第二百四十二話 悲しみの帰還
今回はアリエスの視点でお送りします!
では第二百四十二話です!
太陽の光がまぶたに差し込んできた。
それは今日も朝がやってきたことを私に知らせてくる。同時に、頭の中では朝のうちにやってしまわなければいけないことが雪崩のように流れ込んできた。
それを忘れることの危機感から重たい体を持ち上げていく。
「………む、むにゃ。うーん………。ほえ………」
体に走る寒気は朝特有のものだ。温まった体に外気があたることによって体がびっくりしてしまったのだろう。
だがこの感覚にはなれている。というかもう十何年も経験してきたのだ。今更その程度で二度寝してしまうほど私は弱くない。
ただまあ、ふかふかのベッドに潜りたくなる気持ちは何年経っても変わらないのだが。
そんなことを考えながら起き上がった私は、まぶたを半ば閉じた状態でゆさゆさとボサボサの髪を揺らしながら歩き出していく。
目指す場所はキッチン。
今日もアナは学園に行かなければいけないはずなので、朝食とアナのお弁当を作るためにアナよりも二時間ほど早めに起きたというのが現状だ。正直言うとすぐに顔を洗いたいというのが本音なのだが、今日は冷凍してあるひき肉を使わなければいけないので、それを先に解凍しておこうと思い至ったのだ。
窓の外から聞こえてくるのは鳥のさえずりだ。目覚ましにはこれ以上ない音だが、それは起きた後も私を癒してくれる。とはいえそのまぶたはまだまだ重く、しかめっ面のような顔を携えて自室からゆっくりと出ていった。その際、隣の部屋で寝ている穴を起こさないように静かに扉を開く。
そこからは言ってしまうとかなり早い。体が覚えてしまっている道順を赴くままに歩き回り、階段を降りて一階にあるキッチンへ向かう。
ゆえに仮に目を閉じていても壁にぶつかることなく移動することだって可能だ。その気になれば眠りながら歩くことだってできてしまうかもしれない。
まあ、それだけこの家は住み慣れてしまったということだ。
というわけで私は何も考えずフラフラと前に続く道を歩いていたのだが、そんな私の動きを阻むように硬質な何かが私の額に直撃した。
「あいたっ!?………う、うーん?こ、こんなところに壁なんてあったっけ?」
それは間違いなく壁だ。
寝ぼけ眼で確認したがそれなりに豪華な装飾がなされた壁、それで間違いない。もしかすると本当に睡眠と覚醒の境目をうろついているのかもしれない、そう思うことで私はその壁を回避し、またしても目を半分閉じながら足を動かしていった。
そしてここでようやく一階へ向かう階段に差しかかる。だがその階段に足を置こうとした瞬間………。
「ッ!?わああっ!?ふ、踏み外しちゃった………。うーん、今日はダメだなあ。疲れでも溜まってるのかな………?」
階段で転びかけた。
いつもとは違う段差感覚が体に走り、思わず手を手すりに伸ばしてしまう。とはいえ、これも疲れか、寝ぼけていることが原因だろうと私は一人で納得してしまった。
だがそこでふと自分の体がいつもと違うことに気がついた。
………うん?疲れて、る………?そのわりにはいつもより体が軽いような………。というかいつも以上に魔力が充実してる気がする。気のせいかな?
本当ならそんなはずはないはずなのだ。なにせ私の体は抑止力に蝕まれている。それはこの世界にきた時から変わらない。その力が私の体に突き刺さっている以上、体が軽くなるなんてあり得ないのだ。
だが、まあ。
それも気のせいだろう。そう結論づけた私はついにキッチンの前までやってきた。するとその奥から誰かの気配が流れ込んでくる。
ん?アナかな?うーん?今日はそんな早起きしないといけない用事とかなかったはずだけど………。でもそれ以外にこの家に入ってこれる人って………ミルリアさんぐらいしかいないよね。でも家の鍵は閉めたしいくらミルリアさんでも夜中に忍び込むようなことはしないはず………。
ということはやはりアナ以外にいないだろう。何があったのかは知らないが今日は随分と早起きのようだ。
そう理解したわたしは軽く髪を手でときながらキッチンの中に入っていく。ドアノブに手をかけてできるだけ元気な声で朝の挨拶を口にしていった。
「おはよう、アナ。今日は早いね。学園で何かあ、る、の………………ッ!?」
だがその言葉は最後まで言うことができなかった。
なぜならそこにいた人物はアナではなかったからだ。
「おはよう、アリエス。目が覚めたんだな。体の調子はどうだ?」
「え、あ、う、え………。な、なん、で、ハクにぃがこ、こに………?」
「なんでって、ここはアリエスの家だろう?何かおかしなこと言ったかな?」
次の瞬間。
私の目は一気に見開かれた。
勢いよく振り返る。そこにあるのは見慣れない壁、床、天井。そして先ほど踏み外した階段と、ぶつかった壁。
いや、知っている。知らないはずがない。見慣れないとは言ったが、それは「長い間見ていなかっただけ」だ。
それを知覚した瞬間、洪水のように今までの記憶が流れ込んできた。
アナを取り戻すために剣を取った戦い。自分の心臓に剣が突き刺さる痛み。そして泣いているアナの顔。
この記憶は一体なにものだ?
