vi.
誰かが叫んでいた。恐怖に満ちた声だ。痛みに喘いでもいた。じきに声が出なくなる。助けて、と胸の内で乞い始めた。必死だ。男はそれを笑って見ている。ひどく高揚していた。震える喉元に、男の手が迫る──。
奏は飛び起きた。夢だったか、と息をついたものの、喉と左腕が痛んで現実を認識する。袖を引き上げて見ると、二の腕に痣ができていた。男に掴まれたところだ。すごい力だ。首も同じだろう。
溜息をつきながら周囲を見回す。小さなベッドの上にいた。脇には洒落たテーブルと椅子、壁際にはソファまであった。状況に似つかわしくない小綺麗な部屋だった。
上からうっすらと明るい光が射している。見上げると小さな天窓が二つあった。既に夜明けなのだろうか。ジーンズのポケットを探る。携帯電話は取り上げられていなかった。引っ張り出して、日時を確認する。気を失ってから半日以上が経過していた。
電波の表示は圏外だった。奏はベッドから下りる。ここはいったいどこなのだろう。窓は上の二つだけ。結構な高さだ。テーブルに乗っても届かない。外を覗くのは無理だ。念のため、窓の下で再び携帯電話を開いてみたが、圏外の表示は変わらない。外部への連絡はとれそうになかった。
溜息混じりで部屋を見渡す。一見、平和な静けさに満ちた室内だ。が、奏には耐え難かった。悪夢に似た光景を見るわけだ。部屋のいたるところに夥しい数の人間の感情が染みついている。
混乱、怖れ、苦痛、憤り、哀願、諦め。ぼんやりとはいえ、触れてもいないのにそれらが感じられることに奏はたじろいだ。初めてのことだった。それだけ強烈に残されているのだ。捕らえたものたちを閉じ込めておくために使っている部屋に違いなかった。
助けを求める声に意識を奪われそうになりながら、ドアへと向かった。ドアノブを握ろうとして躊躇った。ここもひどい。多くの人間が逃げようとして何度も手をかけた痕跡があった。
開かないだろうと予想はついたが、一応試してみる。ノブは回った。鍵はかかっていないようだった。しかし、扉は開かない。やはり、と奏は詰めていた息を吐いた。男の力で封じられているのだ。霊符を使えば開けられるかもしれないが、おそらくは家の扉すべてがこの状態だ。部屋を出ても外には出られまい。
霊符は一枚だけだ。複数の霊符を持ち歩き、自由に遣いこなせるほどの力は奏にはないのだ。後先構わず女子大生の後を追って逃げるのが正解だったろうか、と今更悔やんでみても遅かった。
天窓から射す光が次第に明るさを増していく。男はどこにいるのだろう。いつまでこうして放っておくつもりだろうか。何にしても、相手の出方を待つしかないようだった。逃げたり、助けを求めたりする手段は、とりあえずないのだ。
仕方なく部屋の真ん中へと行った。その場所が一番感情や記憶の残溜物が少なかったからだ。何かを極度に怖れながら、部屋の真ん中で過ごすことは難しい。大抵は物陰や部屋の隅に身を寄せるものだ。奏はそのまま、そこに座り込んだ。