第百十四話 二度目の捕食
決着はついた。
俺のホワイトワールドはマルクの渾身の一撃を真正面から吹き飛ばし、戦いに終止符を打った。
しかし。
この戦いの結末は非常に苦しいものとなってしまう。
「……」
「……み、見事、と、言うほか、ない、な」
「…………」
「お前の、勝ちだ……。存分に、喜べ……。が、ははは、はは……」
「……素直に喜べるわけねえだろ。こんな、結末――」
「……それでも、お前は、俺に、勝った。勝者は、勝者らしく、胸、を、はれ……」
そう言われても、俺の表情は曇ったままだった。
両手にかかる力はどんどん強くなっていき、心の奥から悔しさのような感情が溢れ出てくる。
でも、その感情は間違いだ。
戦っている時、こうなることは予想できていた。それを知ってなお、俺とマルクは戦った。
そして俺は、それでもホワイトワールドを使った。
勝つとわかっていて。
マルクが負けるとわかっていて。
俺は勝つことを求めたのだ。
「とはいえ」
「……」
「うまく、いかない、ものだな……。何年も、何年も、努力、を、重ね、入念に、計画して……。それでも、失敗する。とんだ道化だ」
マルクの体はその半分以上が吹き飛んでいた。
残っているのは上半身だけ。加えて左目は完全に潰れている。
だがどういうわけか出血はしていなかった。傷口の断面にすら血は残っていない。
しかし。
すでにマルクの瞳には光が宿っていなかった。
虚ろな目をしたマルクの視線はどこに向けられているのか判別できない。
「……結局お前は魔人を救いたかったのか? ミストを狙い、その神宝を使用して魔人全員を行動不能にして、その上で被害を出さずに対戦に勝利する。そして最後は――」
「魔人、を、人間へ、と戻す。……それが、俺の、目的、だった。それが、贖罪であり、為すべきことだと、思って、いたのだ」
「……そんなことをしても魔人は救われない。魔人によって苦しむ人間はいなくなる。でも魔人たちはそうじゃないはずだ。お前がどんな過去を背負ってこの場にいたのか知らない。……それでも、他人の人生を勝手に歪めていいはずないだろうが」
「……ふっ。そうだな、そうだった……。だが、それを、知って、も、なお、俺は、止まれなかった。目の前で、師匠、を、喰わなければ、いけなかった、ミスト様、の、気持ちを、考えると、な」
ようやく。
マルクの本心が見えた気がした。
しかしその願いは叶わない。他でもない俺がそれを潰した。
後悔はない。
でも、もっと他の結末があったのではないかと、そう思ってしまう。
するとそんな俺とマルクにミストが近寄ってきた。
ミストの顔には今まで見たことがない表情が浮かんでおり、少しだけ肩が震えている。
俺はミストにその場を明け渡すように一歩下がり、目を伏せていった。
「……あなたは昔からそうでしたね」
「ミスト、様……」
「自分の思うことにはとことん真っ直ぐで、そのための努力は惜しまない。その姿に私もおじさまも惹かれていました」
「……」
「だからこそ、あなたが本気で私を殺そうとするなら、それは甘んじて受けようと思っていたのです。……あなたにはその資格があって、私はそれだけのことをしたのですから」
「そ、それは……!」
「それは違うと言いたいのでしょう? ですが私がおじさまを喰べたのは事実です。その中にどれだけの事情があろうとも結果は変わりません。……だからもし、間違いがあったとすれば、やはり私があなたから逃げたことでしょう」
「……」
ミストの視線が上がる。
空を見つめて何かを思い出すように。
そして、何かに立ち向かうように話を続けていく。
「私がおじさまを喰べた直後、あなたから逃げてしまいました。もしあの時、あなたと私がしっかりと向き合い、ともに生きることができていたら、未来は違ったかもしれないのです」
「……で、ですが、それでも俺は、あなた、を救いたかった。あなたの、ため、だけに、生きて、いたかった。そう、思った、と思います……」
「……やっぱり、あなたは優しすぎますね。私を好いても、愛しても、いいことなど一つもないというのに」
その言葉が発せられた瞬間、マルクは悔しそうな表情を浮かべていた。
今の会話の中でどのような感情のやりとりが行われたのか、それはわからない。だが、マルクの思いが打ち砕かれたのは俺にも理解できた。
だが。
「……でも」
「……?」
「……でも、嬉しかったのです。本当に、本当に嬉しかった。魔人として生まれた私が誰かに必要とされる日がくるなんて思ってもいなかったから。……本当に嬉しかった」
「……ミスト様」
涙が溢れていた。
ミストの顔に大粒の涙が。
この場にいる誰もが知っていた。
マルクには時間がないということを。
俺がひとたび力を使えばマルクの傷を癒せるかもしれない。
でも、ダメだ。
それはほぼ間違いなく失敗する。
ホワイトワールドを使ったからだとか、気配殺しによる攻撃だからだとか、そんな理由で癒せないのではない。
マルクはこの戦いに全てを出し切ったのだ。
その上で敗北した。
そんな男がそれでもまだ生きたいと思うだろうか?
