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第百十二話 力不足

 力不足を痛感せざるを得なかった。

 鍛錬しなかったわけではない。それは自分が一番わかっている。

 女子中学生にしてはあまりにも過酷なトレーニングをここ最近続けてきた。それによって人間の気配ならば読むこともできるようになり、戦闘力も大幅に上昇した。


 だが。

 それでは足りなかった。

 実戦というのはそう甘いものではなかったのだ。

 その場に渦巻く濃密な殺気。

 それは体の動きを悪くさせ、感覚すら数段鈍くしてしまう。

 そんな中、命のやり取りを行い、勝利しなければいけないのだ。その事実を頭で理解していても、体はついてこない。

 そう、それは誰だってわかる現実だ。


 だからこそ、それを理解した上で私はここに立っている。

 だというのに。


「っ……」


 入り込むことができなかった。

 ハイランカーと化したマルク国王とお兄ちゃんの戦いに。

 それどころか私はお兄ちゃんに言われていた仕事さえもこなすことができなかったのだ。


 私の隣には大粒の汗を流して苦しんでいるミストさんがいる。辛うじて意識はあるようだが、今にも消えてしまいそうなほど気配が衰弱していた。


 本当なら。

 ミストさんがこうならないようにするために私がいるはずだった。

 マルク国王は絶対にミストさんの持つ神宝を狙ってくる、そうお兄ちゃんは言っていた。それは私もわかっていたし、警戒していた。

 でも、届かなかった。

 ミストさんを守れるほどの力は私にはなかったのだ。


 思い上がっていたわけではない。でもそれなりに自信があった。

 私一人ではとても守りきれるものじゃない。だけどお兄ちゃんもいて、私もいて、保護するのはミストさん。そう簡単に奪われるものではないと、心のどこかで思っていたのだ。

 だが、その油断こそがこの状況を招いてしまった。


 月見里さんやサードシンボルと戦った時とは違う意味で私の足は地面に崩れてしまう。

 悔しい。

 悔しい、悔しい、悔しい!

 何もできない自分が本当に腹立たしい!


 聞けば月見里さんのお母さんを圧倒していた時の私は、お兄ちゃんですら驚愕するほど強かったらしい。

 あの時の私は我を失って人としての理性すらかなぐり捨てて攻撃していた。だからあれが正しいとは思っていない。人を人と思っていないような状態には二度となりたくないと我ながら思っている。

 だけど今はあの時の強さが欲しいと思ってしまった。

 いくら鍛錬を積んでも私にあの時の力は現れなかった。力は望んで手に入れられるものではないとわかっていても、それでも欲しいと思ってしまう現状が目の前にはあったのだ。


 そう考えた時、自らの手に鈍い痛みが走っていることに気がついた。

 どうやら知らないうちに力が入りすぎていたらしく、自分の爪が手に食い込んでいたようだ。手を見ると血は出ていないようだが、食い込んだ爪の跡がくっきりと残されている。

 その痛みによって思考の奥底から現実へ引き戻された私は改めて状況を観察し始めた。


(……ミストさんは戦闘不能。どこか安全な場所に移そうにもマルク国王がこの場にいる以上下手には動けない。それに今、最も注意しないといけないのはお兄ちゃんの気を逸らしてしまうこと。……そんな状況で私にできることがあるとすれば)


 そう冷静に考えてもやはり心の中にある悔しさは消えなかった。でも今はその悔しさを忘れなければいけない。

 そんなことを私は考えていたのだが、隣に倒れ伏していたミストさんが徐に小さな声で何かを呟いてきた。


「……こ、この、ままでは、ま、マルク、が」


「だ、ダメです、喋っちゃ! 今は自分の体を優先してください!」


「か、鏡さん……。お、お願い、です……。わ、私に、血、を……」


「血……?」


 あまりにも小さな声だったので最初は聞き間違えかと思ったのだが、ミストさんの目は本気だった。何かを求め、何かを欲し、何かを達成させようとする目。それは奇しくもお兄ちゃんが戦う時に見せる目にとても似ていた。

