第二話 嫌な朝
今回は第三部の主人公になるであろう子の視点でお送りします!
では第二話です!
その日。
月が空に舞ったその夜。
私は死にたいと、その人に告げた。
そばにいられなくなるのなら、離れ離れになってしまうのなら、こんなどうしようもない世の中で生きていかなければいけないのなら、死んでしまいたい。
心の底からそう思った。
でも、その人は首を振る。
『ダメだ。君は生きるんだ。誰よりも幸せに、誰よりも笑って、前に進む。それがこれから君が歩む人生。そうでなくちゃ、俺が困る』
そう言って、その人は優しく私の頭を撫でてきた。その大きな手は何度触れられても心が落ち着いてしまう。でも今だけはその感覚に浸っているわけにはいかなかった。そうでないと、この人は私の前から消えてしまう、そんな予感がしていたから。
だから抱きついた。
絶対に逃さないように。絶対に落ちていかれないように。
すると、その人はとても困った顔をした。私が見てもすぐにわかってしまうようなすごくわかりやすい顔を浮かべたのだ。眉を下げて、少しだけ微笑んで、頭を軽くかいて、視線を逸らしてしまう。
でも、それも一瞬だった。その人はすぐに私の背丈に合わせるようにしゃがみ込むと、そのまま私の目を見ながら優しく話しかけてくる。赤い、赤い、綺麗な瞳が私の瞳に向けられ、空気がさらに柔らかなものへと変わっていった。
『大丈夫。絶対に戻ってくるさ。君を一人にはしない。だから約束。俺が戻ってくるまで、俺のことは忘れること。いいね?』
首を振る。
忘れることなんてできない。忘れたくない。そんなことをしてしまえば、一生この人に会えない気がする。そんな嫌な予感が私の首を横に振っていった。
しかしそんな私の頭を撫でていたその人は、何故だかさらに微笑んでこんなことを呟いてきた。
『それじゃあ、お菓子はあげられないかな。約束、守ってくれたらたくさんあげるんだけど』
それは反則だ。
でも、今だけはそのワードを持ち出されても我慢できる自信があった。一時の欲望を抑えるだけでこの人がそばにいてくれるなら、むしろ安い。お釣りが帰ってくるほどだ。
そう思えてしまうくらい、私はこの人を欲していた。別に恋愛感情とかそういうのではない。ただそばに、ただ近くにいてほしいだけ。
それだけだ。
なのにこの人は、それだけは頷いてくれなかった。
するとその人はどこからか棒のついた飴を取り出すと、それを私の口の中に少し強引に入れて私をベッドまで運んでしまう。小さな私ではこの人の動きに抗うことは不可能だ。
ゆえにされるがままにベッドに寝かされてしまった私だったが、それでもまだ粘るようにその人の服を右手で握っていく。
嫌だ。
離れたくない。
そんな意思表示を私は口を開けずに露わにしていった。
だが、次の瞬間。
私の体に異変が起きた。急な眠気と、何かが体の中に入ってくる感覚が同時に押し寄せてきたのである。それは当然私に疑問を抱かせてくるが、それよりも先にその人は笑顔を浮かべながらこんなことを口にしてきた。
『君はいずれ、俺よりももっと大きな「何か」に出会うはずだ。だから、俺ができるのはここまで。あとは次に任せる』
次?
次って何?
