第七十九話 幕切れは共に
今回はハクの視点でお送りします!
では第七十九話です!
何が起きているのかわからなかった。
なんとなくだが妃愛が正気に戻ったことは理解している。麗奈を殴り続けていた妃愛の様子がいきなり変化し、その腕の動きが急に止まったのだ。どうやって正気を取り戻したかはわからないが、妃愛は俺とは違って暴走し続けるということはなかったようだ。
まあ、というのも。
先ほどまでの暴走状態の妃愛は俺がかつて白駒に精神を乗っ取られていたときとかなり似ていたのだ。エルヴィニアの件が一番印象的だが、ようは敵も見方もわからなくなって攻撃してしまうような状態と言えばなんとなくわかるだろう。今回はその矛先が俺には向かなかったが、必要以上に麗奈を痛めつけるその様はあの時の俺と酷似していたと言わざるを得ないだろう。
しかしそれでも妃愛は己の力で戻ってきた。今はへなへなと膝を折り、呼吸を荒くしながら地面に座り込んでいる。
今の妃愛にあのほとばしるような神の気配はない。ゆえに傷を再生した麗奈の攻撃には対処できないし、恐怖するのは当たり前だった。さすがにこの状況はまずいと考えた俺はすぐさまそんな二人の間に割り込もうとする。
麗奈は妃愛につけられたダメージを回復させ、さらにその気配を大きくしていた。体のつくりも変化し、化け物といってもなんらおかしくない姿を手に入れている。その麗奈に今の俺がついていけるのか、と一瞬思ってしまうが今はとにかく妃愛を避難させることが最優先だ。
俺だってこの状況に物申したいことはたくさんある。だがそれでも今優先しなければいけないのは、取り返しのつかない事態を回避することだった。
なのだが。
そんな俺よりも早くその事態に気づき、動いた存在がいた。
妃愛を守るように立ち、右肩から左の脇腹にかけてカラバリビアに切り裂かれた男。口から血の塊を吐き出したそいつは、体を小刻みに震わせながらも日本の足で懸命に妃愛を、守っていた。
だがその光景は本来あり得ないものだ。
そいつと俺たちは本来敵同士。守り合うような仲じゃない。
それなのにその男、月見里貴教は麗奈の攻撃から妃愛を守っていた。
ゆえに、俺は何が起きているのか理解できなかった。先ほどまでお互いの命をかけて剣を交えていた貴教が妃愛を守るなど、何を血迷ったのかと問いかけたくなってしまう。
実際はそのおかげで妃愛は救われているので文句はないのだが、それにしてもあまりにも奇妙な光景と言わざるを得なかった。
と、そこで。
貴教が動き出した。
当然だが貴教の行動に絶句している麗奈は反応が遅れる。口を開けたまま信じられないと言いたげにわなわなと体を震わせ、反射的に一歩後ろに下がってしまった。
俺はその隙に妃愛の下まで駆け下りると、その体を持ち上げて麗奈と貴教から距離を取っていった。
「大丈夫か、妃愛?」
「お、お兄、ちゃん………」
「今は何も聞かない。だからここでじっとしててくれ」
妃愛の表情には色々な感情が浮かんでいた。
怒り、困惑、恐怖、罪悪感。
それらの感情は今すぐに消化できるものではないだろう。だから今は、少し待ってもらうことにした。今はとにかく麗奈との決着をつける必要がある。妃愛がこれ以上暴走しないのなら、今は放っておいても大丈夫だと俺は判断したのだ。
するとそこで貴教が麗奈に向かってこんなことを呟いていった。
「………麗子は死んだ。だからもう俺を縛るものはなにもない。仮にお前が相手でも俺は止まらない。………言葉の意味は、わかるな?」
「………へ、へえ。そ、それがあなたの答えなのね。い、いいわよ、別に。今のあなたはただの人間。カラバリビアは私の手の中にある。そんなあなたが私に何ができるっていうの?」
「何もできない。それはお前が思ってる通りだ。だが、リミッターは完全に外れている。俺は自分の命すらも武器に使うと決めたんだ」
「な、なんですって………?」
その声は震えていた。
どうして今更麗奈が貴教に怯えるのか、その理由はわからない。だがなんとなくだが麗奈の気持ちもわからなくはなかった。
今の貴教は非常に危険な状態だ。それこそ何をしでかすかわからない状態にある。それが明確な言葉や意思で表されてなくとも、ある種の直感が貴教を危険な存在だと認識し始めていたのだ。
