第百二十一話 共闘戦線
「では今度こそ終わりだ。中途半端に身につけたその力を恨んで死ぬがいい」
剣が落ちてくる。
それは寸分の狂いもなく私の首を両断するだろう。
赤い血しぶきをあげて倒れ臥す私は何もすることができずに死を迎える。
そんな死神の大鎌のような赤い長剣が私に振り下ろされようとしていた。
目は瞑れない。
瞑る暇さえなかった。
極限まで引き伸ばされた時間の中に閉じ込められたような感覚が走る。
その瞬間だけは恐怖という感情が消え失せていた。
だが。
現実は思ったよりも早く私に追いついた。
時間が動き出す。
そして。
そして。
私の命は――。
「……………………。…………。……あ、あれ?」
「な、なに!?」
その瞬間。
白い風が吹いた。
でもそれは私の知っている「白」ではない。
「だから言ったんだ。お前はこの戦いに関わるべきではないと」
私に振り下ろされたはずの赤い長剣は、突如現れた白い隊服のようなものを羽織った人の剣によって受け止められていた。
そしてようやく頭が動き出す。
ま、待って……。
た、確か、この人って……。
前に学校の屋上で私に話しかけてきた人?
月見里さんと戦う前。
屋上にいた私の前にいきなり現れて、自分の手を取るように言ってきた人がいた。
お兄ちゃんについていくことを決めていた私は当然その誘いを断り、その人とは決別したのだが。
どういうわけか、その人が今再び私の前に現れていた。
「ど、どうして、あなたが、ここに……?」
「理由は二つだ。一つは目の前にいる魔人の掃討。もう一つはお前の守護だ」
「わ、私の……?」
「本音で言えば『俺自身』はお前のことなどどうでもいいのだが、少々固執した依頼主がいたのでな。まあ、もののついでということだ」
……つ、ついで。
私の窮地を救ってくれた割には何一つときめかない理由だなあ……。
まあ、そのおかげで助かったわけだから文句は言えないけど。
などと呑気なことを考えていると――。
「……貴様、そうか。その剣、極東の処刑人か……。随分と大物が出てきたものだ」
「ほう。俺のことを知っているとは。低能な魔人とは思えない知識量だな。まあ、それだけお前が力を持っているということか」
そう言い放った隊服の男性は、手に持っていた赤黒い長剣を軽く振り払って態勢を整えていく。そして威圧が混じった言葉とともにとてつもない殺気を放っていった。
「さて、ここで会った以上、俺はお前を殺さなければいけない。逃げるも戦うも自由だが、命乞いはやめておけ。どっちみち、お前は俺に殺される運命だ」
「たかが人間風情が大口を叩くとは。俺も舐められたものだな。この俺を誰だと思っている?」
「誰だと聞かれれば、超位魔人ダウト、と答えるほかない」
「その通りだ。魔人であれば俺の名前を知らないやつなどいない。純然たる魔人にすら劣らないと言われている俺に、人間が勝てると本当に思っているのか?」
「勝つか負けるかじゃない。俺はお前を殺す。それだけだ」
「はんっ! ほざけ!」
その言葉が合図となった。
お互いが地面を蹴って肉薄する。
両者の剣が弧を描きながら接近し、そして――。
激突するかに思われた。
そう、思われたのだ。
しかし現実はまたしてもうまくはいかない。
いや、この場合に限って言えば、私が望んでいた展開と言えるだろう。
なにせ。
今度こそ。
本物の白い風が吹いたのだから。
「だああああああああ! しゃらくせぇんだよ!」
「ごはあああっ!?」
ダウトと名乗った魔人は、いきなり現れた何かによって後方へ吹き飛ばされてしまう。その威力は凄まじいもので、学校の壁を尽きぬけてすでに姿が見えなくなってしまっていた。
するとそんな魔人を吹き飛ばした張本人である金髪の青年が、慌てたように私にかけよってきた。
「無事か、妃愛!」
「う、うん……。わ、私は大丈夫だよ、お兄ちゃん。少し魔力使いすぎちゃっただけ」
「待ってろ、すぐに回復させる」
その瞬間、倒れている私の体に柔らかな光がまとわりついていった。それはすでに枯渇寸前だった私の魔力を全快させ、体についていた傷さえも全て治癒してしまう。
つまり、いくら私が強くなったとしても、お兄ちゃんにとってその私の魔力を回復させることぐらい造作もないということだ。
……助けに来てくれたことは嬉しいけど、ちょっとへこむなぁ、これ。
