第八十六話 踏み出す一歩
今回はハクと妃愛の会話になります!
では第八十六話です!
「ん、んー?」
朝日が顔に当たり瞼を持ち上げていく。俺にして珍しく深い眠りについていたようで、体が妙に重い。ただ寝ていた実感はあったので、特に違和感なく体を起こしていく。
だがそれと同時に、夢の中で見た世界の情報が一気に頭の中に流れ込んできた。
「ッ………」
………夢なのに、今思い出してもはっきり思い出せてしまう。まるで夢じゃなくて現実を見せつけられてたみたいに………。なんだったんだ、この夢………。
あの世界はとても不思議な場所だった。
俺の知らない俺と妃愛が、まったく理解できない状況に追い込まれていたのだ。
しかも。
この俺が「何か」に敗北していた。
ここまでくるとさすがに俺自身も自分の力をそれなりに評価している。今の俺に勝てる存在なんてほぼ、というか絶対にいないだろうくらいは思っているのだ。
それなのに、その俺が負けた。それも完全神妃化すら使わずに。
その奇妙な光景が頭の中の奥の奥に深く刻まれ、なかなか離れようとしない。
とはいえ、まだ寝ぼけ眼だ。意識が覚醒していくうちに色々とわかってくることがあるかもしれない。そう思った俺は腕を天井に向けて伸ばし、体をほぐしながらベッドから降りようとした。
だが。
そんなベッドの隣に。
彼女は、いた。
「………」
「ひ、妃愛………?」
朝日に照らされるその姿は少なめに言ってとても神々しい。
金色の髪が朝日を反射して何かの宝石のごとく輝き、アクセントとすら思えるブラックダイヤのような瞳が俺をまっすぐ見つめている。女子中学生にしてはあまりにも整いすぎている容姿を持つ少女が俺の目覚めを待っていた。
どうして妃愛がこの部屋にいるか理解できなかった俺は、昨晩というか今朝のことを思い出して少し気まずくなってしまう。やはり妃愛は俺が麗奈と貴教を殺したことを責めようとしているのだろうか。それとも俺をこの家から追い出すつもりなのだろうか。
そんな妄想が一気に頭の中を駆け巡っていく。
しかしその妄想は瞬時に打ち砕かれた。
煌びやかに輝く妃愛の頭が床に向けて下げられると、それと同時に口から謝罪の言葉が流れてきた。
「………ごめん、なさい」
「え?」
「私、お兄ちゃんにとってもひどいことした………。自分が何もできないことを棚にあげて、一生懸命戦ってくれたお兄ちゃんを傷つけた。………もう、何を言っても遅いかもしれないけど、私には謝ることしかできないから。ごめんなさい」
「………」
その謝罪は決して無理矢理言わされているような謝罪ではなかった。妃愛の心がそう訴えかけてきている。それが直感でわかってしまった俺は、すぐに自分がいかに愚かだったかを理解した。
………何をやっていたんだ、俺は。そうだ、それが当たり前だ。戦いに慣れていない女子中学生がいきなりクラスメイトの両親が死ぬ瞬間を見れば、それを糾弾したくなるのも当たり前だ。でも、それでも妃愛は考えていた。それが正しい選択だったのか、必死に考えていた。俺が、俺が妃愛に言葉をかけず一人にしてしまったせいで、その負担を背負わせてしまった。
………何が妃愛を普通の生活に戻る、だ。天狗になるのもほどがある。妃愛の気持ちに気づかず、挙げ句の果てに俺が考えなければいけないことを背負わせてしまった。まったく馬鹿な話だな………。
いや、馬鹿なのは俺の方か………。
俺はそう思うと自虐的な笑みを浮かべてベッドを下りながら姫と同じように床に座ると、勢いよく頭を下げていく。そうすることが俺の精一杯の償いになると思ったから。
「………俺の方こそ、ごめん。あの二人を助けられなかったのは俺の力不足だ。それに、妃愛に心配までかけて結局何もしてやれなかった。謝ることしかできないけど、とにかくごめん」
「………」
妃愛は「お兄ちゃんが謝る必要はないよ」とは言わなかった。それを言っても俺が納得しないことはわかっていたんだろう。当然、そう言われても俺は自分のしてしまったことを否定しない。否定なんてできない。
だからだろうか。
妃愛は俺への返事の代わりに、ボロボロになった一つの日記を取り出してきた。
「これは?」
