第二十三話 平穏な時間
今回から第二章が始まります!
では第二十三話です!
五月。
俺がこの世界にやってきてから一ヶ月が経過した。
世間では五月病だとか言われてしまう時期だが、結局あんなのは気合の入れ方でどうとでもなる問題で、日常を繰り返して入れば簡単に乗り越えられる壁だと俺は考えている。
桜は散り、新緑が顔を出すこの季節は梅雨が来る前ということもあってかなり過ごしやすい陽気が続いていた。風が吹けばそれは髪を揺らしながら静かに通り過ぎていく。日がさせば少しだけ肌寒い空気をゆっくりと温めて体を和らげていく。
そんな五月。
学生であれば新学期が始まりようやくクラスの皆とも打ち解けてきたであろう季節だ。まあ、俺は別に今更学校に通う気はないし、そういった話とは無縁なのだが。
とはいえ、俺は俺でこの一ヶ月、無駄に過ごしてきたわけではない。
………ああ、いや、今考えてみると色々と怠惰な時間を過ごしてしまった後ろめたさは残っているのだが、それでもただ部屋にこもってニート生活まっしぐらというわけではなかったと断言しておこう。
仮にも宿主の脛をかじっている以上、そんな堕落した生活は許されない。対価として身の安全は保証しているが、それはあってないようなもの。実際この一ヶ月俺たちのマワ入りに起きた出来事といえば、家の中にゴキブリが一匹発生したぐらいだ。
まあ何が言いたいかというと。
つまり。
それだけ平和だったのである。
「ふわあー………。おはよう、お兄ちゃん………」
「うん、おはよう。朝ごはんはできてるぞ。顔洗ってすぐに来るといい」
「うん、そうする………。ふわあ」
うわー………。すごく眠たそうだな………。
いやまあ、妃愛が朝弱いことはこの一ヶ月でなんとなくわかったんだが、それにしてもビヨンビヨンに跳ねた金色の髪の毛と半開きの瞼は、十四歳の少女が浮かべていいものではないはず………。
まあ、大抵顔を洗えば元に戻るんだけど、それにしても俺以上に朝が弱いとは思わなかったというのが本音だったりする。
で、ちなみに今日の朝食は割とオーソドックスな野菜とハムを挟んだサンドイッチとコンソメスープ、そして蔕の取られたイチゴである。今の世の中は便利なもので旬を過ぎていても色々な果物が出回っている上に、味もそこまで大差ない。まあ、美食家とかが比べればはっきりと違いは出るのかもしれないが、俺のレベルの舌では大して気にならないレベルだ。
今日も虚とて近くのスーパーで買ってきた割と大きめのイチゴがテーブルの上に置かれている。先ほど味見してみたが、そこまで味も悪くなく十分に食べられる甘さと酸味を持ち合わせていた。
実際のところ女の子が普段何を食べて生活しているのか、これは男の俺にはわからない問題だったりする。いや、何を言う。お前はアリエスと結婚して一緒に生活しているじゃないか、と言われてしまうかもしれないが、そこはあまり参考にならないとだけいっておこう。
なにせアリエスは俺には勿体無いくらいできた嫁さんだ。つまり毎日毎日俺の食べたいものを汲み取ってそれを三食提供してくれている。加えて栄養バランスも完璧という超人っぷりを発揮してくるのだ。
もはやここまでくると参考にできるできないレベルの話ではない。アリエスが自分ではなく俺を主幹にして考えている以上、もはや女のこの実態は謎に包まれたままなのだ。
結局それはシラやシルが出してくれた料理、また赤紀が出してくれた料理も同じで、女の子が真に食べたいものがなんなのか、それを教えてくれるものではなかった。
ゆえに俺はこの一ヶ月、せめて女の子が何を欲するのか、それを研究してきたつもありである。こう言うとなんだか変態っぽく聞こえてしまう感が否めないが、それでも俺がこの家の宿主にできることがそれくらいしかないのだから仕方がない。
まあ、最終的に女の子は甘いものとフルーツが好きなのではないか、という結論に至ってしまったため、できるだけ朝はフルーツを食卓に並べているというわけである。
と、そこに。
珍しくまだ眠たそうな顔を提げたこの家の宿主、妃愛が姿を表してきた。すでに体には制服が身につけられており、朝食を食べたらすぐに出発できそうな格好に変わっている。
