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ぽるーしょん

作者: 石井常葉

汚染(ぽるーしょん)

 ある小春日和こはるびよりの日、朝の身支度を整えて駅前のビジネスホテルを出た僕は、季節に似合わぬ暖かさを感じつつも駅へと向かっていた。

 僕の経験から言うと、この時間帯の駅というものは朝のラッシュで騒がしいものだが、この駅に限ってはそんなことは無かった。

 終着駅、常磐線の終端に位置するこの駅を利用する者はそもそも少なく、訪れる人々も地元の住人より一つの路線の終わりを見届けようとする一部の人々(マニア)の方が多いんじゃないかと思うくらいであった。あるいは、僕と同じーー『東京』を見学することが目的かもしれない。

 ここはかつて、県内有数の地方都市の一つとして栄えていた。しかし、『東京』が『汚染』されて以来、人口の流出が進み、かつての面影はない。



 東京からは十分に遠く、『汚染』の影響は無いと言われている。しかし、理屈では安全だと分かってはいても、心では納得できないものだ。そもそも政府の公式見解からして信用できない人もいるのかもしれない。あるいは、『汚染』に関係無く、『首都に近い』という最大の魅力を失った都市に見切りをつけただけかもしれない。ともあれ、今では人々に見捨てられたこの都市が、『東京』への玄関口の一つとなっている。



 駅についた僕は、かつてこの付近に存在したというデッドセクションに想いを馳せる。今となっては信じられないようなことだが、そこを通過する電車は車内灯が全消灯していたという。

 その後、普通の人々が向かうであろう方向とは逆向きのホームに向かった。そこには、諸事情によって『東京』へ向かう人々のための専用列車が停車している。国の許可無くして、東京に踏み入ることはできない。ちゃんとした手続きをして、この列車にのる必要があるのだ。僕も東京に行くのはこれが初めてだ。



 無事に列車に乗れたことに安堵しつつ、確保した朝食を頬張る。この列車に乗車する権利を得るためには、多少の職権しょっけん濫用らんようが不可欠だった。……誰の迷惑にもなっていないことを祈るばかりである。

 将来は一般向けの公開も予定されているし、小学生の児童向けの社会科見学の目的地にしようとする動きもあるが、問題が山積さんせきし、前途多難ぜんとたなんであるようだ。



 やがて、列車はおもむろに走り始める。普通の人間なら一生の内に一度も遭遇そうぐうしないであろう非日常に、不謹慎ふきんしんだと知りながらも僕は興奮を隠せなかった。



 川幅に比しても長い橋梁きょうりょうを越えると制限区域に入る。川を渡ったこちら側では、住宅を建て、居住することは認められていない。

 とは言っても、この付近はまだ汚染の程度も低く、居住に問題は無い。汚染の影響を大げさに示したい団体と、制限区域の管理を簡素化したい行政の思惑が一致した結果、区域内になっただけと言えた。

 そのため、移住を拒んだ者や社会から押し出された人々が法に従わずに暮らしているらしい。

 社会から押し出された人々、法の支配から解放された人々、そして人類という天敵から逃れた生き物たちが集うそこは、無秩序な秩序に支配された一つの楽園なのだろうか。降って沸いた僕の問に答えることもなく車窓は流れていく。



 しばらくすると、列車は進路を左へと変える。左手に見える沼は、かつて最も汚れている湖沼として知られていた。汚名を返上し、美しさを取り戻せただろうか。少なくとも自分の目には十分に澄んでいるように映った。



 荒れ果て薄汚れたビルの谷間を、褪せることのない緑の中を、列車は進む。

 汚染の影響によって植生が少しづつ変わり始めた。視界の悪い密林のような情景から、背の低い茂み、そして草原へと変貌をとげる。

 やがて列車は、開けた土地にさしかかった。僕は思わず歓声をあげた。かつての住宅地は、田園風景は、長い年月と、たくましい植物の生命力によって、美しい緑の絨毯に覆われていた。



 江戸川を越えると正真正銘の東京都だ。車窓から見える生物も、もはや地衣類のみとなっていた。汚染は植物さえも耐え難い段階に達しているのだ。

 ここで僕は気を引き締める。今までの領域は言ってみれば居住が不可能なだけ、例え列車が事故を起こして車外に出ようとも、外で丸一日過ごそうとも、直ちに影響はない。しかし、ここから先は外にいるだけで命を落としかねない危険な領域なのだ。

 もちろん、この車両は『汚染』に対して特別な対策がなされている。しかし、絶対の安全などあり得ない。この地域でもその気になれば列車から降りて空気を吸うことができるが、何の備えもなしに外に放り出されれば、一時間もしない内に命を奪われることになるだろう。

 一部の建造物は朽ち果て、崩れかけているものもあるが、中には今でも使われているかのようにヒビ一つなく建っているものもある。

 よく目を凝らすと銀色の防護服を身にまとった作業員がいることがわかる。

 遠くに人類の技術力の結晶『東京スイカツリー』が燦然さんぜんかがやいていた。



 『熱汚染』、そんな言葉が人々の間でささやかれるようになったのはいつの頃からだっただろうか。東京の気温は人知れず上昇を始めていたのだった。それをくい止めようと必死に戦った人もいた。しかし、その努力は虚しく、原因さえ分からぬままに、気温は上がり続けた。そして、最終的には、暑さに耐えかねた人々は東京を――自らの故郷を捨てたのだ。



 『東京スイカツリー』が最も近づいて見える右向きのカーブの中で、僕は温度計が85℃を示しているのを見た。この温度計は、今日の汚染の度合いを作業員に指し示している。

 東京はもはや人の住める土地ではなかった。



 東京を放棄することが決まったとき、当時の人々は何を考え、どんな気持ちをいだいたのだろうか。帰りの列車の中で、僕は一人、自問自答した。

 もはやその答えを知るすべはない。ただ一つ言えるのは、僕ら人類はあまりにも無力であった――否、今も無力である――ということだけである。

 振り返れば空はどこまでも青く、決してうるおうことのない大地を無慈悲な太陽がいつまでも煌々こうこうと照らし続けている…。

 放射能汚染だと思った?

このネタを思いついたのは、最高気温が35度を超える猛暑日のことでした。この年は冬が来たことに安堵しました。


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