「月見里さんの日記だよ。お兄ちゃんが寝ちゃった後、月見里さんの家に行ってきたの。月見里さんが自分の部屋にこの日記が置いてあるって言ってたから」
「………そうか」
そう言った俺はゆっくりとその日記に手を伸ばしその中身を覗いていく。その中には月見里麗子という少女が今までどんな思い出生活し、どんな苦痛を受け、どんなことを考えていたのか、その全てが記載されていた。
大方予想していた環境と大差ないものだったが、それでも彼女が妃愛のために、時雨ちゃんのために必死に戦い続けていたこと、そして助けを求めていたこと、その葛藤が色濃く綴られていた。
本当ならその日記を読んだ瞬間、怒りをあらわにして怒鳴り散らしているところだろう。どうして月見里家という家族がこんな目に合わなければならなかったのか、そんな世界を恨むような怒りを表に出していてもおかしくなかったはずだ。
でも。
その怒りは消えてしまう。
だって。
この日記の中にいる麗子とその家族は。
人間として必死に生きていたのだから。
それが読み取れたからこそ、俺は静かにその日記を閉じた。そしてしばらくの間口を閉ざしてしまう。自分の愚かさを呪いながら、何もできなかった後悔を心の中で回し続けていった。
………もし、俺があの二人を助けることができていたとしたら、どうなっていたのだろうか。もしこの家族が本来あるべき姿を取り戻すことができていたら、それはどんなに幸せなことだっただろうか。
考えても所詮は後の祭り。
それはわかっている。だがそれでも。
そう考えずにはいられなかった。
するとそこで妃愛の視線が再び俺に向けられ、その口が動き出した。妃愛の瞳には強い意思の光が宿っており、少しだけ嫌な予感がしてしまう。
「………ねえ、お兄ちゃん」
「………なんだ?」
「私、思ったんだ。今回の戦いで自分が普通の生活を取り戻すよりも、自分が傷つくよりも、『誰かが悲しむ姿』だけは絶対に見たくないって。そう思ったの」
「………」
「でも、それって変な話だよね。だって言い換えれば自分の命より誰かの命の方が大切って言ってるのと同じだから。………だから、聞かせて欲しいの。どうしてお兄ちゃんは私を守ってくれるの?一歩間違えればお兄ちゃんだって死んじゃうかもしれないし、それに誰かのために戦うってことはものすごく辛いことのはずでしょ?」
前に。
似たようなことを聞かれた気がした。
『ねえ、ハクは何のために戦うの?』
妃愛にそっくりな少女の言葉。
俺が神々の領域にたどり着く前の話。
何の力もないただの青年が「何かを嫌って」戦いに赴いた時の物語。
それを象徴する言葉がその少女が放ったものだ。
その言葉に対する答えはもう得ている。
でもそれをそのまま妃愛に返しても妃愛は納得しないだろう。その言葉を理解してもらえるほど俺と妃愛の関係が深い訳でもないし、それを理解させようという気持ちも俺にはない。
だから困った。
その質問に対する答えを俺は持ち合わせていなかったから。
でも。
多分、考える必要なんてなかったんだと思う。
俺もその答えを知らないなら、そう告げればいいのだから。
「………わからないって、言うのが正直なところかな」
「え?」
「結局さ、何のために戦うのか、どうして戦うのか、それは考えても答えは出ないと思うんだ。誰かのために自分を犠牲にする、その考えは確かに破綻してる。でも、それが本当に悪いことなのかというと、そうでもない気がするんだ。何千、何万、何億と人がいる中で、その考えに至る人間がいない保証はどこにもない。もちろん自分のことを第一に考える人は大勢いるだろうけど、その逆がいないなんて誰も言えないんだよ」
「………つ、つまり?」
「つまり、妃愛にとってその感情の説明ができないんだったら、それはそういうものだと受け入れるしかないと思うんだ。それが世間一般からすれば間違ったことでも、誰かを傷つけるようなものじゃなければそれは妃愛の中で一つの正義になる。そしてその正義を曲げることが妃愛にとって苦痛なんだったら、それは掲げ続けるべきなんだと俺は思うよ」