麗奈の時と同じだ。
傷を治せる力があっても本人がそれを望まなければ、それは叶わない。
今のマルクもいわばそんな状態だった。
だからミストは涙をこらえきれなかった。
何度も命を狙われ、逆に何度も命に手をかけてきたミストが。唯一心を許せた相手。
それはもしかしたらマルクだったのかもしれない。
俺にはそう思えた。
「あなたとおじさまと私。三人で過ごした時間は夢のように幸せでした。もしあの頃に戻れるなら心のそこから戻りたいと思うでしょう」
「……そ、それは、僕も、同じ、です。僕の、人生、の、中で、あの時間、が、一番、幸せでした」
ここでミストはマルクの顔に手を当ててその頬を撫でていった。
だがマルクの目に光は戻らない。
その焦点はどこか虚空に向けられている。
でも。
必死に、必死にミストを見ようとしていることは伝わってきた。
そして告げられる。
運命の言葉が。
「……ミスト様。ぼ、僕を、喰べて、ください」
「……」
「……それが、僕に、とっての、贖罪であり、願い、です」
誰も、誰であっても、何も言えなかった。
無論、死に行く運命にある人間であっても、その体を喰らっていいわけがない。
だが。
今は。
この二人に限って言えば。
誰も文句は言えなかった。
俺も妃愛も。
今回ばかりは目を背け、そのまま伏せておくことしかできなかった。
そして。
その時は訪れる。
「…………。それが、あなたの望みなら」
「くっ……」
その言葉に思わず声を漏らしてしまった俺は、魔力を吸われて地面に寝ている妃愛の下へ移動する。瞬時に事象の生成を使って魔力を回復させ、その体を抱きかかえるように起こしていった。
「……お兄ちゃん」
「……何も言うな」
そう言って俺は妃愛を抱きかかえたまま、その視線を体ごと逸らしていった。気配を感じ取ることができる俺にとって、その行動はあまり意味がない。無論、妃愛にとってみればマルクの最期を目にしなくて済むため効果はあるのだが、俺にとっては無意味と言う他なかった。
ミストが口を開ける。
マルクが全てを差し出し全てを受け入れる。
ミストの口から何かを砕くような音と咀嚼するような音が響く。
マルクの気配がどんどん小さくなっていく。
その全てが俺には全て伝わってきていた。
そして。
そして。
…………。
……消えた。
完全にマルクの気配が消えた。
だが同時に。
何かが落ちる音がした。
「お兄ちゃん……。ミストさんが……」
「わかってる」
地面を濡らすそれ。
それはいくつもいくつもシミを作り、やがて消えていく。
この時。
ミストがどのような思いでマルクを喰べたのか。
それはわからない。
わかろうともしないし、考えることすらしない。
だが。
今はそれでいいのだと思った。
初めてミストに出会った時。
殺意の塊のような存在だと俺は思った。
でも。
そんな残虐性の裏には魔人ではなく人間の心がしっかりと残っていた。
それを隠しながらミストは戦ってきたのだ。
無論、ミストが人間を嫌い、その命を奪った事実は、たくさんあるだろう。
だが、もしそれが。
何か明確な目的からきているものだとすれば?
