第七十八話 闇の海と罪
今回は妃愛の視点でお送りします!
では第七十八話です!
私の心の中で何かが切れる音がした。
その感覚が走った時にはすでに目の前には闇が広がっている。体を支える地面も浮力もなく、ただただ落ちていく体。その落下感はとてもではないが気持ちいいものではなく、吐き気をもよおすような気味の悪いものだった。
とはいえ。
今の私はそれに抗うことができない。
できることと言えば、目の前で目を瞑ってしまった月見里さんの顔を思い出すことぐらいだ。
手を差し伸べることすらできずに目を閉じてしまった月見里さん。彼女がかかえていたものは私にもわからない。でもそれが彼女の考え方や人生を大きく変えてしまうものだったことは理解できる。
でなければ、私と時雨ちゃんと友達になりたかったなんて言わないだろう。
そしてその事実を頭で理解してしまった瞬間、私の心の中に激しい怒りが走った。一瞬だけいつものような頭痛も走っていたが、その痛みすら塗り潰すような圧倒的な怒りが心を支配していったのだ。
しかし、気がついた時には、闇が包む深海のような空間に私は誘われていた。耳には何の音も響いてこない。深く、くらい、どこまでも落ちていってしまようなその場所は、私を包み込もうとはせず、水底に向かって引っ張っていった。
手や足を必死に動かそうとするが、どういうわけかいうことを聞かない。本当に溺れるようにばたつかせることしかできず、体を持ち上げることなど不可能だった。
そんな時。
私の耳元に「誰か」の声が響いてきた。その声を聞いた瞬間、なぜか頭痛が走ってくるが体ではなく心がその声を聞こうとしてしまう。
『………力は怒りに任せて振るっていいものじゃない。それは何度も言ったはずだ』
………だ、誰?
い、一体この声はどこから響いてくるの………?
『………今のお前にはそれすら思い出せないのか。………。であれば質問を変えよう。どうしてお前はあの少女のために怒ったんだ?あの少女はどんな理由があれ、お前をいじめて傷つけた。その憎悪は少なからず持っていたはずだろう?』
そ、それは………。
過去に私が自分の力で月見里さんを傷つけそうになって、それから………。それに月見里さんだって色々と考えてて………。
『その考えはあまりに危険だ。甘いと言わざるを得ない。結局、「どの俺」がきてもお前の性格までは変えられないみたいだな』
その声が聞こえた瞬間、私の目の前の闇に光が宿った。その中から声が聞こえてきているため、中に誰かいるのかもしれないが、そこまでは確認できない。しかしそれでもどうにかしてその光を確認しようと私は必死に体の向きを変えながら視線を移動させていく。
しかしその努力は光の中から漏れてくる声によって遮られてしまった。
『やめておけ。お前が俺を「思い出せて」いないのなら、俺のことを視ようとするのは無駄と言わざるをない。それにいずれわかることだ。「今回」も大枠の流れは変わっていない。いつの日か相見えることになる』
ど、どういうこと………?
あ、あなたは一体………。
『気にする必要はないと言ったはずだ。それよりも今、この状況をどうするべきか考える必要があるだろう』
その言葉が私の耳に届いた瞬間、私の「意識」がぶれた。視界が二重にも三重にも歪み、魂が悲鳴を上げそうな痛みが走ってくる。だが同時に沈んでいた体が何かに引っ張られるように猛スピードで浮かび始めた。
『言っておくぞ。「俺たち」はお前の味方だ。決して害をなす存在じゃない。だから今お前に言えることは一つだ。………目の前のことだけを考えろ。後先考えるのはそのあとでいい。今、お前が置かれている状況を頭で整理して最適な解答だけを選び続けろ。そうすればお前はきっと、この世の全てを乗り越えることができる』
そ、そんなこと言われても………!