そんな妃愛が椅子についたことを確認した俺はすぐに作っておいた朝食をテーブルに並べ、自分の分もささっと用意して妃愛と向かい合うように座っていく。そして毎度のごとく手を合わせてナイフとフォークを握っていった。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
それからの流れはどこにでもある一般的な家庭と同じようなものだ。今日は学校で何があって、何時に帰る。そんな話を妃愛が口にし、俺は俺でテレビをつけながらそこに流れてくるニュースに視線を落とす。
ただそれだけだ。
ある意味平和だと話題のネタがないというのが困りものだが、それはかなり贅沢な話をしているのであまり口に出さない。出してしまえば今の平和が逃げていきそうな気がしてしまうのだ。
というのも。
俺たちが皇獣に襲われたあの日から、よくも悪くも、というよりかは完全に好転的に俺たちの生活は変わっていった。
どうやら妃愛は俺が目撃したあの光景のように学校でいじめられていたらしいのだが、そのいじめもあの日を境に徐々に減っていき、今では無視される程度にとどまっているのだという。それでも嫌な仕事を押し付けられたり、たまに殴られたりとまだまだ改善されたというわけではないらしいが、それでも俺が来る前と比べると随分よくなったそうだ。
だが、だからといって今の状況が本来あるべき中学生の姿だとは思っていない。そもそもいじめという状況が今だに続いているのが問題なのだ。ゆえに俺は妃愛の体に常に気配創造の膜を張り巡らせ、その体を守っている。加えて、すぐに俺を呼び出せる小さい神宝を預けており、何かあったらいち早く連絡できる手段を整えておいた。
本来であれば根本を解決するためにそのいじめっこたちに歩い程度の社会的制裁を加えなければいけないのだが、それはどういうわけか妃愛が固辞した。「悪いのは彼女たちじゃない、だからそんなことする必要はない」の一点張りで、これだけは引き下がらなかったのだ。
まあ、そこまで言われてしまうとさすがの俺でも手出しはできない。結局俺がやっていることは妃愛が少しでも明るく前を向いていきていけるようにする手助けだ。それが俺の手によって逆に阻まれてしまうのなら、手を引く以外に取る選択肢はない。
だから俺は妃愛の学校生活にこれ以上関わることはなかった。まあ、状況が好転してきていることもあって妃愛の笑顔が徐々に増えてきているから、全体的に悪いというわけではなさそうだ。
となれば、俺はより一層血生臭い方に力を入れなければいけないわけだが、どういうわけかその手がかりも全く反応がなかった。
皇獣たちの気配をない上に帝人たちが力を使ったような痕跡もない。気配探知を使って常に探りは入れているのだが、それでも何もヒットしなかったのである。
后咲は皇獣たちは放っておけば世界を滅ぼすと言っていたが、その姿が現れないのであれば俺も帝人たちも動くことができないのは道理だろう。まあ、皇獣たちが出現する一年と言う期間の内三十日分消費できたということを考えれば少し気分は楽になるのかもしれないが、この手の話はこのまま終わることは絶対にない。いずれ面倒ごとが生じて戦場に駆り出されるのだ。
だが逆にこれとは別にわかったこともあった。
それはこの世界の抑止力記憶庫が消滅している理由である。
とはいえまだ詳しいことはわかっていないのだが、この二つは自然に消滅したのではなく何者かの手によって恋に破壊されたのだと掴むことができたのだ。
自分の身の回りにだけ空想の箱庭を発動し、その中で神妃化を発動して抑止力と記憶庫の状態を探る。そうすることで誰にも悟られず状況を確認できるという算段だ。
まあ、その結果が破壊痕だらけの残骸を発見するというものに至ったのだが、こうなってくると色々と事情が複雑になってきていると、言う他ないだろう。
なにせ抑止力と記憶庫は世界に次ぐ力を持っている存在だ。そんな彼らが誰にかに破壊されているとなると、世界自体に匹敵する力の持ち主がこの世界にはいたということだ。正直言って神々が全て死んでいるこの世界においてそんなことがあり得るのか?と疑ってしまいたくなるが、残念ながらたった一つだけそれを可能にできてしまう存在を俺は知っていた。
それこそが………。
「黒包、だよな………」