 とはいえ。

 まだ私にはミストさんがどうしたいのか、わかっていなかった。

 私はそのまま倒れているミストさんの口元に自分の耳を持っていき、話の続きを聞き出していく。


「……血、を、くだ、さい。人間、の、血があれば……。魔人の、私は、少し、回復、できる、ので……。そう、しないと、、マルク、が……」


「え、えっと、それは一体どうすれば……」


 ミストさんが欲しているもの、それは私の血。

 確かに魔人は人間を捕食し、養分として生きている。皇獣の性質を引き継いでいる関係上、それは事実なのだろう。

 だからと言って私の血を分けようにも手段がない。

 そもそもどれだけの血液が必要なのかもわからない以上、今の私のその答えを出すことはできなかった。

 それに――。


(血ってそう簡単に出せるものじゃないよね!? っていうか絶対に痛いよね!? で、でも、ミストさんを助けるためには私の血が……)


 いくら鍛錬を積んでも心はか弱い女子中学生だ。

 ……自分でか弱いなんて言ってしまうのはかなり恥ずかしいが、それでも精神年齢はまだ若いつもりでいる。

 そんな私に自分で自分を傷つけるような行為は不可能と言う他ない。

 とはいえ背に腹はかえられないのも事実だ。

 ということで、結局私がたどり着いた手段が――。


「…………。…………えい!」


 そんな小さな掛け声が合図となり私の左人差し指から少量の血が流れ出てくる。

 私が行ったのは、魔力を集めて作り出した爪楊枝のような針を人差し指に突き刺すというものだった。

 しっかり痛みを伴って突き刺さったその針は私の毛細血管を突き破り、内部から赤い血液を流すことに成功したのだ。


(悔しいとか、情けないとか思ってたくせいに、こんな小さな痛みだけで涙目になっちゃってるよ……。い、いやいや! それとこれとは話が違って……)


「は、早く、お願い、しま、す……」


「え、えっと、……はい!」


 ミストさんの声によって我に返った私はすぐさま血が出ている人差し指をミストさんの口元に近づけていった。さすがに浴びるほど飲める量は出ていないものの、少し待てば数滴は飲めるのではないかと思って安心していたのだが……。


「……で、では、失礼して」


「え!? ちょ、ちょっと待って!? ま、まさかそのまま咥えて……。ひゃっ!」


 あろうことかミストさんは私の指をそのまま口に咥え、舌を使って舐め回し始めた。その感覚は非常に気持ちの悪いもので、思わず引っこ抜きそうになってしまうが、そこはなんとか自制して我慢する。


(……っ。な、なんでこんなことになってるの!? と、というかこれって妙に変な光景が出来上がってるんじゃ……)


 などと思ってその時。


「……へ?」


 急に体が重くなった気がした。

 いや、気のせいではない。

 体全体にとてつもない倦怠感が襲ってきたのだ。

 だがそんな私とは反対に、ミストさんは顔色がどんどんよくなり、傷も徐々に消え始めていた。


(ど、どういうこと……? わ、私の血を吸ってるからってそんなに回復するものなの……? と、というか、も、もう限界……)


 何が起きているかわからないまま血を吸われていた私はそのまま意識を手放しそうになってしまう。あまりにも強い倦怠感は私の中にある何かが急激に減っていることを示していた。

 そして案の定。


「ぁ…………」


 体の自由がきかなくなった。

 もっと言えば体を起こしておくことができなくなったのだ。

 重力に任せるまま倒れてしまう私だったが、すでに手足の感覚すら消えている以上、どうすることもできなかった。

 が、しかし。


「え……?」


「すみません、なんとか間に合いましたね」


 そんな私を受け止めたのは今の今まで私の血を吸っていたミストさんだった。

 見れば、そこに立っているミストさんは先ほどとは違って、私の知っているミストさんに戻っていた。

 ミストさんは倒れそうになっていた私を優しく受け止めると、そのまま地面へと寝かしこんなことを呟いてきた。


「血を吸うと言っても物理的な捕食では回復することなどできません。ですから今は鏡さんの血を媒介に、その魔力を吸わせていただきました」


「ま、魔力……?」


「はい。神器を持っていないとはいえ、あなたは帝人。それ相応の魔力を持っていると踏んだのです。……ですが、想像以上でした」


「え?」


 ミストさんはそこで一度言葉を切ると自身の舌を唇に這わせながら、少しだけ顔を赤らめてこう続けてくる。


「あなたの魔力保有量は一級品です。まさかこの私をここまで回復させるとは。とても嬉しい誤算でした」


 そ、そういうことなんだ……。

 だから力が抜けて……。


 そう説明されてある程度納得した私だったが、この状況で動けなくなってしまうというのはかなりまずいと考えていた。なにせ、いくら私の魔力を吸ったとはいえミストさんは全快状態とは言い難いはず。そんな中、お兄ちゃんとマルク国王の戦いは激化していく一方。

