第四十三話 何のために
今回は麗子と夢乃の視点でお送りします!
では第四十三話です!
ハクとガイアが会話していた同時刻。
かなり豪華な造りとなっている月見里家の一室で貴教と麗子は顔を付き合わせながら二人でワインを飲んでいた。しかしそんな二人の間に流れている空気は非常に重く、まともな会話は飛び交っていない。
それもそのはず。
自信満々に妃愛を殺しに行ったはずが、魔眼も魔術も神器も全ていなされる形で敗北したのだ。実際にはまだ負けていないものの、敗走したという事実は事実上の敗北と言う他ない。
だが、それだけのことで折れる二人でもなかった。戦いはまだ始まったばかりだ。ここで折れれば今まで積み上げて来た全てのことが水の泡になる。ゆえに二人は意を決したように口を開いていった。
「………勝てる見込みはあると思うか?」
「………全ては『お母様』次第かと」
「お前の魔眼も俺の神器も今回は何一つ通用しなかった。もちろん本気で戦っていたわけではないし、神器の深奥はまだまだこんなものじゃない。とはいえ、お互い初見だったはずの戦いがこうも上手を取られると、さすがに悩まざるを得ない」
「………申し訳ありません。全ては私が先走ったからです。鏡妃愛を無抵抗のまま殺害しようと思ったのですが、まさかあんな隠し球を持っているとは思わず………」
「それはいい。戦いというのは想定外という事象が付きまとうものだ。いまさらそれを責めようとは思わん。ただまあ、それなりの処罰は下すが」
「ッ!………はい」
その言葉に麗子はビクッ!と肩を震わせて顔を俯けてしまう。一体それが何を意味しているのかはわからないが、麗子にとってそれは父親である貴教に恐怖を覚えてしまうほどのことだということは確かだ。
だがそんな麗子を置いていくように貴教は淡々と会話を続けていく。
「あの青年………。見た目に似合わず相当な実力者だった。戦いに慣れていると言えばいいか。何をするにしても全てこちらの動きを読んでいるような感覚がした。実際俺が出し抜けたのは、最後だけだったからな」
「今日の戦いを見る限り、あの青年が鏡妃愛を守っているのだと思われますわ。一ヶ月前に鏡妃愛が急に消えたのも、彼のせいかと」
「だろうな。戦いの中であいつは急に消えたり現れたりを繰り返していた。あの怯えているだけの小娘にそれができるとは到底思えん。となると、やはりあの小娘を始末する上で一番厄介なのはあの青年ということになるか」
貴教はそういうと手に持っていたワインを一気に飲み干し、椅子に体重を預けながら息を吐き出していく。その視線は机の上に置かれていた一枚の写真に向けられており、一瞬だけその瞳に水がさした。
「お父様?」
「………なんでもない。気にするな。それよりもこれからのことを考えたほうがいい。こちらの情報がある程度知れ渡ってしまった以上、俺たちは他の帝人たちからも狙われることになるだろう。加えて皇獣たちも黙ってはいないはずだ。今日の戦いに触発されて俺たちの匂いを嗅ぎつけてくる可能性すらある。つまり、だ。あの鏡妃愛という小娘を始末するならできるだけ早い方がいい。面倒ごとが増える前に片付けられればベストだ」
「とはいえ、それは向こうも同じなのでは?ここまで事態がこじれてしまった以上、向こうにとってもこの状況はあまり好ましくないはずですわ」
「だろうな。だからこそその隙をつく。今回の戦いで真正面から戦っても勝ち目が薄いことは理解できた。であるならば、少々搦め手だが外道に落ちることも覚悟しなければいけない」
「………それはつまり」
「ああ。………『真宮組』を落とす」
真宮組。
それは真宮時雨の父親が管理運営している裏組織の名前だ。とはいえ実際はそれほど悪に徹している組織ではなく、むしろ裏社会側からこの街の治安を維持するように努めているのだ。
だがそんな真宮組とこの月見里家は非常に仲が悪い。そりが合わないとでもいうべきか。大きな力をもったグループが同じ街に混在している以上、激突は避けられない。
現に今も小規模な小競り合いが続いており、負傷者は出ていないものの、色々と方奥所が上がって来ているのだ。
