第79話:鬼面の男
部屋に足を踏み入れるとそこには、千夏という名の少女と鬼面を被った男が立っていた。
自分の体を支配する恐怖を生み出しているのは間違いなく鬼面の男。
沙紀は、腹に力を溜め自分の中の恐怖心を抑えつけると男を睨みつける。
「あなたが、マスターですか?」
「いかにも。何故震えているのかな? 君は、天見 華音ではないんだろう?」
鬼面を被っているせいか男の声はくぐもっていたが、暗い艶めいた声に背筋に寒気が走った。
男の言葉には、いくら正体を隠しても無駄だという皮肉が込められている。
(まぁ、私の身元なんて最初から分かっているでしょうけど。それにしてもこの声、どこかで聞いたことがある)
「ええ、今は。それより、貴方が主催者ならば薬の流通を止め作成者を引き渡してもらえませんか?」
もしこの男が自分の過去に関係しているのだとしても今、しなくてはならないのは事件の捜査だ。
(飲まれたら負けだ)
「ああ、あの薬ならもう在庫はない。元々売り物にするつもりはなかったのでね。作成者は彼女だ。でも、彼女は私の部下でね。引き渡す訳にはいかないな」
「売るつもりがなかった?」
「私は彼女に薬の材料と研究場を提供していただけ。今回はその研究過程で出来た失敗作を利用して君との対面の場と彼女の過去との決別の場をもうけただけだ」
自らの隣に佇む少女に視線を移し男は、言った。
「千夏さんと言いましたよね。貴女はその薬をどうしようというのですか?」
それまで一言も喋らず男と沙紀のやり取りを聞いていた千夏は、沙紀に目を向ける。
「貴女は、この薬が一般社会に出回る事を心配しているのでしょ? それに関しては、断言する。もうこの薬が出回ることはないわ」
「薬を売り利益を上げるのが目的でないと言うなら何の為に?」
「薬というものはそれを必要とする人間の為にあるもの。これはある人の為に必要なの。その人の誇りを守る為に。その為なら私は何でもするわ」
「一族を裏切ることも?」
「ええ。幼き頃より絶えず傍にいた人間を殺すこともね」
千夏が片手を上げるとどこからか水で出来た大きな球体が出現した。その球体を見て沙紀は驚きのあまり目を見開く。
その球体の中にいたのは、腹部から血を流す沙織だった。