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第二百三十九話 神の降臨

今回も………。

では第二百三十九話です!

 立つことのできる体力なんて残っていなかった。

 背中から流れ出る血はどくどくと脈打ちながら地面へ流れ出している。皮肉と言えば皮肉だろう。先ほどまで平然と使っていた力で生み出した氷が背中に突き刺さったのだから。

 だがそんな氷を生み出した力も今ではまったく使えない。

 言うならば空っぽ。何もできない、何もない、何一つ動かせない、そんな状態だ。

 魔力の元になっていたであろう絶離剣も今は手元にない。まあ、あったところであの剣の中にあった魔力はほとんど私が使い果たしてしまった。

 つまり、何が言いたいかというと。


 私はそこにあるだけの女だった。

 ものと変わらない。生きているのか死んでいるのかすらもわからない。そんな人間の成れの果て。

 いや、それも違うか。

 神であったものの成れの果て。そう言うのが一番正しいだろう。


 だからだろうか。

 どういうわけか私はこの環境の中で唯一「動くこと」ができた。もちろん体力的に体はまったく動かせない。だが見えない力で床に叩きつけられているアナやミルリアさんとは少々事情が異なっていたのだ。

 私を吹き飛ばしたレトダールがすでに私は死んだ者だと思っていたのか、はたまたあの命剣では神であった私を縛りつけられなかったのかはわからない。

 ただ、動くことができたのだ。

 誰も手を差し伸べられず、無残にも殺されるしかないアナに対して。


 であればどうするか。

 簡単だ。

 失うもの、手放すもの、手放せるもの、その全てを投げ打ってでも動くしかない。

 誰だってアナを助けたいと思っているミルリアさんもアリフさんもハルスさんもペイさんも精霊たちも戦士王もインフさんもルガリクもフィアちゃんも、白狼の上で気を失っているミュルちゃんたちも、みんな思いは一つだ。

 でも、それでも動くことができない。

 私だけが動くことができる。


 だから。


 だから。


 だから。


 だから。


 だから。


 だから、私は………。






 己の全てを投げうって、アナを助ける道を選んだ。


 一つだけ。

 謝りながら。







 そしてその一撃は私に直撃する。左肩から心臓にかけて入り込んだその剣は私の心臓をいとも簡単に潰し、残されていた命を吹き飛ばした。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 心が痛い。

 これ以上アナと一緒にいられないと思うと、どうしようもなく心が痛んだ。




 この世界での死。

 それはもう二度とこの場所に戻ってこれないことを意味している。

 思い浮かぶのはハクにぃとの会話。一年ほど前に交わされた内容。その最後に語られたお話だ。


 私がもしこの世界で死んでしまったらどうなるか、そう聞いた時。

 ハクにぃはこう答えた。


『………もう二度とこの世界には戻ってくることができなくなる。もちろんアリエスの命は俺が預かってるし、本当の意味で死ぬことないけど、この世界では間違いなく「死んだ」ってことになるんだ』


『………この世界で死んだ以上、この世界において私は死人になっちゃう。死人が生きている道理は何があってもあり得ない。だから戻ってこられないってこと?』


『ああ。その考え方で間違ってない。俺の能力でもこればかりはどうしようないんだ。これは抑止力や記憶庫との関係とはまた別次元の話になる。世界とその世界に生きる生物の命の等価交換、そのシステムの問題だ。だからもしそれを改変しようとすればそれこそ世界を壊すレベルで事象の生成を行わないといけない』


 つまりそれはハクにぃが唯一不可能だ、と断言している死者蘇生となんら変わらない。ゆえにできないし、戻ってこれない。

 死んだと一度世界に判断されてしまえば、その命はこの世界に漂うことはできなくなる。それがたとえ異世界人である私であっても。


 ゆえに心が痛んだ。

 自分の死を悟ることはアナと永遠に別れなければいけないことだから。


 涙が溢れる。

 でももう声を上げることもできない。

 視界が霞んで、私に顔を望みながら泣き続けているアナの姿もろくに見えなくなってしまっていた。

 次第にその声すら聞こえなくなり、意識そのものが消えてしまいそうになる。


 そんな。

 そんな私の視界の隅に。


 誰かが現れた。

 その背中はとても頼り甲斐のあるもので、急に触れたくなってしまう。


 ああ、あれは誰だっけ?