わからない。わからなかった。
でも、わかっていることが一つある。
もう、この人は消えてしまう。私の手の届かないところに行ってしまう。これは予感ではなく事実だ。予感が確実に現実となる。それを私は本能で感じ取ってしまっていた。
涙が出る。
でも、もう意識を保っていることすら難しくなってきた。
すると、そんな私を見ていたその人は最後にこんなことを呟いてくる。その声は脳に直接話しかけらているような奇妙な感覚だった。
『君に「とあるもの」を託した。でもそれは多分、君を困らせるものだと思う。だからもしそれが負担に感じるようなら捨ててもいい。誰かにあげてしまってもいい。ただ俺が君にしてあげられることはこのくらいしかなかった』
そんなことない。
そう言いたいのに、口が動かない。
代わりにとてつもない眠気が襲ってくる。
そして私が覚えている最後の一瞬に、その人はこう言い残していった。
『ごめん。俺は君を導いてあげられなかった。でも大丈夫。君は君が思ってる以上に強いから。胸を張って、この世界で生きてくれ』
その直後、世界はブラックアウトする。どこまでも続く闇が私の視界に広がり、手足の感覚がなくなると同時に、体が沈む感覚が走ってくる。
そして。
そして。
そして。
落ちて。
落ちて。
落ちて。
私は………。
現実に引き戻されるのだ。
「………また、この夢、か」
目が覚めた。
寝汗はかいていない。でも、体が妙に湿っている。
あ。雨か。道理で少し肌寒いわけだ。
そんなどうでもいいことを思い浮かべながら私はゆっくりとベッドの上にかかっている布団をどかして、体を持ち上げていった。
するとまず最初に襲ってくるのはとてつもない倦怠感だ。いい夢、とはお世辞にも言えない夢を見たせいもあるが、これから先のことを考えるとどうしても体がそれを拒否してしまう。
まだ寝ていればいい。
いっそのこと家から出なければいいんだ。
そんな感情が体をどんどん重くしていく。
でも、それでも体は自然と持ち上がった。心がどんなにこの場所から這い出ることを嫌がっていても、頭はいつだって冷静。ここで前に出なければ後で困るのは自分だぞ、そんな聡明な意見を体に伝えていく。
それはいわば脅迫だ。怖いことが、苦しいことが待っていると告げることで行動を強制する。それを自分の心と体で行なっているのだから、これ以上なく効率的だ。
………。
………ダメだ。何を言ってるのかわからなくなってきた。
とにかく顔を洗おう。目を完全に覚まさないと。というか今何時?夢に起こされたせいで時間の感覚がないんだけど………。
そう思った私は枕元に置かれているスマートフォンを手に取ると、その画面の横についている電源ボタンを指で押していった。するとその画面にでかでかと午前七時という文字が出現する。
まだ七時か………。これだったら、まだコンビニのおにぎりもそれなりに残ってるかな。まあ、何があっても私は買わないけど。
そんなことをダラダラと考えていた私だったが、ついに体が勝手に動き出してしまい、私を洗面所まで連れていってしまう。冬が過ぎたとはいえ、まだ四月。水道の蛇口から出る水はまだまだ冷たい。
だが目を覚ますにはうってつけだ。学校の授業で居眠りしている生徒がいると、先生に顔を洗ってこいと言われる光景をよくみかけているが、実際あれはそこそこ理にかなっていると思う。
顔を洗えば当然目は覚めるし、スッキリする。ましてそれが冬の水道から出る水なら尚更だ。どんな居眠り生徒でも飛び跳ねて起きるだろう。
そう思えてしまうほど、今日の水は冷たかった。
じゃばじゃばと水を出しながら入念にあわ立てた石けんを顔に押し当てて顔を洗っていく。それが終わるとすぐにタオルで顔の水気を拭き取って、リビングに足を向ける。朝であるからには朝ごはんを食べなければいけない。どれだけ堕落していようがそれくらいは嗜むのが今の女子中学生だ。
というわけで私はリビングのとある一角においてある籠めがけて手を伸ばす。その中にはカラフルな棒付きの飴が大量に入っており、その中から一つの飴を取り出した私は包み紙を破いてその飴を口に放り込んでいった。
「………ん。今日はいちご味か………。少し甘い」
今日の狙いはレモン味だった。眠い時はやはり酸味を取るのが一番だ。冷たい水で顔を洗って、レモンの酸味でさらに爽やかな目覚めを迎える。これが私の理想だ。
なのだが、今日の私が掴み取ってしまったのはいちご味の飴だ。その味はこれ以上のないくらい甘い。頭の中が砂糖でいっぱいになってしまいそうなほど甘い。
別にあまいものが嫌いというわけではないが、というか好きなのだが、さすがに自分の理想を朝一早々壊されるのは気分がいいとは言えない。
とはいえ。
それは些細なことだ。これから私に襲いかかってくる「苦行」に比べれば蟻レベルの問題である。いや、蟻よりプランクトンか?それとももはやタンパク質まで戻ってしまおうか?
