第十二話 新たな恐怖
今回は少し胸糞悪い展開になります。
では第十二話です!
見られたくなかった。
お兄ちゃんにだけは見られたくなかった。
どうしてかわからない。そもそもどうしてこの人をお兄ちゃんと呼んでしまうのかもわからない。口が勝手に動いて、心が隣にいたいと訴えかけてくる。その衝動は意識したところで抑えられるものではなかった。
それは言うなれば本来人間が家族に向ける感情だ。私は家族というものがいないため、それを雄弁に語ることはできないが、何がってもそばにいたいと思えるこの気持ちはおそらく家族のそれに近いだろう。
ゆえに、と言うべきか。
私は今、目の前に広がっている光景をお兄ちゃんに見られたくなかった。これから待っているであろう未来をお兄ちゃんに見せたくなかったのだ。
だって。
決まっているじゃないか。
これから私がどんな目にあうのかなんて。
毎朝毎朝、気色悪いくらいに家の前に立っている集団。日々の鬱憤を私にぶつけるためだけに朝早くから玄関にスタンバイしている彼女たち。
そんな私と同じ制服を着た女子生徒三人が登校時間中に仕掛けてくることなどすでに決まりきっている。
だから嫌だった。
お兄ちゃんに、家族に、自分のそんな惨めな姿を見られてしまうのが嫌だった。
家族の存在なんて、私にとってみれば必要のないものだと思ってきた。そんな面倒なもの私にはいらない。そもそも欲しくたって手に入れられるものではないのだから。ゆえにそんな存在だけの概念に気を遣うほうが間違っている。私はそう考えてきた。
私が傷ついても気に病む人はいない。ゆえに私も気を遣わなくて済む。私が傷ついても傷つくのは私だけでいいのだから。
でも。
この人には、お兄ちゃんだけは、駄目だ。
私の精神が持たない。恥ずかしい、怖い、情けない、そんな今まで感じたこともなかった感情が一気に押し寄せてくる。その感情は私の体を痺れさせ、どんどん硬直させていった。
だから。
止められなかった。止めようとしたのに止められなかった。お兄ちゃんが玄関のドアを開けてしまうのを。
そしてお兄ちゃんは目にしてしまう。玄関の先にある柵のさらに先に立っているいつもの集団を。私を「いじめる」ためだけにそこにいる月見里さんたちを。
「あ………」
言葉を失った。
別に驚いたから声が出なかったわけではない。
なんと反応していいのかわからなかったのだ。いつでもあれば無言を貫いて玄関から出ているけど、今日はお兄ちゃんが前にいるためそれはできない。加えて今のお兄ちゃんは姿が見えない状態だ。つまりお兄ちゃんの姿は月見里さんたちにも見えていない。
ということは、月見里さんたちからすればいつも通りの日常、私からすればお兄ちゃんに見られてたじろいでいる、という最悪の状況が出来上がっているということになる。
その現実に私は言葉を失ってしまったのだ。
ど、どうしよう………。お兄ちゃんに私がいじめられてるところ、見られちゃう………。で、でも、どうして私はお兄ちゃんに見られるのがこんなにも嫌なの?わ、わからない………。ど、どうしてなの………?