強くなれば強くなるほどお兄ちゃんとの実力差を思い知らされるというか……。
すると、そんな私達のやりとりを見ていた隊服の男性がおもむろに話し始めた。
「……俺が来なければこの娘は死んでいた。俺は言ったはずだ。俺の手を取らないのであれば、この娘は絶対に守れと。それがお前の責任だと。だというのに、このザマとは。失望したぞ」
「黙りやがれ! こっちはわけのわからない肉まん少女と一戦やってきてるんだよ! あー、むしゃくしゃする! 妃愛を助けてもらったことは感謝するが、一方的に罵られるいわれはねえ!」
「……何をそんなに怒っている? しかも俺や吹き飛ばした魔人ではない何かに対して」
「だから今言っただろうが! 肉まん少女だよ、肉まん少女! 急いでる時にいきなり戦いを仕掛けてきたくせに、何事もなかったかのように立ち去っていく。これに腹を立てずに何に立てるって言うんだよ!」
「……ご、ごめん、お兄ちゃん。私もお兄ちゃんが何言ってるか、わかんない」
とまあ、珍しく何かに対して怒っているお兄ちゃんに対して、私も隊服の男性もため息をつくことしかできなかったのだが。
そんな自分に気がついたお兄ちゃんは、すぐに呼吸を落ち着かせると話題を急に変えてきた。
「……まあ、それはこっちの問題だから今はいい。それよりも、何なんだよ、あいつは。気配的に魔人だってことはわかるけど、どうして妃愛を狙ってきたんだ?」
「やつの狙いはこの娘ではない。むしろやつにとってもこの娘の存在は想定外だったはずだ」
「想定外だと?」
「この学校全体に人払いの結界が施されているのは知っているな? この結界は一定以上の魔力を持つ者以外を結界内から遠ざける力を持っている。つまりこの結界を使って強い魔力を持っている人間を洗い出そうとしていたというわけだ」
「その言い方だと妃愛も標的に入っているように聞こえるぞ?」
「……まあ、その線も完全に消えたわけではない。だが、この学校には『その娘より』も大きな魔力を持った人間がいる。おそらくそっちが狙いのはずだ」
「なに?」
「え?」
お兄ちゃんと私の声が重なった。
それだけ今、語られた事実は衝撃だったのだ。
お兄ちゃんに鍛えてもらったことによって、今の私は通常の人間よりもはるかに多くの魔力を保有している。それは自他ともに認める事実だ。
そんな私よりも多くの魔力を持ち、お兄ちゃんや私の目を今の今までかいくぐってきている人間がいると、この人は言った。
もしその話が本当であれば、この学校はもはや安全とは言えなくなる。いくら昼間であっても帝人である私が通うにはあまりにもリスクが大きすぎる場所となってしまうのだ。
そんな私と同じ考えに至ったお兄ちゃんは真剣な面持ちで会話を続けていった。
「……俺はそんなやつの気配は感じたことがない。その情報は本当なのか?」
「気配はただの人間だ。それこそこの娘の方がはるかに大きいだろう。だが必ずしも魔力と気配が直結しているわけではない。莫大な魔力を貯蔵しておきながら、その使い方を知らず、ただの人間として生きている者もいるということだ。……とはいえ、隠蔽術式は多重にかけられている上に、魔力封じの霊薬を飲んでいる。普通の手段では探し当てることなど不可能だ」
「魔力封じの霊薬だと?」
「国家機密の秘薬だ。魔人を強制的に弱体化させる目的で作り出された代物。人間が服用すれば一時的ではあるが、自身の魔力を大幅に下げることができる」
「……そんなものがあるのか」
「そんなことよりも、だ」
隊服の男性はそこでお兄ちゃんに向き直ると、強い意志のこもった言葉を発していく。
「ここまで情報を開示した上に、その娘を救った俺には、貸しを返してもらう権利があると思っているのだが、どう思う?」
「……。はあ……。何が望みだ?」
「お、お兄ちゃん!」
「いいんだ、妃愛。こいつの言っていることは正しい。国家機密の情報に魔力持ちの存在。そして妃愛を助けてもらった借りもある。こういうのは早めに返してしまったほうがいい」
「で、でも……」
この隊服の男性は確かに私を助けてくれた。
でも、敵なのだ。
同じ帝人であり、白包を欲しっている以上、いつか私の命を狙いにくるかもしれない存在。
そんな人に協力するなんて、あまりにも危険すぎる。