だ、だめ。か、体の自由が効かない………つ!ど、どうすれば………。
『どうする必要もない。お前の意識はもうしばらくすれば自動的に「器」に戻る。そうなればこの海ともおさらばだ。できることならもう二度とこの場所にきてはいけない。今は「俺たち」がいるからいいものの、いなければ一生力が暴走したままになっていたところだぞ』
瞬間。
私の瞳に眩しいほどの光が突き刺さった。それは暖かくもありどこか冷たくもあった。
だがそれよりも、その光にはどういうわけか血の匂いが感じられた。加えて何かを殴っているような音も聞こえてくる。
その情報が頭に入ってくるたびに私の体に熱が戻り始めた。血が流れている感覚も、神経を伝って肌が感じ取っている感覚も全て理解できるようになっていく。
しかしその感覚が戻っていくたびに、嫌な予感が背中に走っていた。この場所にずっと漂い続けていたほうがいいんじゃないか、この場所で孤独に生きていたほうがいいんじゃないか。そんな考えが頭の中に浮かび続けていく。
だが、そんな私の背中を押すようにどこからともなく聞こえてくるその声は私を叱責した。
『馬鹿なことは考えるな。この場所はお前がきていいところじゃない。お前が生きる世界とこの世界はまったく別物だ。………だからお前は進め。さっきも言っただろう?お前は進むしかないんだ。あの少女は目を閉ざしてしまった。だがまだ終わりじゃない。命が消えたわけじゃない。永遠の眠りを覚ます方法が必ずある。それを見つけて手に入れろ。戦いから逃げるなとは言わない。だが、自分を大切に思ってくれているやつくらいどうにかできないようじゃ、この世界では生きていけないんだ』
その言葉は胸の真ん中に重く突き刺さった。そして同時に私の右手は頭上から降り注いでくる光に向かってまっすぐ伸びていく。そしてその光が体全体に当たったその時、私の意識は完全に表へ復帰していった。
しかしその時。
そんな私の背後から何やら寂しそうな声が聞こえた気がした。
『………強く生きろよ、妃愛。「俺たち」はお前に何もしてやれなかった。だが今回は違う。今、お前の隣にいる「あいつ」は誰よりも強い最強の………』
そこで言葉が聞こえなくなる。
その続きを聞いていたいという気持ちが少し芽生えてしまうが、そんな感情すら無理矢理押し流すように私はようやく深くくらい海を脱出していくのだった。
その先に信じられない光景が待っているとも知らずに。
「え………?」
気がついた。
体が自分のものになった感覚が伝わってくる。
だがそれと同時に目の前に広がっている光景も頭の中に入ってきた。真っ赤に染まった女性が一人、地面に倒れている。その体は何かに殴られたようにボコボコにへこんでおり、前歯や花は折れ曲がって、体の至る所から骨が突き出していた。
そして私は自分の両手にジンジンと伝わってくる感覚に驚愕した。私の拳にも血が付着している。その血は私の血と目の前にいる女性のものだと直感的に理解してしまう。
ということは、だ。
この状況から導き出される答えは一つだけ。
この女性を殴っていたのは私………?
その瞬間、意識を闇の海に沈めていた時にこの体が何をしていたのか、その記憶が全て蘇ってくる。一言も言葉を発さずに月見里さんのお母さんを攻撃している私。その姿はまさに鬼神ともいうべき様だ。
そして結果的に私は月見里さんのお母さんを追い詰めた。地面に叩きつけて大きなダメージを負わせたのだ。
もし仮にここで手を引いておけばまだどうにかなったかもしれない。私の精神状態もまだ安定していたかもしれない。
でも、そうはならなかった。とどめはお兄ちゃんがさすと言っているにも関わらず、私はそんなお兄ちゃんよりも前に立って月見里さんのお母さんを殴り続けたのだ。
その結果がこれだ。
月見里さんのお母さんは見るも無残な姿になり、血の沼に体を沈めている。対する私の両手には大量の血がこびりつき、命を奪う一撃を叩き込む寸前だった。
それを理解した瞬間、私は自分の体のコントロールができなくなった。重心を前方に寄せて立っていた私だったが、何かに怯えるようにその重心を後ろに下げてしまう。同時に呼吸を続けていた肺がほぼ完全に機能を失い、空気を吸い続けるような状態になってしまった。
「はっ、ひぃ、はっ、ひぃ………」
息ができない。
いわゆる過呼吸というやつだ。だが私の身に起きているのはそれだけではない。何かに後押しされるように漲っていた力が全て消失した。私の頭の中に書き込まれた先程までの記憶にあった力が跡形もなく消え去っていたのだ。