私は夢を見ているのか?
違う。
違う、違う、違うっ!!!
そんなはずはない。そんなことがあっていいはずがない。
違う、違うのだ。
私は。
私は………。
紛れもなく。
あの世界で………。
そう思った刹那。
私は、うまく呼吸ができなくなった。
「はっ、ひぃ、はあっ、へぁ、ひぃ………!?」
「アリエス!?」
そんな私の下にハクにぃが急いで駆け寄ってくる。しかしそれを待たずに私は呼吸をどんどん荒くしていき、最終的に過呼吸へと陥ってしまった。息を吸うことしかできず、履くことができない。それは次第に脳の中を酸素でいっぱいにし、石クィオ混濁させていく。
「おい、アリエス!しっかりしろ、アリエス!!!」
「う、うあぁ、あ………。ア、ナ………」
私は最後にアナの名前を呼びながら手を伸ばしていく。
だがそんな私の視界を闇が覆い尽くしていった。そして私は起きて数分の間に気を失ってしまったのだった。
そして。
また私は目を覚ました。
今度もまぶたを突き刺すような日差しが目覚めのトリガーとなる。だが今回は私を支えてくれる人がそばにいた。
「おっ、目が覚めたみたいだな。おはよう、アリエス。水、飲むか?」
「ハク、にぃ………?え、えっと、うん………」
そう言って私はハクにぃから手渡されたお水を喉の中に流し込んでいった。その水は軽い脱水症状を引き起こしていた私の体に染み渡り、意識をどんどん覚醒させていく。
それによって私は今度こそ今の自分がどのような環境に置かれているのか、それを理解した。そして先ほどの出来事も、同じように思い出した。
ゆえに私はベッドに体重を預けながらハクにぃにこう切り出していく。
「ハクにぃ………。その、ごめんね、取り乱しちゃって………」
「アリエスが気にすることじゃないさ。あれは俺が悪かった。まさか目覚めた直後で記憶が混濁してるなんて考えもしなかったんだ。さっきもそのことでキラに怒られたよ。マスターは考えなしだ、って」
「そうなんだ。………ハクにぃ、聞きたいんだけど、私がハクにぃの前で倒れてからどれくらい時間経ったのかな?」
「うん?えーと、三時間くらいかな。見たところ過呼吸で倒れたみたいだったし、急いで処置したから心配しなくても大丈夫なはずだけど………何かまずかったか?」
「ううん。違うの、ただ単純に時間を確認したかっただけ。気にしないで。それよりも………」
そう、それよりもだ。
私が気を失っていたのは三時間程度。
しかしそれよりも前、私がこのベッドで寝ているよりも前のこと。いや、正確にいうならば「この部屋」で寝ている事実そのものが、私にある真実を刻み込んでいた。
「私、死んだんだね」
「……………ああ」
「ここは私の部屋。私がこの世界で住んでいた部屋。そしてお家。だから部屋を出てすぐに壁にぶつかった。階段を踏み外した。当たり前だよね。このお家は私がアナと過ごしたお家じゃない。だから、体に任せて歩くなんてできるはずない」
「アリエス………」
「ってことは、私はあの世界であの時、死んだんだ。心臓を砕かれて最後の最後で油断して、守れるはずだったアナを守れなかった。だからここに戻ってきちゃったそういうことだよね」
「違う、違うんだ、アリエス!お前は守った、守ったんだ。アナを、あの世界を。それはあの世界を見てきた俺が証明する!」
私の言葉にハクにぃは力強くそう返してきた。寝ている私の右手と強く握って、確かに感じる温度を流しながらそう口にしてきた。
その時、感じてしまった。
ああ、やっぱり、ハクにぃはハクにぃだな、と。
どんな時でも強くて優しい。そんな人。
そんな人だから好きになった。そんな人だから追いつきたいと思った。
だからハクにぃの言ってることは間違ってない。私はアナを守った。最後の最後で殺されそうになっているアナを守ったのだ。ゆえにそれは後悔していないし、自分を責めることもしない。