と、その時。
玄関から出て着た私を見つけた月見里さんが声を上げてきた。
「あら、今日もまた随分と早いのね、鏡さん?そんなに学校に行きたいのかしら?」
「っ………」
動揺する。
いつもなら軽く流せる戯言でもお兄ちゃんに見られているというだけで心の震えが止まらない。唇が乾き、脇の間から嫌な汗が流れ出てしまう。
だが、そんな私の気持ちも知らずに月見里さんたちスクールカースト最上位軍団は口に笑みを浮かべていた。取り巻きの二人は口に手を当ててクスクスと笑い、薄目でチラチラとこちらに視線を投げてくる。そんな二人とは対照的に月見里さんは仁王立とはこのことだと言わんばかりのポーズで私を待ち構えていた。
すぐ近くにお兄ちゃんがいる。
その気配がある。ということは見られている。見られた。私と彼女たちの関係を。その事実がただでさえ動けない私にのしかかってきた。それはまるで重い鉛を肩の上から乗せられているような感覚で、呼吸の仕方すらを忘れてしまいそうになる。
とはいえ、ここで止まっていては始まらない。ずっと玄関の前で立っていては不自然だし、かといって彼女たち相手に仲のいい友達のふりをするのはもっと無理だ。であれば、何が起きようが強行突破するしかない。
そう思った私は玄関についている階段を素早く駆け下りて、月見里さんたちが待機している鉄の柵をゆっくりと開けていた。そしてその柵が空いた瞬間、手早く鍵をしめて足を動かしていく。
相変わらず口は閉じたままだ。彼女たちと話すことなどもとよりない。「おはよう」とか「昨日の夜ご飯は何食べた?」とか、そんな黄色い話題を彼女たちと交わすなど絶対にあり得ない。
だから、そこから走った。走ることでこの場から逃げようと私は考えたのだ。
しかし。
「逃がさないわよ?」
「ッ!?」
月見里さんに右腕を掴まれた。それも二の腕をがっちりと。
とはいえ、振りほどけないほどの力ではない。月見里さんといえど、所詮は女子だ。その腕力には限界がある。そう考えた私はすぐに体をひねってその腕を振りほどこうとしていった。
だが次の瞬間。
「だーめー。逃がさないよー」
「きゃあっ!?」
肺から空気が吐き出される。視界が定まらず、一体自分に何が起きたのかまったくわからなかった。だがすぐに事態を理解する。
私の目線は月見里さんたちよりも低い。加えて背中に鈍痛が走っている上に、膝には擦りむいた痕がついている。
となるとこの状況は………。
………月見里さんの腕を振り払おうとした瞬間、残っていた二人が私を家の柵に叩きつけたんだ。背中を思いっきり打ったから肺が圧迫されたような感覚が走った………。
と、分析した私は歯を食いしばりながらそれでも立ち上がろうとする。ここから逃げることだけを考えなければいけない。まだ、まだ間に合う。そう脳が訴えかけて着ていた。
月見里さんたちからか、それともお兄ちゃんからか、そのどちらから逃げようとしているのかもわからなくなってしまっている私は、何かに急かされるように足を持ち上げていく。
「くっ………」
「あら、あらあらあら?そんな状態になってもまだ立ち上がるだけの気力が残ってるのね。これは少し感心しちゃうわ。か弱い女の子が背中を叩きつけられて、私を睨んでるなんてあなたはどこまで私をそそらせてくれるのかしら?」
「な、何を言って、る、の………?」
「わからないかしら?私は、いえ、そもそも人間というものは自分に敵わないとわかっている者がそれでも向かってくるその瞬間に愉悦を覚える生き物なの。そう考えると今日のあなたは最高と言わざるを得ない、というわけなのよ。いつものあなたは殴られようが突き飛ばされようが、無反応を貫き通していたはず。でも今日は、ふふふ、あはははははっ!いい気分ね、本当に!あなたのその悔しそうな顔、その顔が見たかったの!」
狂っている。
その言葉を突きつけたい衝動にかられた。でもぐっとこらえる。ここで噛み付けばそれこそ彼女の思う壺だ。同じように噛み付いて哀れな学校生活を送ることになってしまった人たちを私は何人も知っている。
だから我慢する。感情も殺して、いつも通りに振る舞う。そうすれば彼女たちにエンジンがかかることはない。こちらが苦しそうに、悲しそうにするから月見里さんたちはつけあがるのだ。
でも、どうやっても、いつもの自分を演じられる気がしなかった。頭のどこかでお兄ちゃんが近くで見ているという思考がよぎってしまうのだ。
と、その時。
「うーん、今日はいい気分だわ。この気分が消えてしまわないうちに、鏡さんと一緒に登校しましょ?きっと鏡さんも喜んでくれると思うわ」
「だねー!それじゃあ、早速………」
「行くよ、鏡さん?」
「ま、待って………あっ!?」
地面に膝をついていた私の腕を取り巻きの二人が掴んでくる。その力によって渡すは半ば強引に引きずられることになり、ローファーの底を削るように引っ張られていった。
だがそれでも私は抵抗する。思いっきり腕を引き寄せ体重をかけながら進行方向とは別の方向に体を寄せていく。
だが次の瞬間。
「ついてこいって言ってんだろうがっ!」
「ッ!?ああぁ、あああっ!?」
頭に激痛が走った。血が流れ出たかと思ってしまうような鋭利な痛みが頭に走り、軽いパニック状態になってしまう。それにより体が動かなくなり、またしても月見里さんたちに引きずられるような状況が出来上がってしまった。
彼女たちが掴んでいるのは私の腕ではなく髪だ。実際に掴んでいるのは取り巻きの二人だが、それは私の頭ごと引き抜くような痛みを私に走らせてくる。ぶちぶちという音がかすかに響き、地面には私の金色の髪が何本も落ちていた。
「痛い!や、やめて!」
「ふふふ、あなたが私たちに逆らおうとしたのが悪いのよ?こうなるのは当然。いうなれば自然の摂理なのよ。あなたは私たちのおもちゃ。その事実をもう一度理解しなさい?」
私を見下ろしている月見里さんの顔が歪む。そこにあったのは狂気とも言える悪魔のような残酷な笑みだった。笑っているのに心の中の悪意が漏れ出しているような表情。
怖くはない。だけど、少し後ずさりたくなってしまった。この子はもう壊れている。同じ人だとは思えない。そんな危険信号を勝手に脳が出しているのだ。
そしてまたしても頭に痛みが走ってくる。取り巻きの二人が髪を引っ張りながら歩き出してしまったのだ。それによって神経を伝って痛みが私に伝わり、思わず涙がこぼれてしまう。
痛い、痛い、痛い、痛い!
