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砂に埋もれる月  作者: 鷹臣 えり
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間章 呪い

 夜明け前のおぼろげな青が、地平線を染めていた。

 月はすでに視界には映っていない。時間がどれほど空いたのか、考えただけで眩暈がする。

 ヴァイスは区切りの良いところで日記帳を閉じた。同時に、聴衆たちも小さく息を吐き出している。

「あのさ、あんま面白くないんだけどね」

 まだ続きを読むのか、ヴァイスは日記帳をテーブルの上に乱暴に投げ出した。

 向かいの老人は、いまや安楽椅子に腰掛けヴァイスの声を子守唄代わりにして眠っている。ところがヴァイスの声が途切れた途端、ぱちりと目を覚まし怪訝な表情を見せた。

 盲目のソールはヴァイスの前に膝を抱えて座り込み、続きを促すように見上げている。長く伸びた前髪から覗く目は、薄いブルーであった。だが視線は虚ろに彷徨っている。頬には透明な液体が一筋流れていた。

「くそじじっ、寝てやがったな」

「あの、続き」

 か細い声が、しかし命令の意志を持って放たれる。ヴァイスはソールをにらみつけた。

 子供に何の変化もない。この何十年分もの日記を、呪いを解くという不確かなことで読み続けなければならないのか。しかも日記の中に出てくる王妃は、前世の自分だという。どのくらいまでなら老人の戯言を笑って許してやれるだろう。すでに限界は近づいている。

「こんなことでてめぇの目が見えるようになるとでも思っているのか」

 低く怒りを込めた声に、しかしソールはこくんと素直に頷いた。

 ヴァイスは舌打ちをした。医者ではないヴァイスに、ソールの目の状態がどんなものかは皆目見当がつかない。だが呪いによって見えなくなるなど聞いたことがない。

 馬鹿馬鹿しいとはこのことか。

 鼻で笑って誰が咎めようか。

「まあ、嘘だと思うのは仕方がないが。ところでリュンヌ王妃の初期の肖像画は見たことがあるかね」

「は?」

 唐突な質問に、ヴァイスは語気荒く聞き返した。

「実に痩せこけた王妃なんじゃよ。どこかの文献に記されている、というか一般的な王妃の認識として綺麗、美人だわな。それが理想だろうし、市民の願いじゃろう。しかし初期の肖像画では、その願いをぶち破っている。貧相、哀れ等々。思いつく限りつく形容詞はどれも王妃の立場にはふさわしくないものだろう。しかし肖像画は唯一嘘をつかぬ。王はいくらでも見目麗しい女を王妃にできた。だがなぜリュンヌにこだわる? しかしながらそれは文献や史実には記載されていない。

 この本を発見したわしが、悲劇の王子の血を引く一族の養子になったことは運命だとは思わぬか? 一族が呪われたことの原因がわかれば結果に納得できる。呪いというものは、そうして解かれるもの」

「単刀直入に言え、この日記の中に呪いの原因が書かれているってことだろう」

「歳をとると、注意深くなるものでな」

 老人は喉をひきつらせながら笑った。まるで蛙のようだ。

 ヴァイスはく口をひきつらせて答えた。

「初めからこれをどっかの学者にでも渡せばわかったんじゃねえの」

「そうもいかん。金もないしな」

 リュンヌに学はあまりなかった。そのたどたどしい文字は、時に誤字さえある。独学で学んだとしても、その誤字、脱字への対応は教科書には載っていないだろう。

「学者は誤字やらを考慮せん。新たな暗号かなにかだと思うわな。その点――お前さんなら読めるじゃろ」

「んなこたぁ、ねえと思うが」

 とはいえ、王妃の日記をつまづくことなく読むことができたのは真実だ。

「まあ、王妃の評価を下げたくないのもひとつあるがな」

 ヴァイスはじっと老人を見つめた。老人もまた無言で見つめ返してくる。

 その老人の冷めた視線に、ヴァイスは心がざわつくのを感じた。何かを思い出しそうで思い出せない、そのもやもやとした不愉快な感情。どこかでこの老人と対峙したことがあったのだろうか。似たような状況はなかっただろうか。

「さて、早速だが続きを読んでもらおうかの。ソールが待っておる」

 ソールの純真無垢な視線がヴァイスを見上げる。

 その視線にもヴァイスはわずかな既視感を覚えずにはいられなかった。

 愛おしい、撫でて抱きしめたい。きっとその身体は柔らかく、温かだろう――と、あふれた出た感情にヴァイスは驚いて目を見開く。

 自分はまだ結婚もしておらず、もちろん子供もいない。無縁だろうと思えるほど女っ気はなく、同時に将来の自分に子供がいるだろうという想像もできない。

 首を左右に振った。

 わからない感情は一刻も早く消すべきだ。

 前世はリュンヌ王妃だった、老人が言った言葉がヴァイスのどこかで生きていたのかもしれない。だがそんな証拠はどこにある? 日記を読ませるための方言に違いない。

 ヴァイスはもう一度ソールを見た。今度は先ほどのような感情は湧き上がらなかった。

「まあいいさ」

 よくはない、警鐘が鳴った。だが従えなかった。

 言いたいことのすべてを飲み込んで、ヴァイスは肩を落とした。

 読み終える頃には夜が明けているかもしれない。腹が空いてきた。だが固いパンと塩スープに手を伸ばす気は起こらない。

 ヴァイスは日記を手に取り続きの項を開いた。

 読みたいのだ。

 伝えたいのだ。

 再び、不思議な感情が湧き上がる。それは自分ではない誰かの声だったのかもしれない。

 不思議だとは思わなかった。

 すでにヴァイスは日記の文字を目で追っている。

 彼の脳裏にはもう現実はなく、遠く過去の情景へとさかのぼる。

 老人は目を細めてヴァイスを見つめていた。頬は若干緩み、口元は柔らかく笑みを作りだしていた。

 まるでヴァイスを――。


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