そうでなければ。
今、ミストは。
泣いてなどいないはずだ。
静寂が降りる。
そしてその静寂を誰も破れない。
結果的にこの戦いは俺と妃愛の勝利で幕を閉じた。
しかしマルクが残した爪痕は大きい。
魔人を救うために魔人を嫌い、生きることすら最後には捨ててしまった一人の王。
それは決して雄弁には語られなかった。
俺や妃愛はおろか、ミストにだってその思いの全容はわからない。
ただそれでも。
マルクは。
マルクの最期は。
どこか幸せそうだった。
そんな気がしたのだ。
「っ!」
「……どうしましたか?」
「……一人、亡くなりました」
「……ということは、あの国王が?」
「はい。これで残っている帝人は残り四人。対して残っている五皇柱は一体。第五の柱のみ。……順調と言えば順調ですが」
「それに反して黒包の覚醒スピードが思っていたよりも早い。ですよね?」
場所は変わって再び神宿図書館。
額に汗をかきながら苦しそうな表情を浮かべていた后咲は夢乃の言葉に頷きを返した。
そして深刻な表情を携えたままこう続けていった。
「それだけではありません。今回、厄介なことにこの戦いの存在を悟られてしまった。自衛隊が動き出した時点で、追い詰められているのは私たちです。何せ残っている帝人の一人には『彼』がいるのですから」
「ですがそれは時間の問題だったと以前、結論づけたはずではなかったですか? 真話対戦はそもそも人間社会の規模で収まる戦いではありません。神妃の力を使用している以上、地球や宇宙という枠組みすら小さいもの。本来であればこの『想界』全てを揺るがす戦いのはずです。それをこの小さな島国の中で行なっている以上、遅かれ早かれ気づかれるのは至極当然のこと。そう思い至ったはず」
「……その通りです。ですが厄介であることに代わりはありません。無論、策は巡らせていますが、帝人の方々が動きづらくなるのは免れないでしょう。そしてその影響は私たちにも」
「……それが『見てきた未来』ですか?」
瞬間。
場の空気が変わった。
物理的にも精神的にも、温度が急激に落ちる。
そしてその一瞬。
后咲の体にまたしてもノイズのようなものが走り、何かが『光った』。
后咲という人物をよく知らない人間がこの場にいたのなら。
今の一瞬で気を失っていただろう。
それだけの殺気がこの部屋を支配していた。
しかし相手は后咲のことを知り尽くした夢乃だ。
上下関係はあれど、今の二人にそんなしがらみを気にしている余裕などない。
つまりそれだけ自体は緊迫していたのだ。
「……夢乃。少しは慎みなさい。いくらあなたとはいえ、言っていいことと悪いことぐらいあるのですよ」
「……肯首します。それをわかった上で口にしているのです。何せ、それでもあなたは『負け続けて』いる。絶対的な力の前にあなたは何度も敗北しているのです。それを知っているからこそ、あえて聞きます。……いえ、聞かないといけない!」
そう叫んだ夢乃の方は震えていた。
そしてその瞳は少しだけ潤んでいる。
「……私はあなたに『作られた存在』です。でも、だからこそ私はあなたと一緒にいたい。だから私はこの対戦に全力を注いでいます。ですが、それなのに、あなたは!」
「…………」
そこで言葉は切れた。
そして次に出てきた言葉は――。
「……あなたはマルク国王を責めることはできない」
「責めるつもりなんてありませんよ。むしろ似ているとさえ思っていますから」
「あなたが『何を見てきた』のか、それはわかりません。ですが、私は諦めません。今回の対戦を私は絶対に成功させる。何があっても!」
「……」
そう言って夢乃は部屋を出ていってしまった。
その姿を最後まで見ていた后咲は大きく息を吐き出して、こんなことを呟いていた。
「……やはり『小さい時の私』にそっくりですね。それだけ丁寧な言葉と作法で取り繕っても、心の根幹は変わらない。でも、だから私はあなたを信じています。私が失ったものをあなたは持っているから」
そして。
その言葉が紡がれた直後。
后咲の体は完全にノイズに包まれてしまう。
そのノイズが晴れた時、その場にいたのは――。
次回は6月20日21時に更新します。