しかし等の貴教は自分の変化に気がついていない。否、気がつく必要がない。貴教が何を考えているかは知らないが、己の目的のために突き進むだけだ、という気概が全身からにじみ出ている。
だがそれは俺にも嫌な予感を走らせていた。
確かに俺は麗奈がもう取り返しのつかないレベルに到達していると認識している。つまり重ねた罪の大きさにかかわらずその命は消さなければいけないと考えているのだ。その理由は単純に麗奈が皇獣となってしまっているから。
人の領域に留まりながら皇獣の力を扱う魔人とは違い、人の形をしていても皇獣となってしまった存在はこの世界が許容しない。人や生物を喰らい続け、その生態系を破壊しかねない存在は世界に受け入れられないのだ。
そしてそれは俺も同じ。
なんとなくだが、この世界が皇獣を許容していないのは俺にもわかっている。加えて后咲の話にもあったようにそもそもこの対戦は皇獣たちを討伐する戦いだ。であればこのまま麗奈を見逃すなんてことはできない。
だからこそ、せめて俺の手でその引導を渡してやろうと、他の人間の手を血で濡らさないようにしようと、そう考えていた。
だが、それが覆る予感がする。
具体的に言葉にすることはできない。しかしそんな予感がしてしまうほど今の貴教は不安定だったのだ。
と、その時。
「ち、近づかないでっ!近づいたらいくらあなたでも………」
「やればいいだろう?今のお前なら俺を簡単に屠ることができるはずだ」
「くっ!」
そんなやりとりが繰り広げられた。
だがここで俺は妙な違和感を掴み取ってしまう。
………どうして麗奈は貴教を攻撃しないんだ?今のあいつなら夫や娘、というか家族に対する躊躇いなんてとっくにないと思っていたんだが………。
しかしどう見ても今の麗奈は貴教を拒否している、拒否しているくせに攻撃できないというよくわからない状況がそこに出来上がっていた。
すると次第に麗奈の呼吸が荒れ始め足をどんどん後ろに下げていってしまう。だがそれに合わせて麗奈の瞳が翡翠色に輝いていった。つまりここで人格が逆転する。
はずなのだが、ここでもおかしな現象が起きていた。
「お、おいっ!しっかり自我を保ちやがれっ!今更こんな男に怖気づくなんて馬鹿なこと………なっ!?か、感情の波が………!?くっ、馬鹿な、こんなこと、が、あ………!?」
「はあ、はあ、はあ、こ、こないで………。こないでって、言ってるのっ!」
「断る。お前に裁きと言う名の引導を渡すのはこの俺だ。それを達成するまで俺は止まらない」
「が………あ、ッ………」
か、カラバリビアの人格が強制的に戻された!?
し、しかも何もしてないのに麗奈が押されて………。
異様すぎる光景だ。もし仮に麗奈が俺に使っていたような力を貴教に向ければ、それだけで貴教は命を散らすことになる。それは麗奈とてわかっているはずだ。それなのに、それができない状態が続いている。
その理由が俺にはまったくわからなかった。
が、それは貴教の口から語られることとなった。
「麗奈、お前は思っている以上に麗子が死んだことにショックを受けている、違うか?」
「な、何を馬鹿な………」
「お前が白包を欲する理由は、過去に自分が受けてきた魔人昇華への行為と過去をなかったことにすること。その願望だけがお前を生かし続けてきた。俺と出会う前もその願いは抱いていたんだろう。そして意思のあったカラバリビアに三つあるうちの白包を一つ譲渡する契約でさらなる力を得た。だが、そうなる前のお前は今のような残忍な性格じゃなかったはずだ。いつだって冷静で、冷めてて、俺が何をしようと笑ってくれさえしなかったが、麗子を産んだ直後のお前は自分の子供を大切そうに抱いていたはずだ」
「い、いい加減にしなさい!それはあの娘を私の武器にできると思ったからで………」
「いいや、違う。お前が俺たち家族に目をかけなくなったのは、お前が真に皇獣となってからだ。つまり麗子を産んで数週間後。その時期を境にお前は人としての心を失った。常にお前の隣に立ち続けた俺が言うんだ、違うわけがない」
「だ、だからって何がいいたいのよ!?今の私は己の過去を潰すためだけに家族すらも利用する真の皇獣。そんな私が今更あなたなんかに怖気付くことは………」