神経の痛みじゃない。お兄ちゃんに髪を引っ張られてる私を見られているという事実が痛い。
心が、痛い。
でももう限界だった。今の月見里さんたちに抵抗するのはどう考えても無謀だ。このまま逆らい続ければ髪を引っ張られる以上の苦痛を味わわされてしまうかもしれない。
そう考えると、体が勝手に動き出してしまう。足は月見里さんたちと同じ方向を向き、少しでも痛みを和らげようと行動してしまう。
でも。
でも。
でも。
初めて。
悔しいと思った。
彼女たちの好きなようにやられて、そんな光景をお兄ちゃんに見られて。そんな現実をひっくり返したいと、心の底から思ってしまった。
ゆえに瞳に浮かんでいる涙は痛みによる涙から悔し涙へ変化していく。
だが。
それがトリガーになった。
その涙が地面に落ちた瞬間。
そのしみが地面に広がった刹那。
喉に剣を押し当てられているような冷たい声が響いてきた。
『いい加減にしないと、さすがに怒るぞ?』
「ッ!?な、何、今の声!?」
「わ、私にも、聞こえた………!お、男の声だったよ!」
「………鏡さん、心当たりは………って、え?」
そんな月見里さんの声が響いた直後、世界が反転した。
視界に映っていた景色がいきなり代わり、私の目の前から月見里さんたちが消える。そしてその代わりに、なんとも言えない表情を顔に浮かばせたお兄ちゃんが立っていた。
「お、お兄ちゃん………?」
「………あの場所から大体一キロくらい離れたポイントに転移した。だから彼女たちはもう妃愛を追いかけてこれない」
「て、転移………?」
その聞きなれない言葉に首を傾げていた私だったが、そんな私を置いていくようにお兄ちゃんはすぐに腰を落とすと、ぐしゃぐしゃになった私の髪を優しく撫でながらゆっくりと話しかけてきた。するとそれと同時に私の体にあった傷が全てなくなり、痛みもどこかへ消えてしまう。
「………初めは妃愛の友達かと思ったんだ。だから助けに入れなかった。でも、多分彼女たちはそういう関係じゃないんだろう。それはまだ出会って数時間しか経ってない俺にだってわかる。だから、ごめん。助けに入るのが遅れた」
「え、そ、そんな、こと、ないよ………!こ、これは私が悪くて………」
「………」
お兄ちゃんの眉間にしわが寄る。心なしか表情も硬くなったような気がした。理由はわからない。でもお兄ちゃんが謝るのだけは筋違いにもほどがある。だから私は声を重ねるように言葉を投げようとした。
しかし。
「違うの!こ、これはなんでも、なくって………」
「妃愛」
「っ………!」
「俺はまだ君のことを何も知らない。まだ妃愛って下の名前で呼ぶのも恥ずかしいくらいだ。だから『今は』彼女たちとの関係に足を突っ込まない。俺みたいなやつが何も知らずに首を突っ込んでいい領域じゃないことは重々承知している。でも、でも、もし、彼女たちが妃愛に危害を加えようとしているんだったら、その時は………」
そして、お兄ちゃんは立ち上がりながら力強い視線を私に向けてこう呟いた。その姿を多分私は一生忘れないだろう。
「俺を呼べばいい。この世界に俺がいる限り、どこにいたって駆けつける。そして、どんなやつでも蹴散らしてやる」
誰よりも強くて頼り甲斐のある、お兄ちゃんの姿を。
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