「………何を考えてるの、私。はあ………。着替えなきゃ」
そこで急に我に帰る。
今のは無理に目を覚まさせようと脳が勝手に動いた誤作動だ、気にしない気にしない。
時間に余裕があるせいかゆっくりと支度を始めていた私だったが、ここ数年間続けている「変わった朝食」を口にしながら、部屋に戻っていく。そして部屋の中にあるクローゼットを勢いよく開けはなつと、ハンガーにつっていた紺色のセーラー服を取り出していった。
これを着ることで私の一日は始まっていく。これを着たら私はもう今の私ではなくなる。ただでさえ暗い思考をさらに暗くしなければいけないのだ。
………否。
暗くさせられている、の間違いだ。
別に好きでこんな「苦行」に耐えているわけではない。というか誰だっていまの私の立場を見れば、同じようにはなりたくないと思うはずだ。
自分ですらそう思ってしまうくらいいまの私が置かれている環境はひどかった。まあ、別にそれ今更気にしているわけではないが。
というよりむしろ、そう扱われて当然なのだと半分受け入れてしまっている自分がいる。「彼女たち」に非はない。私に問題がある。だから悪いのは私だ。これは欺瞞ではなくただの事実。嘘偽りない現実なのだ。
ゆえに私はそのセーラー服に腕を通した瞬間、自分の上にさらに別の自分を被せていく。特段何かが変わるわけではないのだが、そう思うことで幾分か気持ちを楽にすることができるのだ。
そして私は昨日のうちに準備しておいた通学用カバンを手に持って家を出ていく。ちゃんと戸締りはして、脱いだ部屋着は軽く畳んで、電気を全て消してそれから家を後にする。
だがふと、改めて私はこう思ってしまった。
「………本当に大きすぎる家。私一人じゃ使い切れない………」
この家に住んでいるのは私一人だ。
家族も、親戚も、ペットもいない。
だというのに。
この家は少々大き過ぎる。
外見は完全に洋館二階建ての古いホテルのような見た目になっており、内部にはたくさんのシャンデリアと少しだけカビの匂いがする絨毯が敷かれている。加えて部屋の数はトイレやキッチンをのぞいて十個。どれだけ客間があれば気がすむのかと言いたくなるくらい無題に部屋が多い。
基本的に毎週日曜日は誰もいない、誰使っていないその部屋たちの掃除で潰れてしまう。それこそ引っ越そうか、お手伝いさんを雇おうかとさえ思ってしまうが、生憎こんな家に住んでおきながら財力は皆無なので、その夢は毎回川に投げ捨てるしかないというのが現状だ。
実は昨日も一日かけてこの家を綺麗にしたのだが、それでも一日経つ頃にはもう埃がたまり始めてしまう。玄関の床を軽く撫でただけで綿ぼこりのようなものが指に付着して着た。
その光景にげんなりしながらも、また掃除すればいいかと割り切って私は玄関に置かれていたローファーに足を入れる。かれこれ二年は履いて着たローファーなので、かなりボロボロになってしまっているが、履き慣れているということもあってなかなか買い換えられていない。まあ、いずれ買うことにはなるだろうが、毎回毎回今じゃなくてもいいよね、と思いその場は流している。
というわけで今日もそんな風に雑念を払いながら家のドアに手をかけた。そしてそのままドアノブに力を入れてちょうど九十度下に回していく。
と、次の瞬間。
春だというのに木枯らしのような強い風が吹き抜け、私の髪を揺らしてきた。その風は私の体に猛烈な寒気を走らせて顔をしかませてくる。
ああ、やっぱり今日は寒いんだ………。まあ、雨降ってるから当然と言えば当然なんだけど。
目が覚めた時も思ったが、今日は雨降りのようだ。適当に傘立てに置いてあった傘を広げて、その雨から体を守っていく。
そして私は大きく息を吸って前に歩き出していた。
のだが。
そこで私の口からため息が漏れる。
よくもまあ、こんな雨の日も、というのが率直な意見だ。
とはいえこの手の人種はそれこそ天候なんて気にしない。自分が楽しめるおもちゃがあるとこに出向いてくる。
そして今回。
そのおもちゃは。
紛れもなく。
私だった。
「あら、鏡さん。今日は随分と早いのね?そんなに私たちに会いたかったのかしら?」
「………」
そこにいたのは、見るからに上品そうなオーラを漂わせながら、顔をいびつに歪ませている三人の女子中学生たちだった。
とまあ、これくらい言えばなんとなくわかるだろう。
つまるところ、この状況は………。
私、鏡妃愛はこの連中にいじめられているのである。
次回はこのお話の続きになります!
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次回の更新は明日の午後九時になります!