そして、そんな真宮組の一人娘である時雨と妃愛が仲良くしているのを見てしまった麗子はその関係を利用しようとした。しかし今回はあまりにもど直球に攻めすぎて、逆にハクやガイアたちに気づかれて後手を取らされてしまった。
だがこの状況は上手く使えば最強の武器になる、そう二人は考えていたのだ。
確かに真宮組と月見里家は仲が悪い。加えて武力的な実力もそれなりに拮抗している。しかしそれはあくまで一般人的な解釈の下はじき出される見解だ。この対戦に参加し、もはや魔術でも神器でもなんでもござれの状況になってしまえばどちらが優勢なのかなど考える必要もない。
「真宮組を陥落させ、そこにいる連中を人質に取れば向こうとしても下手に手出しはできないだろう。とはいえ、それは向こうもそれなりに予想しているはずだ。ゆえに今回は皇獣たちも巻き込む」
「と、言いますと?」
「『餌を与える』、それだけでお前はわかるはずだが?」
「ッ!」
その瞬間、麗子の手からワイングラスが滑り落ちた。絨毯の上に赤ワインが飛び散り、ガラスが割れる音が周囲に飛び交っていく。
だがそんなことには目もくれず貴教はさらに残酷な言葉を突きつけていった。
「先ほども言ったがこれはお前への処罰だ。今回はその処罰とこちらの策がうまく噛み合っただけ。本当にお前が自らの望みを叶えたいというのなら、協力してもらわなければ困る。言っていることはわかるな?」
「………はい」
「なら今すぐにでも『実験室』に入って『体に刻んでこい』。それが終われば今日はもう解散だ。詳しい作戦はまた明日、伝える」
「わ、わかりました………」
貴教の言葉にそう返した麗子は、自らが落としたワイングラスを拾い上げると、フラフラとした足取りでこの場を去っていった。そしてとある部屋に向かっていく。その部屋に近づくにつれ、メイドや執事の姿が消え、最後には明かりすら消えていった。
そしてその部屋の前に辿り着くと、錆びついた鉄の扉をゆっくりと開けてその中に入っていった。
一番最初に思うことは異様な鉄の匂いだろう。しかも何かが腐敗したような匂いすら混じっている。加えて床には赤黒い何かがこびりついた刃物のようなものが転がっており、普通の人間が見たら気を失ってしまうような光景がそこに出来上がっていた。
だが一番ひどいのはそこではない。
「………」
麗子の視線の先。
それはこの部屋を形作っている四方の壁。
そこにはべっとりと濡れた血でたくさんの文字が刻まれていた。
「………こんなこと書いても出してもらえるわけもないのに、私は何をやっていたのかしら」
その言葉の意味は麗子以外の人間にはわからない。でも、だからこそある意味では麗子にとってこの場所は唯一ありのままの自分を吐き出せる場所だった。血に濡れて、葉物が転がっていて、たくさんの涙が染み込んだこの窓のない部屋は、キレに整えられた実質より馴染みの深いものだったのだ。
だがその時。
肉を引き裂くような音が部屋に響き渡る。
同時に血飛沫が床に飛び散り、麗子の体が床に倒れていった。麗子を中心にドバドバと流れ出る赤い血液は、最終的に部屋の床全てを埋め尽くしそれでもなお溢れ出てくる。
普通であればこの出血量は以上だ。というか死んでいてもなんらおかしくはない。
でも。
でも。
でも。
もう、慣れていた。
今では痛みも何も感じなくなってしまった。
いや、正確には痛覚は残っている。ゆえに痛みは感じる。でも、それが苦痛だとは思えなくなってしまったのだ。
それは明らかに異常だ。
一介の女子中学生が身につけていい感覚ではない。というより絶対に習得してはいけないものだ。こんな状況が明るみになればニュースで取り上げられるとかでは済まない問題に発展する。
だというのに、この麗子という少女はそれを抱えて生きてきた。
そして麗子は、この半ば儀式めいた行為の最後にいつも一滴だけ涙を落とす。その直後に決まってこう呟いていくのだった。
「………ああ。私はどうして、こんなことをしているのかしら………?」
ハクの紡ぐ真話の中で群を抜いて残酷な物語の片鱗が見え始めた瞬間だった。
