」。美玲にとってもいい思い出になったであろう。


 だが今になって考えてみれば僕の家にまで押しかけた美玲のブラコンパワーは、当時から結構危険なレベルにまで達していたのでは。と思える。とはいえ流石にあの一件があってから、美玲は僕に遠慮というものを覚えたし、ほんの少しだけ連絡頻度も減っていた。


 だけど実家に戻れば相変わらず喜んでくれたし、遊んでくれともせがまれた。




 だからこそ……最初に雪希を紹介したあの日の、美玲の悲しそうな表情は忘れられない。



 つづく

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