 こうなると、もしまたミストさんが狙われた時に、助けられる人がいなくなってしまう。私程度の力でミストさんを守ることができるとは思っていないが、そんな事実とは裏腹に焦燥感が心の中からこみ上げてきていた。

 しかしミストさんはそんな私に向かってこんなことを言ってくる。


「……あなたは優しいですから、自分が動けなくなった今、誰が私を守るのか、と思っているのでしょうね。でも、心配いりませんよ。おそらくマルクはもう私を襲ってくることはありませんから」


「そ、それは、どういう……」


「彼の目的は私の持っていた神宝でした。それを手に入れている以上、私を攻撃する理由はないのです」


「で、でも、マルク国王は魔人を殺すって……」


「……それはただの方便だったようです。私も先ほどようやく気づいたので偉そうなことは言えませんが」


「方便?」


「あなたにはわからないと思います。……これは私とマルク、そして私たちの師匠に関わる問題ですから」


 そう言い切った次の瞬間。

 ミストさんの瞳の光が鋭さを増した。しかしそれは決して殺気からくるものではなく、何かを成し遂げようとしている確かな決意の光だった。


(……あの目。さっきと同じだ。ミストさんは完全に復活したわけじゃない。でも妙な覇気がある。……何かが動く、そんな気がする)


 ふと。

 私の目は戦いを繰り広げているお兄ちゃんへ吸い寄せられた。

 普段よりも強い光を放つ真っ赤な瞳を開き、金色の髪を揺らしながら戦うお兄ちゃん。

 その顔に笑顔はなかった。

 むしろ何かに苦しんでいるような、そんな表情。

 でも、劣勢ではない。むしろかなり押している。

 であれば、あの顔が意味しているのは――。


「…………気がついているのですね」


「え……?」


「今の私に割って入る力はない。でも『終わらせる』ことはできる。……そうですよね、おじさま」


 言っている意味が理解できなかった。

 でも本気だということは伝わった。


 だからこそ。

 やはり。

 私は自分を呪った。

 何もできない自分を。


 でもそれは無理な話だ。


 今は、まだ――。




 ほどなくして。

 この戦いは決着を迎える。


 最後に残ったのは――――。














 場所は変わり。

 神宿図書館。


 まどろみに身を任せていた后咲の目が開かれる。

 だが、それと同時に后咲の体がノイズのような何かに包まれた。


「ぐっ……!」


「大丈夫ですか?」


「え、ええ……。これはいつものことですので」


 近くにいた夢乃が心配そうに顔を覗かせるが、后咲はそれを右手で制し、呼吸を整えていった。そして徐にこんなこと呟いていく。


「……今回が最後になるでしょう」


「……というと、『彼』がやってきたからですか?」


「……ええ。今回の対戦が失敗に終われば、全てが終わります。掌中回帰も二度とやってこない。それだけ『彼』は特別なのです。……そして、私の役目もこれで」


「……それは、肯首しかねます。私はあなたのために存在する『人形』です。あなたがいなければ私は……」


「それはむしろ逆ですよ、夢乃。私はあなたに全てを託したのです。私はもう限界ですから。……それと『肯首』ではなく『首肯』ですよ。これも何度も言ってきたことですが」


「……わかっています(・・・・・・・)。ですが、これを直す気はありません。私があなたに『造られた』証のようなものですから」


「そうですか」


 そこで二人の会話は途切れた。

 その意味を理解できる者はまだいない。

 だが近い将来、真実は明かされる。


 それを知った時。

 ハクは選択を迫られることになる。


次回は6月6日21時に更新します。

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