となれば、どうなるか。
言うまでもなく私はただの少女に落ちてしまう。何もできない弱虫の女子中学生の出来上がりというわけだ。
だがそんなことはどうでもよかった。
今、この状況というのは私が恐れていた状況そのものだった。
私が月見里さんや時雨ちゃんと距離をおこうとしたのは、自分の中に眠っている得体のしれない力でみんなを傷つけないようにするためだった。私の中にある力が人を殺せてしまうほど大きなものだと私はなんとなく気づいていたから。
人を殺すということはその人に関わる人たちの人生も一緒に狂わせるということだ。つまり私は今、月見里さんのお母さんだけでなく彼女に関わる全ての人間を不幸にしようとしたということだ。
仮に彼女が月見里さんやそのお父さんを追い詰めていたとしても、無闇に命を奪っていいわけがない。
だというのに、私は感情に身を任せて力が暴走させ、人殺し一歩手前という状態まで落ちてしまった。その事実が怖くて怖くて仕方がない。もしあと数秒意識を取り戻すのが遅かったら私は本当に人を殺していたかもしれない。
そう思うと私は自分がどうしようもなく怖くなってしまったのだ。
しかし。
その油断が、その恐怖が、さらなる悲劇を呼び込んでしまう。
ぶにゅっ、という音が響いたかと思うと、目の前に倒れていた月見里さんのお母さんの体が急に歪み始めたのだ。そしてその体はぶよぶよと歪みながら元の形に戻ろうとしていく。
その姿に私は「よかった、まだ生きてる!」と思ってしまったのだが、それは間違いだった。
そう。
私は間違っていたのだ。
確かにこの女性は月見里さんのお母さんだ。
しかし彼女とお兄ちゃんの会話から彼女がもうすでに人ではなく「皇獣」になってしまっていることを思い出した。
つまり私がやろうとしていたのは人殺しではなくただの皇獣討伐。人の形をして、人の人生を歩んだ皇獣殺しだったのだ。
だが結局、なんと言おうと私は彼女を殺せなかった。
殺せなかったからこそ、彼女の恐ろしさを再び痛感することになる。
「………あはははははははははははははははははははっ!最後の最後で力を失うなんて本当に惨めねえ。でも、それが命取りよ。あなたの力は正直言ってあの青年より厄介だわ。だから今のうちに、避ける間も無く殺してあげる」
その瞬間、月見里さんのお母さんの体が不気味に変化した。ガイアさんの用紙を混ぜたような美貌を顔に作り、黒と白が混ざったような髪を風になびかせながらゆっくりと立ち上がっていく。それに呼応するように左右の手首から鋭い爪のようなものが飛び出し、額からは三本の角のようなものが出現した。
もはや人間としての原型は失せた。だがそれによって先ほどとは次元の違う力を滲ませていく。
逃げなきゃ、と直感的に思った。
だが体が思うように動かない、先ほどまで使っていた力の反動がきているようだ。身体中に筋肉痛のような痛みが走り、足一つ動かすことができなくなってしまう。
それだけではない。
やはり、人であれ、化け物であれ、知り合いの家族を傷つけてしまったことへの罪悪感と自分への恐怖が私の体を縛り付けていたのだ。
ゆえに私は目の前に立っているその皇獣に何もできなかった。攻撃を繰り出すことも、この場から逃げることも。その全てを可能にする力がどこからも湧いてこなかったのだ。
だが、それでも月見里さんのお母さんが引くことはない。お兄ちゃんがカラバリビアの鍵と呼んでいた神器を掲げ、それを私の首めがけて振り下ろしてくる。
当然、その攻撃を受ければ私は絶命するだろう。
だから私は目を瞑った。
しかし。
………。
………………。
………………………?
痛みがない。
首も繋がっている。
それを理解した私は勢いよく目を見開き、何が起きたのか確認していった。
するとそこには………。
「………ぐ、ごはっ!?な、なんとか間に合ったようだな………」
そう言って私の代わりに攻撃を受けていた月見里さんのお父さんは、口から大量の血を吐き出していく。
そして妻である月見里さんのお母さんにこう宣言していった。
「………今のお前はもう人間じゃない。だがそれでも俺の妻だ。そんなお前が犯した罪は俺も背負ってあの世へ持っていく。………これが最後だ、麗奈っ!」
私と月見里さんと中心に勃発したこの戦いは暗い終わりへと突き進んでいくのだった。
次回はこの戦いが決着します!
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次回の更新は明日の午後九時になります!




