第百十話 過去と魔人
最近はプロットの執筆が捗っております。
私はかつて一度だけ死にかけたことがある。
その頃の私は欲望が赴くままに人間を喰らい続けていた。生まれたその瞬間から魔人としての人生を命令された私にとってその行為は、生きる意味そのものだった。
だからこそ疑問にすら思わなかった。
人間を喰い殺すことを。
人間だって動物や魚、野菜の命を奪って糧にしている。そうすることでしか生きていけないから。己の命を存続させるために必要なことだから。
だからこそ、食事という残虐な殺害捕食行為は正当化されている。
ならば。
私が人間を喰らうのだって、正当化されていいはずだ。
なぜ動物や魚はよくて人間はだめなのだ。
私だってお腹が減って、空腹で、飢えて、死にそうな思いをしながら生活しているのだ。
なのに、どうして――。
私を「そんな目」で見るの?
そう思った時には、目の前に赤い血だまりができていた。
口に残っている感触は弾力のある何かと、硬質な何かを噛み砕いた、それ。
その瞬間、私は一時の幸福感を得る。空腹状態が満腹状態へと変わり、生への喜びを感じることができるのだ。
そんな。
そんな生活を続けていたある日。
私は奇妙な老人に出会った。
見た目はただの老人だ。白い髭によぼよぼの体。杖をつかなければ歩くこともできない軟弱な足。どこを見つめてるのかわからない空虚な瞳。
そんな覇気のない姿をした老人が、人間を喰っていた私の前に現れた。
だが私にはわかっていた。この老人が「魔人」だということを。
魔人には直感的にその者が魔人か魔人でないか見定める力がある。その直感によればこの老人は私とは違って後天的に魔人になったようだった。
私は魔人を喰らう趣味はない。
だからこそ、その老人の登場に興味すらわかなかった。
だがその老人が発した言葉に私は魂を抜かれるような衝撃を受けてしまった。
「お前はどうして人を喰らうのだ?」
その問いに対する答えを私は持ち合わせていなかった。
もちろん、先に言ったように人間を捕食することは私にとって生きていくために必要な行為だ。それは誰がなんと言おうと変わらない。
だが、そんなことはわかりきっていた。わかりきっていたのに、それを口にすることができなかった。
では、なぜか。
理由は簡単だ。
目の前にいるその魔人が、ひどく悲しそうに私を見つめていたからだ。
なぜ同じ魔人が私を同情する?
かつては軟弱な人間だった者が私に哀れみを向ける?
意味が理解できなかった。
そんな感情を私は知らない。
私はそんな感情を持ってはいけない。
私は、私は、私は――。
そんなことを考えていたその時。
私は自分の体が二つに別れるその光景を目撃した。
どこか他人事なのは、その光景を理解するのにたっぷりと時間を要したからだ。
そして気がついた時には私は大木に体を貼り付けられて血を流していた。上半身と下半身は別れ、止まることのない血液を流し続けている。
当然、痛みはあった。
魔人といえど痛覚はある。全身を焼かれる以上の痛みに耐えていた私だったが、それよりも考えなければいけないことがあった。
言ってしまうと。
私は無敗だった。
人間相手はもちろん、魔人討伐を専門に行う人間も、同じ魔人にだって、かすり傷一つ負わされたことがなかったのだ。
ゆえにいくら不意を突かれたからと言って、こんな瀕死になるまで追い込まれること自体おかしいと言える。
そんな思考回路と先ほどの言葉が私の頭の中を支配し、その体の自由を奪っていた。動きたくても動けない、声をあげたくても声もあげられない。
死ぬ。
そんな避けようのない未来が目の前に迫っていることを初めて自覚した。
この時の私の顔は引きつっていただろう。
何度も見た顔だ。
恐怖にまみれ、涙を流し、死にたくないと命乞いをする。
私が喰い殺してきた全員が同じ顔をしていた。
そして、今は私も――。
「……い、いや。いあぁ……! 死にたくない! 死にたくないのぉ……! どうして、どうしてどうしてどうして、私がこんな目に……!」
「それが魔人の辿る道だからだ。どんなに強大な力を持つ魔人であっても戦いに身を置き続けている以上、その最後は破滅しかない。それはお前も薄々わかっていたことであろう?」
