第百十七話 再会と提案
「不法侵入だと声を荒げないのか?」
「今更だろうが。お前に常識が通用するなんて思ってねえよ。特殊な能力に目覚めたやつはいつだってそうだ。世界の軛から解き放たれて、ルールのない無法地帯へと踏み込んでしまう。そんなやつに小さな島国の法律を守れっていう方が無理だ」
「……。無断で敷地に踏み入ったことは詫びよう。すまなかった」
「……謝るくらいなら、その物騒な殺気を引っ込めてくれたほうが助かるんだが」
そう言った俺の視線が目の前に立つ茶髪の男に向けられる。その視線には部屋の壁がミシミシと音を立てるほどの威圧が含まれていた。
しかしその男は物怖じした様子を見せず、ゆっくりと俺の前に置かれていた椅子に腰掛けていった。
それはまるで自分がそこに座ることを「予見」していたかのように。
だがそれは俺も同じだ。
俺が視た未来予知は、この男が今日妃愛の家にやってきて椅子に座る、というものだ。
しかし、視えた光景はそこまで。
これから俺とこの男がどのような会話をして、どのような結末を迎えるのか、それはわからない。
だというのに。
今の俺は妙に落ち着いていた。
「……殺気を身にまとうことが当然だとでも言いたげだな」
「それが俺の仕事だ。この対戦に関わらず、俺が今の職に就いたその瞬間から、誰かを殺すことも誰かに殺されることも覚悟している」
「……お前の手は血に濡れていると?」
「それはお前の想像に任せる。というより時間の無駄だ。お前にそこまで話す義理はない」
「それは道理だな。……だが、この家が戦場になるって言うなら、話は別だぞ」
睨み合い。
舌戦から相手の情報をどれだけ読み取れるか。
そんな精神的な問答繰り返す。
とはいえ、いつまでもそうしていては埒があかない。
俺はそこで大きく息を吐き出すと、警戒を緩めることなく話を進めることにした。
「……で、どうして軍服なんて物騒なものを着たお前がここにいるんだ?」
「正確に言えば軍服ではなく隊服だ。この国は軍を持っていない」
「そんなことはどうでもいいんだよ。俺が聞きたいのは、今時腰に西洋剣を刺して重厚な隊服を羽織っている男が、女子中学生の住宅に入り込んでるこの状況についてだ」
「……それは大方予想がついているのではないか?」
「俺が語った予想とお前が語った真実は情報の重みが違う」
「俺が虚言を吐く可能性は?」
「無視だ。それを虚言かどうか判断するのはお前ではなく俺だからだ」
「……存外、キレるようだな。お前は」
その男の服装は、かなり変わっていた。
いや、ミストやマルクを見た後に見れば、それは普通と称されてもおかしくないのかもしれないが、少なくとも感性は一般的と言える俺から見れば、それはあまりにも不思議な格好だったのだ。
腕を通さず肩に羽織っている重そうな白い隊服。
中に着ている黒いシャツには、シャツ越しでも十分にわかるほど隆起した筋肉が浮かんでいる。
そして極めつけは――。
……あの西洋剣。
俺はあの剣を知っている。
あの絶対的な威圧感を、知っている。
まさかここであの剣が出てくるとはな。
そんなことを考えていた俺だったが、その俺に対して男は何かを諦めたように自らの正体を話し始めた。
「独立魔人討伐機関、魔人防衛隊少佐。コードネーム・キル。それが俺の名前だ」
「……コードネーム?」
「独立魔人討伐機関というのは、自衛隊とは別に国が運営している組織だ。そこに所属しているものたちには、コードネームという別称が与えられる。先ほど俺はこの国には軍がないと言った。それは間違いではない。だが、唯一軍と称することができなくない部隊が存在する。それが魔人防衛隊だ」
「その名前から察するに、魔人の脅威から国と国民を守る部隊ってところか?」
「その通りだ。皇獣はともかく、魔人の存在は国家幹部の中では有名部類に入る。人間ではなく、通常兵器では殺害できず、強力な個体になれば一個体だけで国を壊滅させることができる存在。それを危ぶまないものはいない。その結果、この国で生まれたのが魔人防衛隊だ」
「……」
俺はその話を聞いた時、とあることを思い出していた。
確か、ミストやマルクの師匠は魔人討伐の専門家に襲われたって言ってたな。その結果、どう頑張っても救うことができないと判断し、ミストがその身体を喰った。
