第二百四十八話 また、明日
今回は………。
でゃ二百四十八話です!
「お姉ちゃん………?」
目が合った。
交わるはずのない視線がぶつかる。
その瞬間、空が開き、この世界をまったく違うものに塗り替えていった。
そこは空の上。見渡す限りの青空が私たちを取り囲んでいる。その世界はどこまでも広がっており、肉眼ではその先を見ることは絶対にできない。
それは今の今まで私たちがいた世界ではなかった。
であればここはどこなのか。
アナの気配をたどってグラミリ村にやってきた私は、懐かしさを噛み締めながらアナがその手に握られている鍵を回す瞬間を待っていた。
たったそれだけのはずだった。
だというのに、それを待っていたかのように世界が変わった。いや、塗り替えられたというべきか。この世界においてこんな現象は見たことがない。であれば原因など明らかだ。
空想の箱庭、空の運命。
それがこの世界の正体だろう。
ハクにぃは言っていた。事象の生成による髪の奇跡は使用できない、と。であればどうやって私をこの世界に繋ぎとめておくのか。どうやって一日だけ私をこの世界に戻すことができたのか。
それを可能にしてしまえる力を私は一つしか知らない。
ゆえにこの瞬間、全てに納得がいった。
通常、空想の箱庭という力は短時間であっても維持させることの難しい能力だ。キラやアリス姉ではどんなに頑張っても一時間が限界だろう。
完全な上位互換である空想天園であれば時間の制限はないらしいが、劣化版である空想の箱庭では明確な時間制限が存在している。
そしてそれは常識を逸脱しているハクにぃとて同じだ。確かハクにぃがこの力を発動していられる時間は二十四時間だったはず。
それは私がこの世界に居られる時間と一致している。
ということはやはり私がこの世界に戻ることができた理由はこの能力以外にないだろう。世界が神の奇跡を受け止められないのなら、それを受け止められる新たな世界を作り出してしまえばいい。そうすればその世界が存続する限り、存在するルールは全て一新されるのだ。
そしてその力が今、ついに真の姿を現した。
見渡す限り一面の青空。真っ白な雲が私たちを取り囲み、体を優しく撫でるような風が吹いている。
これが空の結界。ハクにぃが作り出せる空想の箱庭の姿だ。
だが、一点だけ。この世界には私の知らない現象が引き起こっていた。それは足をつけている世界の床から私とアナを囲むように広がっている。
柔らかな芝生。その上にあるのは今しがたアナが鍵を突き刺したかつての自宅。そしてそんな家に影をさしている大きな桜の樹だった。その桜は花びらを振りまきながら太陽に向かって咲き乱れている。
どうしてこの世界にこれらのものがあるのか、その理由は正直わからない。ハクにぃが作り出した世界の以上、もはやなんでもありな場所といえばそうなのだが、その真意は読めなかった。
だがだからこそわかったことがある。これはハクにぃが気を遣ってくれたことなのだと、そんな気持ちが心の中に流れ込んできたのだ。
別に証拠があるわけでもハクにぃに直接聞いたわけでもない。だがなんとなく、わかってしまった。ハクにぃが持つ優しい気持ちがこの光景に反映されていると。
ゆえに私はゆっくり息を吐き出すと、この光景の全てを受け止めて改めて前を見た。そこには薄いピンクのワンピースに身を包んだアナが立っている。いつ見ても可憐なその顔は少しだけ赤く染まっていた。
「アナ………」
「お、お姉ちゃん?ほ、本当に、お姉ちゃんなの………?わ、私、夢でも見てるんじゃ………」
「夢じゃないよ。お姉ちゃんはここにいる。ごめんね、帰ってくるのが遅くなって。でも、戻ってきたよ」
そう呟いた瞬間。
私の体に柔らかな感触が伝わってきた。視界には桜の花びらと白く長い髪が映っている。その光景をどれだけ待ち望んだかわからない。待っても待っても二度と手に入らないと思った景色がここにある。
それを実感した私は飛び込んできたアナの背中に手を回してその体を抱き止めると、目を閉じてゆっくり口を動かしていった。
「ただいま、アナ。心配、かけちゃったね」
「お姉ちゃん!お姉ちゃん、お姉ちゃんっ!!!おかえり、おかえり、おかえりなさいっ!!!」
「うん、ただいま」
「う、うあああぁぁぁっ!ご、ごめん、な、泣かないって、お姉ちゃんに泣き顔、見せたくないって、そう思ってたのに、私、涙、止まらないっ!!!」