「……いや。いやいやいやあぁ!」
「……そしてそれはワシも同じ。いずれワシもその最期を覚悟する。だが、ワシは成さなければいけないことがある。その悲願を成就させるまではまだ……」
「……ぅ。……?」
「……お前にはまだ利用価値がある。世界でたった一人、先天的な魔人として生を受けた者。『純然たる魔人』。お前の名前は?」
「……ミス、ト」
「ミスト、か。ではミスト、今日からお前はワシの弟子となる。その中でお前がこれまで行ってきた罪を見定めるのだ。そしてその重く、重く、重い罪を背負い、生きてゆけ」
「……」
そこで私の意識は途切れた。
次に目を覚ました時には、豪華なベッドに寝かされていた。
そしてそんなベッドにうつ伏せている少年が一人。真っ黒な髪を持つ少年だった。体が成長しない私から見てもまだまだ幼い少年。
そんな黒髪の少年が小さな寝息を立てて横顔をこちらに覗かせていた。
すると、そんな私の覚醒を予見していたのか、急に部屋の扉が開かれて一人の魔人が入ってきた。
「邪魔するぞ、ミストよ」
「……あなたは」
「ネルス・サータリア。お主と同じ魔人だ」
「私を殺さないの……?」
「利用価値があると言ったはずだ。それに、今のお主は人間を喰らいたくて食らっているように見えん。同じ魔人である以上、救いの手を差し伸べるのはおかしなことか?」
「……。変わってるのね、あなた」
「それはお互い様だろう。なにせ、皇獣の因子を生みつけられた魔人なのだから」
それが私と、「おじさま」の出会いだった。
おじさまは私を真に殺そうとはしなかった。むしろその言葉通り、利用価値があるといい続けながら私の生活を見てくれたのだ。
正確に言えば、おじさまは、私の捕食衝動をコントロールするための稽古をつけてくれた。それは非常に辛いものだったが、同時に非常に充実した時間だった。
そして私たちがいるその場所。
その場所の名はネビュリアルスというらしい。
緑が豊かで水にも恵まれている国だと思っていたのだが、それは私たちがいることの場所だけのようで、この国の情勢は非常に危険な状態らしかった。
聞けば私の知らない魔人がこの国で暴れたらしく、多くの一般人が死んでしまったらしい。おじさまはその窮地に駆けつけその魔人たちを倒したのだとか。その功績があって、この国で居場所を確立したらしい。以前の私であればその話を聞いたところで眉毛一つ動かさなかっただろうが、この時は少しだけ申し訳ないと思ってしまった記憶がある。
そして私のベッドに伏せていた少年。
この少年はこの国の第一王位継承者なのだとか。
目覚めていこう妙に懐かれてしまい、挙げ句の果てに。
「ミスト様……」
「なんでしょうか、マルク王子」
「あ、あの……。僕が大きくなったら、結婚してほしいのです!」
「まあ、なんて情熱的な告白なのでしょう。でも、王子。それは本当に心の底から愛することのできる人に出会った時にもう一度言ってあげてください。……少なくとも魔人である私に言うものではありませんよ」
「ぼ、僕は本気です!」
「ではもしあなたがこの国の王として自立したその時には、その告白を真剣に考えることにしましょう」
「ほ、本当ですか! 約束ですよ!」
「ええ、約束です」
そんな会話が交わされたこともあった。
対するおじさまは私に稽古をつける時以外は自身の書斎に引きこもってまったく出てくることはなかった。後で知ったことだが、おじさまはその間、魔人や皇獣に関する研究をしていたらしい。
そして、マルクが本格的に国王の座に就くために色々な勉強をしだしたころ。
おじさまも同時にマルクに稽古をつけ始めた。おじさまは魔人でありながら失われた神秘であるはずの魔術を得意としており、その真髄をマルクに教え始めたのだ。おじさまが得意としていたのは隠蔽魔術で、それを使われると私でさえ居場所が特定できないほどだった。
私としては祖父が孫と遊んでいるようで大変微笑ましかったのだが、その頃から次第におじさまの体調が変化していることに気がついた。
とある夜更けの話。
「おじさま、失礼します」
「……ミストか。どうした?」
「……私に、私にできることはありませんでしょうか!」
「……いきなりなんだ。マルクも寝ている、あまり大きな声を出すな」