 そんなことも思い出せなくなっちゃった………。


 ごめんね、アナ。




 私、アナと一緒にいるって言ったのに。






 それを守れなかった………。






 それがこの世界で私が覚えている最後の記憶である。
















「姉さん!姉さん、姉さああああああああああああああん!!!」


 体は血に濡れていた。

 べっとりと私の体を濡らしたそれは生暖かい。それはつまりその血が今の今まで人の中で流れていた証拠だ。

 だがそれが今、私の体を染めてしまっている。それは本来あってはいけないことだ。絶対に起きてはいけないことのはずだ。

 鳴ってはいけない音、目に入れてはいけない景色、嗅いではいけない匂い、そして感じてはいけない体の重みが私にのしかかってきていた。

 誰もが言葉を失った。

 だって動けないと思っていた。

 誰だってこの男の、ペインアウェイクンを手に入れたレトダールには抵抗できないと、そう思っていた。

 だからミルリアさんたちは私に逃げるように叫んだ。ルガリクたちはレトダールを必死に止めた。その命剣の力で生き返ったはずのシルフェーネという人すらレトダールに待ったとかけたのだ。

 ゆえにここで、姉さんが飛び込んでくるなど誰も想像してすらいなかった。


 時間が止まる。事実を理解した時には私は叫び続けていた。

 姉さん、姉さん、姉さん。

 その名前をずっと呼び続ける。レトダールの剣は的確に姉さんの心臓を突いており、血を送り出していたポンプとなる場所が破壊されたことで、体の中にある全ての血が地面に向かって流れ出してしまっていた。

 するとそこにようやく事態を理解したミルリアさんたちが声をあげていった。


「あ、あ、あり、えす………?そ、そんな、嘘じゃ………。な、なんで、アリエスが………」


「れ、レトダール………貴様あああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」


 インフさんの震えた声とミルリアさんの絶叫が響き渡る。その気迫はそれだけでレトダールを殺せてしまうくらい凄まじいもので空間そのものが震えていた。

 しかしとうのレトダールはそんな絶叫を聞いても顔色ひとつ変えずにこう返してきた。


「………まったく、余計なことをしてくれたな。この私に無駄な殺生をさせるとはほとほと迷惑な女だ。抵抗できないように吹き飛ばしておいたというのに、最後の最後で命を散らすなど………。無駄死にとはこのことだな」


 その言葉に私は思わず顔を上げてしまいそうになる。

 だが後だ。

 そんなことをしている暇はない。

 私は絶えず姉さんの名前を呼びながら自分のきていた服を引きちぎって姉さんの傷口に当てていった。


「姉さん!姉さああんっ!!!お願い、お願いだから、死なないでっ!!!」


 今の私に治癒魔術を使える体力は残っていない。そもそも氷魔術以外ほとんど教わっていない私にとってその魔術は使えないも同然だった。では治癒用の命剣はどうか、そう考えるも、勝利を確信していた私にはそんなもの持ち合わせていなかった。

 故に古典的な方法だが、まずその傷口を物理的に閉じるように勤めていった。引きちぎった服をどうにかして体に巻きつけ止血しようとする。

 だが。


「ぁっ………」


 悟ってしまった。

 もう、何もやっても遅いということに。

 まだ脈はある。

 この場にリーカやそれと同等クラスの治癒命剣使いがいれば話は変わってくるかもしれない。

 だけどそれはこの場にないものなのだ。この城にいたリーカを含む治癒命剣使いたちはすでにミルリアさんたちに無力化されている。一分一秒を争うこの状況で彼女たちを探しにいっている暇はない。