私の直感はそう告げていたのだが、今考えればそれはお兄ちゃんもわかっていたのだろう。しかしだからこそ、そういう貸し借りは早めに清算させておきたいというのがお兄ちゃんの考えらしい。
「で、俺は何をすればいい? 言っておくがないようによっては問答無用で却下するからな」
「簡単なことだ。先ほどお前が吹き飛ばした魔人、やつを倒す手助けをしてほしい」
「手助け?」
「やつは超位魔人といって魔人の中でも斎場に位置する力を持っている。それこそ唯一のイレギュラーである純然たる魔人にさえ匹敵する力を持っているとさえ言われているほどだ。それを犠牲なくかつ確実に掃討する、これが俺の任務だ」
「その任務を遂行するためなら借りれる手は借りれるだけ借りるってわけか」
「そうだ。それに、いくら人払いの結界が貼ってあるとはいえ、ここは普通の学校だ。見えていない、近づかないだけで普通の生徒もまだたくさん残っている。できることなら戦場を変えたいところだが、やつの狙いがこの学校にある以上、それも難しいだろう。だからこそ犠牲を出さないための人手が必要なのだ」
「人手、ねえ……」
「何か問題でも?」
この時。
私もお兄ちゃんと同じ考えに至っていた。だからこそ次に飛び出す言葉が予想できてしまう。
この男性は魔防隊と呼ばれる組織のいわばトップと呼べる存在だ。
であれば、そんな人の下にはたくさんの部下がいるはず。
魔人は皇獣と違って世界各地で存在が確認されている。皇獣のように神器しか対抗手段がないわけではなく、対魔人に特化した兵器が開発されている今、魔人と戦える人間の数は増えてきていると言ってもいい。
であれば、ここで無理してお兄ちゃんや私の手を借りる必要はない、と考えるのが自然だ。
だが、それはすぐに否定されてしまう。
「人手ならお前の部下がいるだろう? いくら相手が強力な魔人であってもそれを頼れないお前じゃないはずだ」
「……それは不可能だ」
「どうして?」
「通常の魔人はともかく超位魔人は純然たる魔人と同等レベルの強さを持っていると言ったはずだ。であれば、その強さは五皇柱に匹敵すると言っても過言ではない。いくら魔人に対する兵器を持っていたとしても、この状況であれば部下を使う方が犠牲を出してしまう。純然たる魔人の強さをよく知っているお前なら、この理屈はわかると思うが?」
「……なるほどな。それは一理ある。だがもう一つ」
「まだ何かあるのか?」
「その魔人が標的にしている魔力持ちの人間。それは今、どこにいる? この学校にはいないようだが?」
「ほう。さすがだな、会話の途中で魔力の痕跡をたどっていたのか」
「タネが明かされた以上、それを割り出すのは簡単だ。だが、今はそれらしき反応が感じられない。その理由を聞かせろ」
「簡単なことだ。すでにこの学校から逃がしてある。安全も保障しよう」
「そうか。……だったら、仕方ねえな」
お兄ちゃんはそう言うと、大きく息を吐き出しながら今度は私に向き直ってきた。
そして私の頭を撫でながらこう告げてくる。
「妃愛。疲れてるとこ悪いけど、姫にはこの学校に残っている生徒の避難を頼みたい。俺とこいつはあの魔人をどうにかする。この学校にはあいつ以外の魔人はもういないからそれは安心していい。頼めるか?」
「う、うん。わかったよ、お兄ちゃん。でもお兄ちゃんも気をつけてね。さっき戦った感じ、かなり強いから……」
「ああ、わかってる。油断はしない。そして――」
その言葉と同時に。
お兄ちゃんの視線が遠くへ向けられる。
その先には何食わぬ顔で戻ってきた金髪の魔人が立っていた。
しかしお兄ちゃんの目には闘志が宿っていた。
そしてその瞳が一際赤く輝いたその瞬間。
「絶対に勝つ!」
第二ラウンドの幕が開けるのである。
次回は8月22日21時に更新します。
ありがたいことに1000万PVまで残り約50万PVとなりました。
つきましては1000万PVを突破した暁にはちょっとした幕間を投稿しようと考えています。
また「第百十八話 顕現準備」の伏字を一部を除いてほぼ全て解放する予定です。(一週間限定)
お楽しみいただけますと幸いです。
※8月23日追記
諸事情により22日の更新はお休みいたします。
次回更新は8月29日21時になります。
※8月29日追記
諸事情により本日の更新はお休みします。
次回更新は5日までの間でできればと思います。