「うん?お兄ちゃん、何か言った?」
「へ?あ、ううん、なんでもない。独り言だから」
「ふーん、ならいいけど。それより今日の夜ご飯ってなににする予定なの?」
「おいおい………。朝食食べてる時に夕食の話とは随分と気が早いな………」
「だってそれくらいしか一日の楽しみにすることないもん」
「何平然とものすごく寂しいこと言っちゃってるんですかね、この子は」
「だってお兄ちゃんも知ってるでしょ?私が学校で孤立してること。そんな状況で学校で楽しむなんてできるわけないよ」
「まあ、それはそうかもしれないけど………。うーん、よし、わかった!」
「何がわかったの?」
「今日は思い切って外食にしよう。丁度雇用の夕食は悩んでたんだ。だったらいっその事外で食べた方が色々と気が楽かもしれない。それに俺じゃ作れない料理も食えるだろうしな」
思えばこの一ヶ月、妃愛の力になることばかり考えて完全自炊生活を繰り広げてきていた。ゆえにどうしてもメニューに偏りが出て一週間の中で同じメニューが並ぶことなんてザラだったのだ。
しかしこうなった以上、思い切って外食してみると言う線も案外悪くないと思うのだ。そうすることで気分転換にもなるし、妃愛にもっと美味しいものを食べさせてあげることができる。そう俺は考えたのだ。
しかしそんな浮かれている俺に大きな釘をさすように妃愛は一言………。
「でもそのお金はお兄ちゃんのじゃないけどね」
「はい、その通りです、お嬢様ぁあ!俺はただあなたの紐になっているお手伝いさんですよおぉ!………ああ、なんだろう、これ。目から変な水が出てくるなー………。一人の男として情けない………」
「べ、別にそういう意味で言ったわけじゃ………」
「いいよいいよ。そのうち妃愛を見返せるほど稼ぎのいいバイトでも見つけて生活費は工面するから。というかその時になったら絶対にいいお店連れて行ってやるからな!覚えとけよ!」
「だからなんで半ギレなの、お兄ちゃん………」
だって!
悲しいではないか!
始中世界でも現実世界でもとっくに自立できるくらいの稼ぎはあるのに、世界が変わっただけで女の子の脛をかじるとか男としてどうなのかと俺が聞きたくなってしまう!半ば感情を振り切ってやけにでもならなければ平静を保ってられないのだ。
とまあ、こんな話をしながら朝の時間は流れていく。
二人だけの家にしては随分と賑やかだが、沈黙が流れるよりは随分マシだろう。少なくとも一ヶ月前よりは妃愛と打ち解けられた気がしているので俺は満足だった。
俺はその後、食べ終えた食器を洗い、玄関へパタパタと歩いていく妃愛見送ると、そのまま玄関の扉を開けて送り出していく。今日もいい天気で雨は降りそうにないが、少しだけ肌寒い風が流れていた。
「よし、それじゃあ、いってらっしゃい。気をつけてな」
「うん、いってきます。じゃあ今日はできるだけ早く帰ってくるから、どこのお店に行くかお兄ちゃん決めといてね?」
「いやいや、それは妃愛が決めといてくれよ。俺は土地勘もないしそういうのは妃愛の方が詳しいだろうからさ」
「えー。うーん………。まあ、暇があったら考えとく。あんまり期待しないでね」
そういって妃愛は俺に手を振って家から飛び出していった。そんな妃愛の姿が見えなくなったことを確認すると、俺はすぐに家に戻り一旦家事を置いておいて、とあるものを取り出してく。
それはあまり妃愛には見られたくないもので、妃愛が家にいない時に手入れしているものだった。
「………本当は、手入れなんて必要ないんだけどな」
それは真っ白な長剣だった。
俺とて長らく使っていなかったそれは、以前見た時と変わらない光を俺に放ってきている。そしてその輝きを見ながら俺はこう呟いていった。
「相手が神宝を使ってくるんじゃ、こっちも神宝の一つや二つくらい用意しとかないとな。………でも、できれば」
もうこの剣に血を吸わせたくない。
それが俺の本音だった。
そんな永劫不変の剣を眺めた俺はすぐにそれを蔵の中にしまい、気分を変えて家事に取り掛かっていくのだった。
次回は妃愛の視点に移ります!
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次回の更新は明日の午後九時になります!