俺が妃愛を一般人に戻そうとしていたのもいわば俺の我儘だ。皇獣に怯える妃愛を見た時、この子は守ってあげないといけない、そう思ってしまった。でも、その気持ちは俺の中で正解でも妃愛の中で正解とは限らない。
だから我儘。
俺の自己満足、それに尽きる。
そしてもし、そんな俺を見て、今までの戦いを経て、妃愛が俺に似た思想を抱いてしまったのならそれは………。
「………わ、私へんじゃないのかな?自分が死んでも月見里さんを助けたいなんて思った私はへんじゃないのかな?」
「へんだよ、十分。でも、それは俺も同じだから。俺が正しいってわけじゃないけど、妃愛がそう思って自分を犠牲にしようとするなら、俺はそんな妃愛を守るそれだけさ。いたちごっこみたいに思えるけど、それが俺たちの関係っていうなら、受け入れるしかないさ」
「でも………」
俺は、ここで話が終わると思っていた。
ここで俺たちの関係は元に戻り、妃愛と真話対戦を生き抜く生活が戻ってくる、そう思っていた。
だが。
事態は斜め上方向に進み始めてしまう。
「もし、私が誰かを救えるくらい強くなれば、今度こそ誰かを失う痛みは感じなくてもよくなるよね」
「え?」
その瞬間。
体から嫌な汗が吹き出した。
頭の中に駆け巡る大量の情報。その中に、一つだけその言葉を裏付けるものが存在した。
麗子の日記、その中に。
妃愛が「普通とは違う力」を持っている描写が残されていた。
そしてそれを妃愛自身も自覚している。先ほどの戦いで妃愛はその力を振るった。暴走状態とはいえ、もし意識が残った状態でその力を使用していたのだとすれば、今のような言葉が出てくるのもわからなくはない。
だが、それは俺にとっては「最悪」の結末だった。
「………黙ってたんだけど、私多分、普通じゃないの。月見里さんをバスからかばった時も、さっきの戦いも。私は普通じゃない力を使ってた。だから、その力を私が使えるようになったら、もう月見里さんみたいに傷つく人を減らせるんじゃないかって………」
声は尻すぼみ。
でも、瞳には強い意思が宿っていた。
つまり。
妃愛は。
俺に。
こう言おうとしていた。
「だからお兄ちゃん。こ、これからは私も戦っちゃダメかな?」
聞きたくない言葉だった。
聞いちゃいけない言葉だとも思った。
だってそれを聞いてしまえば、それこそ本当に後戻りが効かなくなるから。
妃愛の体に通常とは異なる力が宿っていることは俺も知っている。先ほどの戦いで妃愛は「神の気配」を身にまとい麗奈を圧倒した。その力は決して普通の人間が持っている力じゃない。
つまりそれは妃愛が「普通」じゃないことの証明になってしまうのだ。
だからといって、俺がここでその言葉に頷いてしまえば、妃愛は本当に「普通」を手放すことになる。俺と一緒に真話対戦に「挑む」ということは、そういうことなのだ。
ゆえにそれだけは絶対に認めたくなかった。
小さいころのアリエスやシルが俺と一緒に戦うという話とは次元が違いすぎる。彼女たちはもともと「そういう世界」で育ったのだ。だからそれが「普通」だった。
でも、妃愛はそうじゃない。この世界は皇獣こそいるが、能力や神宝が溢れている世界ではないのだ。つまりそういった危険とは無縁の世界。
だから危険なのだ。その抄紙機を踏み越えて、通常とは違う世界に浸ってしまわないか。
それが心配だった。
そう思って俺は口を開こうとする。
しかしその俺を押しつぶすように妃愛から新たな言葉が飛び出してきた。
「ううん。それもちょっと違うかな。私が戦いたいのは、別に強くなりたいからとか、傷つく人を減らせるからとか、そういうのとも少し違う。もちろんそういう考えもあるんだけどそれよりもやっぱり………」
そして俺に突きつけられる妃愛の宣言。
それはいくら俺が妃愛を「普通じゃない場所」から遠ざけたくても、決して否定できない言葉だった。
「私が戦いたいのは『白包』が欲しいから。『白包』さえあれば月見里さんの眠りを覚ますことができるかもしれない。だから戦いたいの」
それは妃愛が初めて願望というものを持った瞬間だった。
次回はこの会話の続きになります!
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