「ねえ、知っていますか?今の時代に残されている魔術は、実は人間にとって有毒なものなんですよ。だからこそどうにかして完璧だった神代の時代に近づけようとする。劣化した魔術を完璧な形に押し上げようとするんです。ですが、それでは結局使用者の体に負担をかけてしまいます。イタチごっこと言うべきでしょうか」
「………それを私に話して何がしたいのですか?」
「世間話ですよ、世間話。この図書館には私とあなたしかいませんし、特段珍しいことでもないでしょう?」
「………」
その言葉に夢乃は返事を返さなかった。手に持ったホットミルクを后咲の前に置いて黙って立ち去ろうとする。しかしそんな夢乃の足を止める一言が后咲の口から放たれてきた。
「夢乃、あなたは覚えていますか?『三百年前』のこと」
「………この私が本当に覚えていると思っているのですか?」
「逆に覚えていないのですか?」
「………」
「答えたくないみたいですね。まあ、それもわからなくありません。現に私にはその記憶がありませんし、まだまだ不鮮明なままです。『本当であれば覚えていなければいけないこと』であるはずなのに、今になっても思い出せないんですから」
「………だから今回の対戦は乗り気なのですか?」
「というと?」
そこで初めて夢乃は后咲が座っている椅子に向き直って会話に参加する。しかし依然として夢乃の顔には感情というものが浮かんでおらず、何を考えているのかまったくわからなかった。
「今回の対戦はあなたにとっても私にとっても世界にとっても特別。だからこそあなたは神器召喚の際に、今まで以上に力を込めた。文字通り最強の神器を呼び出せるように。でも、本来その必要はないはずです。神器が強ければ強いほど心強いというわけではない。この戦いは『帝人』が私たちにすら牙を剥いてくることがある、そういう戦いのはず。だというのに、あなたはその危険を顧みず最強を呼び出してしまった。その光景を見せられていて乗り気じゃないという方が不自然です」
「………だいぶ、口を動かせるようになりましたね。私は嬉しいです」
「誤魔化さないでください。あなたの最終的な目的も願いも私は知っています。だからこそ聞きます。ここまで対戦を『かき回す』理由はなんですか?あなたならもっと効率的にことを運ぶことができるはずです」
「………」
夢乃の言葉に后咲は押し黙った。
その沈黙は長く、長く続き、ホットミルクが完全に冷めてしまうほど長く続いた。しかし夢乃は待ち続けた。待って、待って、待って。それでもひたすら待って。そして次に后咲が口を開くその瞬間に備えて精神を安定させていく。
だがそんな后咲から帰ってきた答えは夢乃すら予測していなかったものだった。
「………………私も女の端くれです。一度は『助けられてみたい』ものなんですよ」
「は………?」
「振り向いてくれないことはわかっています。でも、それでもしつこく手を伸ばしたくなる、それが女のさがです。それだけが理由ではありませんが」
后咲はそう言うとすっかり冷めてしまったミルクを飲み干しておもむろに立ち上がると、窓の外に浮かんでいる月を見ながら、こんなことを呟いていった。
「話を戻しましょうか。今の時代に残っている魔術は人間に大きな負担をかけます。でも、魔人や他の例外も存在している以上、絶対とは言い切れません。それに………」
「………」
「月見里麗子の場合は、そういう体に作り変えられてしまっていますからね。いつ見てもこの対戦に参加してくる帝人の方々は愚かで浅ましいです。でも、そんな帝人の方々に勇ましく挑んでいく『彼』を私は信じています。たとえ世界が血涙に染まろうと、『彼』だけは常に正しい道を指し示してくれると」
「………今日は、ここで失礼します」
その言葉を聞いた夢乃は何も返事を返さずこの部屋から去っていった。だがその後、彼女は一人で枕を濡らしてしまう。
その事実に気がついているものは誰もいない。
だがこれが後々。
想像を絶する現実を呼び起こしていくのだった。
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