「ある。理由は十分に存在する。もはや推測だが、お前はまだ人間の心を捨てきれていない。かつて麗子を生むまでは自分の過去を清算する欲望と人としての道徳の二つの感情を均等に有していた。そしてその感情は皇獣になったことで限りなく無に近づいたものの、消えていなかった。だから俺に攻撃できない。世界に一人しかいないお魔の夫がそう断言する!」
「ふざけないでっ!だったらどうして早く私に逆らわなかったのっ!?どうして私に抵抗しなかったのよ!?」
「以前までのお前は本当に俺たちに見向きもしなかった。その証拠にお前は容赦なく麗子の体の中に入っていたサードシンボルを解き放った。だがその麗子が死んだことによって、お前の中にあったほんの微量の親としての感情が刺激されたんだ。だから今、俺はお前に殺されていない。こうしてお前と言葉を交わすことができている。それにもし本当にお前の考えが全てうまくいってお前も麗子も人間に戻れるなら、それはそれでいいと思っていた」
「んんっ、ああああがあああああっ!?あ、あり得ない、あり得ないわっ!こ、この私が今更娘の心配?夫の心配?ふ、ふざけるんじゃないわよっ!!!そ、そんなことがあっていいはずがない、いいはずが………」
なんとなくだが、この瞬間、俺は貴教がかなり無理をしていることに気がついた。その額から流れ出る汗、そして血管を破いてしまうほど力がこもった両手。その姿はまるでバレてはいけないハッタリとかましているように感じたのだ。
おそらく貴教にしても、今開陳した考えはあくまで推測の域を出ないものだったのだろう。しかしそれを言葉にしていくうちに、麗奈はその言葉を少しだけ信じてしまった。
ゆえに動転している。
貴教を攻撃できず、カラバリビアの人格すら押しのける思考の嵐が彼女の心の中に吹き荒れているのだ。
俺はそれを感じ取ると妃愛や眠っている麗子の様子を確認していく。妃愛はこちらを見つめながらも震えており、顔も真っ青だがなんとか意識は保っているようだ。だが反対に麗子は先ほども確認したように人形のように眠っており生気を感じることができない。
とはいえ死んではいない。だが貴教が言ったようにあれはもはや死んでいると捉えられてもおかしくない状態だ。
しかしそんな麗子が麗奈を追い詰めた。ここにきて麗子と貴教の感情が麗奈に届いたのだ。
と、その時。
貴教は麗奈に向かっていきなり走り出し、身動きができない麗奈の背後に回り込んでいきなり抱きついていった。そして彼女の体に腕を絡めてその動きを拘束する。
「な、何してるのっ!?は、離れなさいっ!」
「離れるものか。俺がお前をどれだけ責めても、結局そのお前を救ってやれなかった責任は俺にもある。加えて俺は麗子に対する罪を償わないといけない」
「ど、どういうことよ………?」
その言葉が俺の耳に響いた瞬間、貴教は少し離れたところに立っていた俺に向かってこう叫んできた。その顔には必死さが色濃く浮かんでおり、言葉を聞く前から何を言おうとしているのか伝わってしまう。
「聞いているな!貴様の手を巻き込むのは本当に申し訳ないと思っている。だが、貴様にしか頼めない。頼む、俺ごと麗奈を殺してくれっ!」
「「なっ!?」」
「ば、馬鹿なこと言わないで!は、離しなさいよっ!!!」
俺と妃愛の声が重なり、麗奈の悲痛な叫びが漏れる。だがそれでも麗奈は言葉とは裏腹に貴教を振り払えないようだ。しかし貴教は本気のようで、何度も俺に訴えかけてきた。
「は、早くしろっ!いつ麗奈が俺を吹き飛ばすかわからないっ!無防備な麗奈であれば貴様の力でたやすく消しとばせるはずだっ!!!」
「だ、だが………。それだとお前も………」
「言っただろう?これは償いだと。俺たち親が麗子を不幸に導いてしまった。仮にお前の手を借りることなく麗奈を殺せるなら、俺は麗奈と一緒に心中している。それだけの罪を俺たちは重ねたんだ。だから頼む、今、ここで俺たちを殺してくれっ!」
すぐにはうなずけなかった。
麗奈はともかく貴教は人間だ。異世界でも極力人を殺さないように生きてきた俺にとってその選択はあまりにも重すぎる。
なのだが。
「早くするんだっ!麗奈を抑えられなくなるっ!」
そんな声が響き、俺はその土俵に立たされることとなった。
戦いの最終盤、俺は究極の選択を迫られることとなる。
次回こそこの戦いが決着します!
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次回の更新は明日の午後九時になります!