「うん、私も、なんだか、目が熱くなってきちゃった………。でも、泣いていいんだよ?今はお姉ちゃんがいるから」
「うん、うんっ!ごめん、ごめんなさい………!わ、私、お姉ちゃんを、守れなかったっ!!!ずっと、ずっと謝りたくて、それでっ………!」
「私もアナに謝りたかった。勝手に死んじゃって、勝手にいなくなって、本当にごめんね。本当にダメなお姉ちゃんだよね、私………」
「違う、違うの!悪いのは私、私だからっ!お姉ちゃんはずっと手を差し伸べてくれてた。それなのに、それを振り払ったのは私なのっ!みんな、みんな、世界のみんなを巻き込んで一人で塞ぎ込んでた私が悪いの!だから、お姉ちゃんは自分を責めないでっ!」
「それはアナも一緒だよ。アナだって悪くない。誰が悪いとか、誰が間違ってるとか、そんな話はもういいの。だってアナがこうして生きてるんだから。それだけで私は幸せ」
「で、でも、お姉ちゃんが………!う、うわああああああああっ!!!」
「よしよし、もう、アナは泣き虫さんだなあ。でも、本当に、本当によく頑張ったね。お疲れ様。ゆっくり、泣いていいよ」
私はそう呟くと、胸の中で泣きじゃくっているアナを抱きしめながら桜の根に腰掛けていった。そしてアナが泣き止むまでその背中を優しく叩いていく。トン、トン、トン、と時計の秒針を刻むように一定のリズムで手首を動かし続けた。
すると次第にアナの呼吸が落ち着いていき、鼻をすするような音が聞こえてくる。それを聞いて居た私は視線を空に移しながらこんなことを口にしていった。
「確か、この家に住んでた時は毎年春になるとお花見してたよね」
「え………?」
「今みたいに桜の樹の下で、お弁当広げて、芝生の上で寝っ転がって、桜を眺めてた。それと似てるなって思ったの。あの頃とは何もかもが変わって、もう戻ることなんてできないけど、それでもその時と同じ匂いがする」
「お姉ちゃん………」
「ふふ、なんでかな。そんな話してたら少しだけ昔のこと話したくなっちゃった。アナが初めて歩いた時のこととか、アナが初めて私をお姉ちゃんって呼んだ時のこととか。アナは覚えてないかもしれないけど、私の中ではつい昨日のことみたいに思えるの」
「………それじゃあ。聞かせて、お姉ちゃん?昔は絵本とか紙芝居とか私に読み聞かせてくれてたでしょ?あんな感じで私に聞かせて?その話、すっごく恥ずかしいけど聞いてみたいから」
「うん。それじゃあ、本当に最初から。私がアナと初めて会った時のお話からするね。それは………」
こうして。
私は現在の自分がどのような状況にあるのかも語らず、ただひたすら私とアナが紡いできた思い出を最初からなぞるように口にしていった。
もしかしたらアナはなんとなく私が置かれている状況を理解していたのかもしれない。帰ってきたとはいえ、それが一時の帰還であること。この世界が崩れればまた私が消えてしまうこと。
それら全てを悟って居たかもしれない。
そしてそれは私にも伝わっていた。
だから、だから。
これが正真正銘最後の会話になる、そう思って私は今の私にできる全てのことをアナにしてあげようと思った。時間は限られている。ハクにぃがこの世界を維持できる時間が決まっている以上、迷っている暇はない。
ゆえに私はこの世界で、この瞬間に、アナとの最後の思い出を紡ごうとしたのだ。
そしてそれは。
長く、ゆっくりと、時間を進ませていった。
アナの幼少期から今に至るまで、その思い出を全て口に出し、笑いあって、共有して、そんなこともあったよね、と会話に花を咲かせた。
暖かい時間だった。
ずっとこのままここに入られたいいのに。そう思ってしまうくらい幸せに満ちた時間だった。だから普段では聞けないことも、言えないことも全て話した。私が何者で、どんな経緯でアナを育てることになったのか。最後に私たちを救ってくれたあの青年は誰だったのか、その全てを語っていく。
そして気づけば。
残り時間がほとんどなくなってしまっていた。体感ではあるがもう五分くらいしか残っていないだろう。徐々に体が透け始め、世界自体がバリバリと崩れかけている。
「お、お姉ちゃん、体が………!」
「うん。残念だけど、もうお別れみたい。私がこの世界に戻ってこられる時間は一日だけだったの。だからこれが本当の最後、すっごく楽しかった時間も、もう終わり」