だが。
一つだけ。
私に守れなかったものがある。
私は結局、アナを一人にしてしまった。
一緒に生きていこうって約束したのに、それを守れなかった。
さよならを口にしてしまった。
それだけは絶対にしないって、しちゃダメなんだって思ってたのに、してしまった。
だからそれだけが心残り。もう戻れないとわかってしまったからこそ、そんな後悔だけが心に残っている。
するとそこでハクにぃは顔を俯けながらこんなことを口にしてきた。
「………それに悪いのは俺なんだ」
「え?」
「俺がもっと早くアリエスの下に駆けつけていればこうはならなかった。キラの言う通り、なりふり構わず助けにいけばよかった。アリエスの成長のためだって格好つけずにカラバリビアの鍵を使っていればこうはならなかった。………だから俺が悪いんだ」
「………まったく、本当にハクにぃは優しいね。知ってるよ?ハクにぃも別の世界で大変だったんでしょ?それなのに私だけ助けてとは言えないよ。それに、私が言い出したことだから、あの世界に一人で行くって。だからハクにぃは何一つ悪くないんだよ」
ハクにぃを責めるなんて筋違いだ。
それはこの私が断言する。私が望んであの世界にいった。だからそこでハクにぃの力に期待するのは無粋にもほどがある。いくら結婚して妻になったとはいえ、夫にその責任を担がせることは絶対にできない。
ゆえに私は右手を握ってくれているハクにぃの手を強く握り返した。それで私の言葉を信じてくれると確信していたから。
そして私はそのまま口を開いて一番気になっていることを聞いていった。
「………ねえ、ハクにぃ。よかったら教えて欲しいな。私が死んだ後、あの世界はどうなったのか」
「ッ!………い、いいのか?また過呼吸になったり………」
「大丈夫だよ。もうだいぶ気持ちの整理ついてきたから。むしろ、それを聞かないと落ち着かないかな」
「そうか。だったら話すよ。まあ、それほど大きなことはなかったんだけど………」
それからハクにぃは私が死んだ後の話をゆっくりと説明してくれた。
あれからハクにぃはレトダールを倒したらしい。その後泣きながらもみんなが私の死を弔い見送り、ペインアウェイクンはアナの手に戻ったそうだ。なんでもハクにぃが腕輪をレトダールから取り上げて抑止力の下まで運んだらしい。それと同時にペインアウェイクンで現界していたレトダールの妹さんも消滅。最後は笑って消えていったようだ。
またそれから結局、そのままアナがあの世界の王として戴冠したそうだ。一度サタリバース王国の中で女王就任を宣言している以上、引くに引けなかったらしい。まあ、サタリバース王国もシュテリーラ王国も国王があのザマなので、ミルリアさんたちもその結論で納得せざるを得なかったようだ。
それからはハクにぃもまだ確認していないらしい。ただ大方皆が己の生活に戻っただろう、とハクにぃは言っていた。幸い死傷者もほどんどおらず戦いが終わりを迎えたことで、被害自体はかなり小さく収まったようだ。
その説明を聞いた私は小さく胸をなでおろすと体の全ての体重をベッドに預けていく。
よかった、アナもみんなも生きてた、生きててくれた。私のしたことは無駄じゃなかった。
その安堵が私の体を包み込んだ。気になっていたことだったからなおさらだろう。張り詰めていた空気が少しだけ緩み、場に暖かな風を吹かせてくる。
だがまだ終わっていない。
肝心なことまだ聞いていないのだ。
「………もう一つだけ聞いていいかな?」
「うん?なんだ?」
そして最後に私はこう呟いた。
「私はもう本当にあの世界に戻れないの?」
それが一番知りたいことだった。
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