……そう考えると、この国に限らず同様の専門家集団が世界中に存在しているのか。
普通の魔人はミストのように捕食衝動を抑えることができない。となると、その動きは当然と言えば当然だが……。
「自衛隊と違い、俺たちは魔人に関すること、もしくはそれと同等の脅威が発生した場合のみ、自発的に殲滅活動を行うことが許されている。無論、国家戦力の一部となってしまうが、それは世界中の国々が了承していることだ」
「なら科学兵器が多用される戦場であってもお前たちはそこに赴くのか」
「矢面に立つことは禁止されているが、秘密裏に動くことはある。要は、一般人に周知されなければ問題ない」
「……なるほど、な。それで納得がいったぜ。どうしてお前が俺の前に現れたのか、どうして俺に『声をかけて』きたのか」
「……」
俺がこの世界に来て間もない頃。
俺はこのキルという男と会っている。
后咲が飛ばしてきた使い魔と消しとばした直後、かなり離れたところから俺を見ていた茶髪の男。サファイアのような青い瞳を持つ特徴的な容姿。
その邂逅でこの男は俺にこう言ってきた。
『あの四体の皇獣を殺したのはお前か?』
その言葉の意味が今までわからなかった。
だが今の話と照らし合わせると、キルは魔人防衛隊の仕事で皇獣を追っていたのだろう。
そしてその反応が突如として消失した。加えてその皇獣を討伐したのが得体のしれない金髪の男だったとくれば、確かに接触を試みる気持ちもわからなくない。
だがここで疑問点が一つ俺の頭の中に浮かび上がってきた。
「あの時の会話を考えるとお前たちは魔人だけでなく皇獣すら討伐対象として追っている。だが、皇獣は通常の武器では殺害できないはずだ。それをお前たちはどうやって討伐しようとしていた?」
「……皇獣を殺害できるのは帝人が召喚した神器のみ。それは俺も理解している。だが、皇獣の脅威を見ず知らずの帝人に任せられるほど甘い状況ではない。であれば簡単だ」
「……部隊の誰かが帝人になってしまえばいいと?」
「やはり知っていたか」
「当たり前だ。その剣を持っている以上、お前が帝人だということは確定している。そもそも隠すつもりすらなかっただろうが」
「……その通りだ。そしてそれをお互い理解した上で、俺は俺の話を進めさせてもらおう」
「言っておくが、今までの会話はただの事実確認だ。その事実を俺がどう受け止め、どう判断するか、それはわからないはずだが?」
「わかっている。だが、俺もできるだけことを大きくしたくない。俺たちは皇獣でも魔人でもなく人間だ。他のどんな種族よりも冷静な会話ができると思っている。違うか?」
「……」
「肯定と受け取ろう。では本題だ」
そう言葉を切ったキルは、羽織っていた隊服の内ポケットから数十枚ほど写真の束を取り出した。そしてそれをテーブルの上に広げてこう話を続けてくる。
「これらの写真が何かわかるか?」
「……これは」
そこに写っていたのは俺や妃愛、ミストや麗奈、そして今まで戦ってきた五皇柱たちだった。そしてその中でも最も鮮明に写っていたのが。
「俺たちが五皇柱と戦ってきた写真。……そしてこの写真は」
「お前とフォースシンボルとの戦い。どうしてこの写真だけ鮮明に写っているかわかるか?」
「……まさか、自衛隊か?」
「その通りだ」
フォースシンボルとの戦いの最中、あまりにも激しい戦闘になってしまったせいで自衛隊がその場に駆けつける事態が発生した。
とはいえフォースシンボル相手に自衛隊がどうにかできるはずもなく、俺やミストがその場から無理やり離脱させたのだ。
だがその時、俺やミスト、そしてフォースシンボルの姿は確実に見られている。そしてその中で証拠となる写真をいくつも撮られていてもなんらおかしくない。
それどこから動画データとして記録されている可能性すらある。
となれば、ここでキルがこの写真を取り出した意図は――。
「……目立ちすぎたということか?」
「俺たち魔防隊からすれば五皇柱はすでに周知の存在だ。だが、自衛隊は違う。魔防隊と同じく国を守る部隊ではあるが、そこに五皇柱や皇獣の討伐任務は含まれない。それどこか、その情報は厳しく管理され、知ることすら絶対にできないはずなのだ。だが」
「俺たちがあまりにも派手に戦いを繰り広げたせいで隠しきれなくなった」