そう私は言うと、その場から立ち上がって十年間過ごした家の扉に手を当てる。そして背後に立っているアナを見ながらさらに言葉を重ねていった。
「この家はもう完全にアナのものなんだよね?」
「え?う、うん、そうだよ。色んな人に無理言って買わせてもらったの」
「そうなんだ。………だったら、私が消えた後にベッドの下にある小さな箱、開けてみて。一応、そこに全部、本当に全部置いてきたから」
「全部………?それってどういうこと?」
「それは明けてからのお楽しみ。大丈夫、きっとアナのためになるものだから」
私は微笑みながらそう返すと、そのまま今度は私がアナの体に飛び込んでその体を抱いていった。そして肩に顔を押し当てながら、おもむろに口を動かしていく。
「………あったかい。アナの体、すっごくあったかい」
「ど、どうしたの、急に………?」
「私、自分で言うのもなんなんだけど、すっごく頑張ったの。アナを拾ったその日から、絶対にアナを幸せにするんだーって。でも、もうアナは自分でそれを掴み取れるくらい成長した。だからそこに私が口を挟む権利はない。………でも、それでも一つ思うことがあるの」
「………なにかな?」
そして私は、絶対に言おうと思って居た言葉を口にする。その言葉は震えてろくに声になっていなかったが、それでもしっかりとアナの耳に聞こえるように紡いでいった。
「生まれてきてくれて、生きててくれて、こんな私のそばに一緒にいてくれて、本当にありがとう。ずっと、ずっと、大好きだよ。これからも、この先も、永遠に」
そして同じように私の背中に手を回してきたアナは力強く私を抱きしめると、ゆっくりこう返してくる。
その言葉を聞いた私は本当に心の底から幸せを感じていった。
「うん。私も大好きだよ、お姉ちゃん。昔も、未来も、今だって、ずっと大好き」
そう口の声を、愛おしい声を聞いた瞬間、私の体から全ての感覚が消え始めた。体がどんどん薄くなり、次第に声を出すことも難しくなっていく。
それを察した私は、最後の最後にこれだけは伝えようと思っていたことを口に出していった。それはこの別れが終わりではなく始まりだと、同時に代弁していく。
「またね、アナ。前はさよならって言っちゃったけど、もうその言葉は言わない。また、また一緒にこの家で暮らせる日がきっとくる。だから、少しだけ待っててね。絶対に会いにくるから」
「うん。待ってる。何があっても、何が起きても、待ち続ける。この場所でずっと、いつまでも。」
そして。
私が育てて、私と一緒に大きくなって、私の家族になったアナが最後の言葉を口にした。
「おやすみなさい、お姉ちゃん。また、明日」
その言葉は私をアナが一日の終わりに呟いていた言葉だ。
ゆえに私は最後の最後に涙を抑えられなくなって、大粒の涙を落としながらこう返していった。
「………っ!うん、また明日。朝ごはん作って待ってるからね!」
こうして。
私とアナのかけがえのない時間は終了した。
世界は元に戻り、私は元の世界に戻される。
そして、そんな私がこの世界を去った後、アナは泣き崩れていたらしい。その涙が地面を静かに濡らしていったそうだ。
そして、私も………………。
戻ってきた。
戻ってきたアリエスは目に大きな涙を浮かべて力一杯、服を握りしめている。だがその顔は泣いて居ながらも、どこか満足げな表情を浮かべていた。
だから俺はこう質問していく。
これだけは最初から決めていたことだ。
「どうだった、あの世界は?」
たったこれだけ。
だがこれだけで十分だった。
あとはアリエスが答えを出すだけ。
するとアリエスはすぐに顔を上げて泣きながらこう呟いてきた。その言葉をきけただけで俺は満足だった。
なぜならその答えは………。
「あの世界に行けて、本当によかった!本当に、本当に幸せだった。アナに会えて、アナを愛せて、アナの成長が見れて、本当によかったっ!!!」
これ以上なく幸せに満ち溢れていたから。
だから俺は。
これ以上何も言わず、アリエスの体を抱きしめていくのだった。
これがアリエスが紡いだ物語。
新たな神が紡ぐ真話の一ページだ。
本来交わるはずのなかった者たちが、たまたま出会った結果生まれたお話。
それは。
どこまでも。
綺麗だった。
次回はエピローグとなります。第ニ幕、第一部、続エピローグをご覧になってからお読みいただけると幸いです!
誤字、脱字がありましたらお教えください!
次回の更新は明日の午後九時になります!