「私は知っています。おじさまが魔人の捕食衝動と戦っていることを。そしてそれを抑えながら、全ての魔人を救う方法を考えていることも。……私は捕食衝動をコントロールできるようになりました。ですが、それはおじさまのおかげなのです! おじさまが私を変えてくれたのです! ……おじさまは私に利用価値があると、そう仰いました。であれば、今がその時です! 私の体を実験体にして衝動を抑え込む研究を――」
「ダメだ!」
「ッ!」
「……それでは意味がない。お主は唯一の成功例だ。そしてその成功例から思い知った。先天的な魔人と後天的な魔人では魔人としてのスペックが違いすぎると」
「で、ですがおじさまは私よりもはるかに強く……」
「強いだけだ。加えてワシはすでに一度『負けて』いる。敗北したからこそ心臓を抜き取られ、魔人とならざるを得なかった」
「おじさま……」
このときすでに私は聞かされていた。
おじさまが日本という国で開かれた真話対戦という戦いで、フォースシンボルという皇獣に心臓を奪われていること。その傷を癒すためにやむなく魔人となったこと。
でも、だからこそ。
今の私には利用価値がある。そう思った。
しかしおじさまはそれを認めなかった。まるで私に何かをすがっているかのように。
「……ミストよ。お主は本当に強くなった。今のお主なら無下に人間を殺すこともないだろう。だが、この場所以外、魔人が安心して生きていける環境はない。願わくばそれをお主に作って欲しい。それがワシがお主に求める利用価値だ」
その後。
結局私たちの大きな声で起きてしまったマルクを再び寝かせるために、この話はお開きとなってしまった。
だが今思えば、この時、何がなんでもおじさまと話をしておくべきだったと思う。
なぜならそれは――。
「……ミストよ。ワシを喰え」
「な、何を言っているのですか! ま、まだおじさまは……!」
私とマルクが留守の間。
そこは炎に包まれていた。
おじさまは魔人討伐を専門に行う集団に襲われていた。おじさまの力を一番知っているのは私だ。だから、その戦いに負けはないと油断していた。
事実、おじさまはその集団を無傷で蹴散らした。
だが、その際に流れた人間の血によって、おじさまの長年抑えていた捕食衝動が爆発した。私が駆けつけたことで人間を喰わずには済んだものの、すでにおじさまは限界を迎えていた。
目が血走り、口には大量のよだれが流れ、今にも人を殺してしまいそうな殺気が溢れ出ている。
おじさまの研究テーマは魔人と人間の共存。その具体的な研究課題はな魔人の捕食衝動の抑制。後天性の魔人では成果を得られず失敗に終わっていたものの、たまたま先天的な魔人の私を発見し、これを確保。
そんなおじさまの研究成功例が、私なのだ。
おじさまはそのまま私の肩をとてつもない力で握りながらこう言い放ってくる。
「……すまない。お主にこのような役目を押し付ける気はなかった。だが、このままではワシは正気を失ってしまう。だから喰ってくれ、ミスト。そしていつの日か皇獣を打ち倒し、真に魔人が生活できる世界を作ってほしい……」
「だ、だめです、おじさま! それはおじさまの夢、私の夢ではありません! おじさまが自身の手で……」
「ミスト!」
「ッ!」
「……頼む」
「ぅ……。ぅ、うぅぅあああああああああああああああああああああ!!」
そして私はおじさまを喰らった。
人生で初めて望まない捕食を行なったのだ。
だが、そこで話は終わらない。
「し、師匠……?」
「はっ!」
「み、ミスト様……。ど、どうして師匠を……。う、嘘ですよね……? み、ミスト様は僕と師匠の味方で……」
遅れてやってきたマルクに私がおじさまを喰っているところを見られたのだ。
言葉にできない感情を胸に抱いた私はおじさまの魔人の力を完全に喰いきり、その亡骸を置き去ってその場から離脱した。
最後までマルクの叫ぶ声が聞こえていた気がする。
そしてその日は奇しくも。
マルクの十七歳の誕生日であり、国王としてその座に就く当日だった。
これが私とマルク、そしておじさまの関係。
そして私は今――。
次回は5月16日21時に更新します。
※5月15日追記
諸事情により16日の更新はお休みいたします。
次回更新は23日21時になります。