「幸いにもお前たちがすぐさま隠蔽術式を張ったがゆえに、国民に知れ渡るほどの大ごとにはならなかったが、それでもフォースシンボルについては自衛隊の中でも問題になっている。これ以上、大きな戦いが起きてしまえばそれこそ自衛隊や国民に被害が出てしまう恐れがあるのだ」
「……お前が言いたいのは俺たちに戦線を離脱しろ、そういうことか?」
「俺も帝人だ。帝人が何を求めて戦っているのか、それは理解している。だが、それと同時に俺は国の守護者としての仕事も果たさなければいけない。俺がお前にそう訴えることは間違っているか?」
「……」
間違ってはいない。
むしろ正論だ。
元の世界でも俺の無茶が通っていたのは、シェリーやエリアと言った世界の権力をある程度コントロールできる存在がそばにいたからだ。いくら強力な力があろうと、その世界のルールに守られながら生きようとすれば、ある程度ルールに縛られる必要も出てくる。
加えて、今、目の前にいるのは国の重鎮と言っても過言ではない人物だ。少なくとも一般人であれば人生の中で出会うことすらないだろう。
そんなやつに正論をぶつけられては勝ち目などあるはずがない。
ない、のだが。
だからといって、はい、そうですかと引きさがれるわけがない。
「……間違ってないさ。だが、現実を見てみろ」
「どういう意味だ?」
「お前たちが五皇柱をどうにかできるならどうして俺たちが倒すよりも先に討伐しなかった? どうして普通の女子中学生が皇獣に襲われる前にその皇獣を討伐しなかった?」
「……」
「そして今、残っているのはラストシンボルと黒包本体。これから起きる戦いは今までの比じゃないはずだ。そんな連中相手にお前一人で戦うのはあまりにも無茶だ。それこそお前が危惧している被害が大きくなる一方だぞ」
「……それは、その通りだろうな。俺も自分の実力にはある程度自信はあるが、それだけでやつらを倒せるとは思っていない。だからこそ、俺はお前にこう提案する」
キルはそのまま俺をじっと見つめ、どこまでもストレートにこう告げてきた。
「ハク。俺たちの部隊に入る気はないか?」
「……なに?」
「事実だけ伝えれば、お前の功績は凄まじいものだ。五体いる五皇柱のうち四隊を討伐し、その叩き全てに勝利している。とはいえ、問題もある」
「問題だと?」
「今のお前には戸籍がない。何やら情報が改ざんされたような跡はあったが、それも最低限に止まっている。だというのに、今のお前はこの国で生活することができているのだ。つまり、お前はこの場に存在しているだけで、不法入国者になっているだけでなく、この国の法律まで犯しているのだ」
「数分前に不法侵入してきたやつがよく言うぜ」
「それを言われると耳が痛いが、それが仕事である以上、今は俺よりもお前の方が問題だ。聡明なお前なら俺の言っていることがわからないはずがない」
「褒めてるのか貶してるのかどっちなんだよ、お前は。……で、結局何が言いたい? 今の話だとそんな不法入国者を勧誘しているお前は正気とは思えないぜ?」
「だから全て俺がもみ消すと言っている。お前がこの国で生活していくために不自由になる障害をことごとく潰すことを約束しよう。お前にはそれだけの価値がある。当然、この家の家主の生活も保障しよう」
「その代わり魔人と皇獣、そして五皇柱と黒包の討伐に協力しろってことか」
「その通りだ。実を言えば、すでにいくつかはもみ消している。今までの五皇柱との戦いの情報的痕跡はこちらで全て隠蔽してあるのだ。それこそ自衛隊にすら伝わっていない。この提案はお前にとって悪くないはずだが、どうだろうか」
確かに。
話だけ聞けば魅力的な提案だろう。
その約束が守られるのであれば、妃愛はもちろん、俺も一定の生活が保障される。
そうなれば今よりももっと落ち着いて生活できるかもしれない。
加えて俺がこの世界で生きていく上で発生する問題が全て消えることになる。
以上の点を考えれば非常に魅力的な提案だろう。
だからこそ俺は答える。
自分の気持ちを。
そして覚悟を。
「俺は――」
次回は7月18日21時に更新します。
※7月17日追記
諸事情により18日の更新はお休みいたします。
次回更新は7月25日21時になります。