 ゆえに全身から力が抜けてしまった。

 何をやっても助からない。

 今まで姉さんと一緒に剣を振るってきた私だからこそわかる。


 これは無理だ。

 諦めたくない、諦められない。

 やっと、やっと姉さんと一緒に新しい道を歩けると思ったのに、手放さなければいけない。そんな現実が残酷にも私に突きつけられてきたのだ。


 ではどこで道を間違った。

 簡単だ。

 私が変な気を起こして姉さんに剣を向けなければよかっただけだ。争奪戦の時も、今に至るまでの時間も、先ほどの戦いも、その全てが姉さんの負担になっていた。

 もし、この場に姉さんがきた時点で私が自らの間違いを認めていれば、今頃私の剣を奪ったレトダールはあの圧倒的な姉さんの力で吹き飛ばされていただろう。

 だが。

 私は。

 そんな可能性すら自分で消してしまったのだ。

 ゆえに姉さんとの未来を捨ててしまったのは私だ。他の誰でもない、一番近くにいたはずの私なのだ。


 そう考えるとまた涙が溢れ出てくる。

 もうその泣き声も姉さんに届いているかわからない。目はうっすら開いているがそこに光はなく、強張ったように顔だけが笑っている。

 こんな、こんな姉さんを見たいために私は戦ってきたわけじゃない。守るって、何があっても守るって決めたのに、どうして私は姉さんを殺してしまったのだろうか。

 そんな自責の念が一気に私に襲いかかってきた。


 と、その瞬間。

 地に濡れた姉さんの手が私の頬に触れてくる。


「ッ!姉さん!姉さんっ!」


「…ぁ………ぅ……………っ」


「ッ!」


 声になっていなかった。

 でも聞こえた。

 その言葉はしっかりと私の耳に届いてきた。




 自分を責めないで




 なんで、どうして、姉さんはこんなにも優しいのだろう。自分が死にかけているこの状況でどうして最後まで私を大切にしてくれるのだろう。

 そう思った時。

 急にその答えが空から降ってきた。


 かつての私ならわかったはずだ。

 わからないはずがなかったことだった。


 姉さんは姉さんだ。

 いつ、どこにいたって、姉さんなのだ。




 そう、姉さんは私のたったひとりの「お姉ちゃん」なのだ。







「お姉ちゃん!!!お姉ちゃん、お姉ちゃん!お姉ちゃんっ!!!」


 必死に叫ぶ。

 もう届かないとわかっていても最後まで、その「最期」まで私はその名前を呼び続けた。

 その声にお姉ちゃんがこう返してくる。

 それが最後になると本能的に悟ってしまった。ゆえに涙を流しながら耳をすます。それからお姉ちゃんの喉はこんな言葉を残していった。






 幸せになってね、アナ。でもごめんね、さよなら。






 頭が真っ白になった。

 そして喉の奥から慟哭のような嗚咽まじりの叫び声が放たれていく。


「うぅぅ、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああっっっ!!!」


 その声はどこまでも響き渡った。

 城を超え、その先にある空を突き抜けて世界に飛んでいく。


 だがそれも一瞬、そんな私に対して今度こそレトダールはとどめの一撃を振り下ろそうとしていた。


「別れは済んだか?ではそろそろお前の命、奪わせてもらうとしよう」


 そう言ってレトダールは剣を振り上げる。その刀身にはお姉ちゃんの血がべったりと突いており、私の神経を逆なでした。

 だが抵抗などできない。叫び散らしたところで何かが変わることはない。急に力が湧くことも、ご都合展開のように覚醒するわけでもない。

 待っているのは冷然たる死だ。


 ゆえに私は最後の最後までお姉ちゃんを抱きしめていた。これ以上お姉ちゃんの体を傷つけたくはなかったが、離れることなど絶対にできなかった。


 そして。

 その時はやってくる。




「ではさらばだ、第一剣主。姉とともにその一生を終わるといい」




 瞬間。

 レトダールの持っているペインアウェイクンが私の首に向かって振り下ろされた。


 今度こそ終わった。

 その確信が走る。

 でも、これでお姉ちゃんの下にいけるなら、それでもいいと、一瞬だけ思ってしまった。






 だが。






 だが。





 だが。






 だが。






 いつになってもその剣は降ってこない。


 痛みもない。


 あるのは無音。いや、何かに驚いているレトダールの声だけだった。


「な、何が起きて………」


 そして。

 その人は悠然と喋り出す。

 しかしその声には明確な怒りがにじんでいた。








「………さすがに、さすがにお遊びが過ぎたな、お前。妻をここまで傷つけられて黙っている俺じゃないぞ」







 その声に私は思わず顔を上げてしまった。


 そこにいたのは、信じられない存在だった。


 髪は金色。

 

 瞳は燃え盛るような紅。


 携えているその気配はお姉ちゃんと同じもの。






 そう、言うなればそれは神様そのものだった。






「自己紹介なんてお前にするつもりはないが、一応名乗っておく。俺の名前はハク=リアスリオン。あらゆる世界の頂点に立ち、神々を統括するもの。簡単に言えば………」






 そしてその人はこう口にする。

 自分の存在をこのレトダールに、この世界に示すために。











「神妃リアスリオンからその称号を引き継いだ新たな神妃、そのものだ」














 それがこの世界に本物の神が降臨した瞬間だった。


次回はハクの戦闘回です!

誤字、脱字がありましたらお教えください!

次回の更新は明日の午後九時になります!

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